第140話 肥料
祭りの準備が企画段階から実作業に移ると、俺のやることは相対的に減ってくる。
カフェの方は料理のアイデアを出すだけ出したら、あとはルチアやモアノアがいい感じにまとめてくれてるし、チェス大会やライブの演出は、アドバイザーのチェスチャンピオンであるイミアや、プロの演出家であるエッシャルバンが乗り気になってあれこれ仕切ってくれている。
舞台の準備もカプルが、土木工事の得意なオルエンを相棒に頑張っている。
そうなると、細かい雑用のほかは、ときおり顔を出してみんなを褒めたり励ましたりするぐらいしか、やることがなくなってきた。
この段階で実務担当じゃない、上の立場の人間が下手に手や口を出しても、かえって邪魔になるだけだしな。
そういうのは会社勤め時代に、十分学んだわけで。
そんなわけで、ちょっと時間ができたので癒やしを求めて裏庭に出ると、考古学者の師弟ペイルーンとアフリエールがプランターの土を地面にひっくり返していた。
「何やってるんだ?」
と尋ねると、ほっぺたに土をつけたアフリエールが答える。
「土を作ってるんです。今日は天気もいいし、冬の間に菜っ葉とかを植える分を準備しておこうと思って」
「どうせ植えるなら地植えでどかっと植えたらどうだ?」
「そうしたいのはやまやまだけど、ここの土って微妙に塩気があるから、やるなら全部取り替えないと。あと水はけも悪いのよね」
とペイルーン。
「そうなのか」
「これぐらいの広さなら、全部プランターでもいいわよ。土は森から取ってきてるし」
見ると木製プランターが山積みされていた。
馬車で育ててた僅かな薬草とは数が違うな。
二人は地面に土を広げて、手作業で石やら虫を取り除いているようだ。
「根切り虫とかがいたりするので、ちゃんととっておかないとやられちゃうんです」
美少女コンビが土いじりしてるさまは、絵になるのかならないのかよくわからんけど、まあいいものだ。
俺も手伝って、一緒に石を取り除いたりする。
都会に住んでると、ちょっと虫が出ただけで驚いたりするんだけど、ガキの頃は居間にムカデが出ても平気で追っ払ったりしてたんだよなあ。
こっちで住んでると、また抵抗がなくなってきたようで、特に旅の間にかなりリハビリが出来た気がする。
突然、不意を突かれない限りは、触るぐらいなら大丈夫になってきたな。
というわけで、芋虫だの何だのを素手で掴んでどんどん取り除いていく。
あとで釣りのエサにでもしよう。
「そういえば、薬草はもう育ててないのか?」
と聞くとペイルーンが、
「特殊なものはまだ育ててるわよ、家で使う分だけ。売るわけじゃないしねえ」
「なるほど」
「今は馬小屋の前に置いてるけど、霜でやられるから、そろそろ中に入れないとだめね」
「霜なあ。今年は寒いのかな」
「みたいよ、デュースも言ってたけど」
「そうかあ、まあうちも完成したし、安心だけどな」
「そうね、でも暖炉だけじゃ暖房が足りないんじゃないかしら? 仕切りがないから、馬車のあたりとかはかなり冷えるわよ」
「そんな気はする。カプルはどうする気なんだろうな」
「さあ、聞いてみたら?」
「そうしよう」
石取りを終えた土は、そのまま地面に広げて天日干しにするらしい。
家庭菜園も大変だな。
日本に住んでた頃、近所でひたすら庭をいじってたおばさんとかもこんなことしてたんだろうか。
祖母が畑仕事をしてなかったからか、田舎に住んでても細かい所は知らないんだよなあ。
ちゃんと勉強しとけばよかった。
ペイルーンとアフリエールはそのまま種を買いに出かけてしまったので、俺はカプルを探すが、あいにくと居なかった。
どうやら、家の工事を頼んだ棟梁のジンクの元に出かけたらしい。
「昼食には戻ると言っていましたよ」
といいながらアンは、生ごみを樽に詰めていた。
「ちょっと臭うな。結構たまってるんじゃないか?」
アパートの生ごみは火曜と金曜だったな。
ここではごみ収集とかあるんだろうか。
「西通りの端に処理場がありますけど、これは家で処理します」
そういいながら、今詰め込んだ生ごみの上から、灰色の粉をまく。
「その粉はなんだ?」
「これは還元粉とか灰粉とか言って、灰色の精霊石です」
「灰色?」
「実際は黒と黄色と緑と……あと何かをブレンドしたものらしいですけど、これが生ごみを分解して土にしてくれます。今ペイルーンたちが作ってる土に混ぜるんですよ」
有機肥料みたいなもんか。
「精霊石ってそんなこともできるのか」
「ええ、灰粉は下水の分解にも使っているはずですよ」
「すごいな、汚物も分解するのか」
「どういう仕組みかはわかりませんけど」
「いや、そこ大事だろう。見学とかできないのかな?」
「下水場を見学するんですか?」
アンが顔をしかめる。
「変かな?」
「変というか、普通はそのようなところに興味を持たないと思うのですが」
「いやいや、こっちの世界は文明の度合いから言って、下水だけどうしてこんなに行き届いてるのかなーって気になってたんだよ。俺の元いた世界じゃ、これぐらいの街というか文明だと汲み取りが普通だったとおもうし」
「こちらでも田舎は汲み取りですけど」
「そうなのか」
あれ、でも平城京にも下水はあったとか習った気もするけどどうだったっけ?
そもそも俺だってそんなところに興味をもったことはなかったけど。
たしかに普通、興味は持たないよな。
「興味がお有りでしたら、下水は教会の管轄なので、そちらを通せば見学できるのではないでしょうか」
「ふむ、じゃあレーンに聞いとくか」
興味が有ることにされてしまった。
しかし、精霊石って熱かったり光ったりと、そういうプリミティブな機能しかないのかと思ってたけど、そんなものまであったのか。
もしかして他にもあるかもしれんなあ。
ペイルーンが帰ってきたら聞いとこう。
また暇になったので、リビングでゴロゴロする。
リビングと言っても、広い室内に床が張ってあるだけで、寝室も食堂も兼ねている。
北側の壁には暖炉があるので、その周辺は温かいが、そこから離れるとたしかに寒い。
天井が三階分ぐらいの高さがあるうえに、間仕切りもないので当然なんだけど。
三メートルも身長がある巨人のメルビエが従者にいるので、通常サイズの部屋で仕切ると彼女が一緒に暮らしにくくなるだろうということで、基本的に屋内に間仕切りはない。
お店部分だけが仕切られているほかは、何本か柱が立っているだけだ。
それでも湖から吹き付ける北風がなくなっただけで、随分マシにはなったのだが。
表通りに面した部分はガレージになっていて、今は家馬車と商品の在庫が積んである。
在庫はここと店の二階に積んであるが、ここにあるのは普段小売する分で、大口用のものはバンドン商会の倉庫を借りてそちらにおいてあるらしい。
全部置いてしまうと、馬車を置くスペースもなくなるとか。
その家馬車の中は個室なのでここより温かいが、今はカプルと学者組の書斎になっている。
俺も書斎が欲しいなあ。
別に勉強とかはしたくないけど。
ちょっと豪華な書斎で、社長椅子とかに座って、膝の上に美人秘書を座らせたりとかしたいじゃん。
したいよなあ。
美人秘書ってうちだと誰が一番合うだろ。
エンテルは先生色が強くてちょっと違うかな?
スーツの似合いそうな……エーメスとかは結構会うかもしれないな。
ハーエルも髪を上げてビシッと決めれば案外……。
などと考えていると、扉が開いてぴゅーっと冷たい風が吹き込んできた。
「只今、戻りましたわ」
「おう、おかえりカプル。棟梁の調子はどうだい?」
「こう寒いと関節が痛むと嘆いてましたわ。ちょっと飲み過ぎですわね」
カプルはそういいながら扉をくぐる。
続いてシャミも入ってきた。
「おじゃま、します」
「おや、いらっしゃい。今日も勉強かい?」
コクコクと頷くシャミ。
今日もかわいいな。
「来週から物見塔の工事にかかるので、今のうちに学習を進めたいそうですわ」
「物見塔?」
「ここの祭りの目玉ですわ。毎年二十メートルはある櫓を建てて、人々が登って街を見下ろしますの。いつもは十二階建てらしいのですけど、今年は十三階建てにするとか」
「ほほう、十三階か。不吉だな」
「まあ、そうなんですの?」
「いや、俺の故郷の話だけどな。十三日の金曜日に聖人が死んだので、化け物が出て人を殺すとかいう話がだな」
「聖人が化け物になったんですの?」
「違うと思うぞ、よく知らんけど」
「とにかく、今年はジンクがそれを請け負うので、シャミも忙しくなるわけですわ」
「そうか、がんばれよ、シャミ」
シャミはちょっと頬をそめて、コクリと頷く。
「今日は寒いですわね、暖炉の前でやりましょう」
といってカプルとシャミは暖炉の方に行く。
俺もついていきながら、カプルに尋ねる。
「今日は何しに行ってたんだ?」
「ステージのことで相談に行ってましたの。また彼に頼もうかと思ったんですけど、今言った工事があるので難しそうですわね」
「そうか」
「劇場のスタッフもこの時期は難しいそうですから、どうしようもなければこのまま私どもだけでやるしかありませんわね」
「ふぬ、大丈夫かな」
「前倒しでやれば、大丈夫だと思いますわ」
「そういや話は変わるが、家の暖房はどうするんだ? 暖炉だけじゃこの先厳しいだろう」
「ええ、そうですわね」
「で、どうするんだ?」
「実は……何も考えておりませんでしたの」
「まじで?」
「まじですわ。というのも、私があまり寒さを気にせずに暮らしてきたものですから、大きめの暖炉が一つあれば十分だろうとうっかり考えてしまいまして」
「ほんとにうっかりだな。お前でもそういうミスをするんだな」
「全くですわ、やはり山に長く引きこもりすぎましたわね。特にあそこは神殿ぐらいしかありませんでしょう。僧の皆さんもやはり質素な暮らしをしていたものですから、どうにもそういう暮らしが染み付いてしまいまして」
「まあ、わからんでもない」
「なにか良いアイデアはありませんかしら? 先の扇風機のような」
「うーん」
暖房といえばエアコン、ストーブ、あとはこたつか。
こたついいな。
「よし、じゃあこたつを作ってくれ」
「早速聞いたことのない名称が出ましたわね」
「うん、こたつと言うのはだな……」
と説明する。
「なるほど、この布団で熱気をためて下半身だけ温めるというわけですわね。火は使えませんから精霊石になりますけど、熱を閉じ込めるなら効率は悪くなさそうですわね。うちのように床で生活するスタイルには、向いていると思いますわ」
隣で聞いていたシャミも激しく同意する。
「暖炉は、頭が暖かくなってぽーっとするけど、これだと、きっと頭はスッキリしたまま。やっぱりあなた天才?」
「ははは、残念ながら、これも故郷の品でな」
「じゃあ、天才の国?」
「どうかな?」
「行ってみたい……」
そう言ってシャミは俺のそばに寄り、頬に手を伸ばす。
小さな手のひんやりした感触が頬に触れる。
「うぅ……」
「どうした?」
「光ればよかった……ざんねん」
「俺も残念だな」
ふう、と溜息をついて、シャミは暖炉の前に座る。
これだけ脈アリで光らないとか、絶対なんかわけありだよな。
セスみたいになにかトラウマがあるとか。
とはいえ、それを根掘り葉掘り聞けるほどには、まだ打ち解けてはいないのだった。
あとはカプルに任せて、俺はその場を離れた。
その夜、夕食の時に思い出して、ペイルーンに精霊石のことを尋ねる。
「あら、珍しいわね。ご主人様がお勉強?」
「まあね」
「じゃあ、概略から行こうかしら」
そこで一つ咳払いをしてから、ペイルーンのレクチャが始まる。
「精霊石とはすなわち精霊の力、言い換えれば魔力が結晶化した石のことね。つまりそれ自体が魔力を秘めた物質なのよ。火の精霊石は、薪を燃やしたのと同じように熱と光を発するし、氷の精霊石は氷と同様に周りを冷やすわ」
「ふぬ」
「錬金術においては、物の根源は魔力であると考えているの。土と水が転じて木となり、それが薪となって火をおこす。同様に土と水の精霊石が交われば火の魔力と転じて熱を発する。その相似関係は、根源である魔力に帰納して考えることで理解できるのよ。つまり、火や土、氷といった性質こそが本質で、精霊石や薪といった物はその本質の異なる投影にすぎないというわけね」
「なるほど」
五行思想とかがそんなんだっけ?
ゲームとかによく出てくるよな。
「もっとも、冶金術者などは異なる考え方をするわね」
と一緒に夕食をとっていたシャミに向かって話を振る。
「冶金では、物は物。火の精霊石をいくら加工しても薪にはならない。だから違う。性質とは、人の性格のようなもの。優しい人はたくさんいるけど、全部別の人」
「ありがと。とまあ、そういうわけで、これから話すことは錬金術士にとっての精霊石の解釈ね。というよりは錬金術の女神ニャウルの教えよ」
「お、名前が短い女神様ってことは偉いのか?」
「そうよ、ウル直系の女神と言われているわ。彼女の教えによれば、世界は四つの相と二つの系にわかれると言うわ。相とはすなわち光と三つの力」
「三つの力?」
「剣と槍と盾って言われてるけど諸説あるわね。ウルが戦の神だからってことらしいけど」
「ふぬ」
「ただ、この解釈だとちっとも錬金術に関係しないから普通は何か別の力、たとえば私が学んだ学派だと、氷るときの力、燃えるときの力、腐るときの力のみっつの変化に伴う力を指すわ。相が変わるってのはそういうことを指すでしょう?」
「ああ、水と氷と蒸気とかな」
「そうそう、ご主人様に前習ったけど、その考えは私の学んだことにも一致するからよく分かるわ。それで、二つの系のことだけど、これは物と性質のことだと言われてるわね」
「ふぬ」
「具体的には物と性質を四つの相で分類しながら、とくに性質面にこだわりながら考えるのが錬金術なのよ。私は精霊石中心に考えるけど、シャミは金属中心に考えるでしょう。でも、この場合物は本質ではなくてそれが持った性質こそが重要なの」
「ふぬ」
「だから、火や氷といったもっとも根源的な性質を持つ精霊石はとても重要な意味を持つわね。それ自身が相を担う本質の投影だから」
「なるほど。火の精霊石なんかは、まさに燃やす力だもんな」
「そうよ。そしてそれらを組み合わせて、より特化した性質を持つ精霊石を作るのよ。例えば青い光を発する火の石とか匂いを取る石とかね。これは錬金術士ごとに秘伝の技術だから、全てが公になっているわけでもないわ」
「ふむ」
「そもそも、私があまり錬金術に興味がなかったから、詳しくないってのもあるけど。あと調合もシビアで、適当に混ぜると全部魔力が消えちゃうのよね」
「難儀だな」
「そうね。もっともだからこそ仕事になるんだけど」
結局、そのブレンドに関しては、魔法と同じでブラックボックスになっているらしい。
具体例をいくつか聞いたが、現時点では便利なものがあるんだなあ、ぐらいの感想しか出てこなかった。
もうちょっと別の方面から調べてみないとだめかな。
翌日の午後、下水場に来てみた。
朝のうちにレーンが話をつけてくれたようで、見学できることになったのだ。
時々、物好きが見学に来るのと、日曜学校でも年に一度は見学会があるらしい。
下水の大切さを教えるそうだ。
そういえば俺もごみ処理工場とかに遠足で行ったなあ。
お供は暇そうだった燕に、撫子とウクレ、あとはボディーガードのエーメスだ。
遠出の散歩のお供は戦士組の大事な仕事であり、それを任されると聞いてエーメスは気合を入れていたようだが、目的地が下水場と聞くと随分と情けない顔をした。
「何故、そのような場所に……」
「下水こそは街のもっとも重要なインフラだろう。それを知るのは住民の義務なんだよ」
「な、なるほど。わかるような……わからないような」
納得してるようには見えないが、してなくてもついてこざるをえないのだった。
気の毒に。
後日、もっと素敵な場所に連れて行ってやろう。
俺だって話の流れで引くに引けなくなったわけで、うんこ工場に興味なんて無いよ
その点、撫子はうんこ大好きだったよなあ。
と思ったが、
「え、別に興味はないです」
とそっけない。
俺の膝の上でうんこうんことさけんでたのは、つい数カ月前の事なのに。
すっかり大人になっちゃったんだなあ。
下水場で俺たちを出迎えた僧侶は、アムハッサという名の、実直そうなプリモァの青年だった。
「高名な紳士様をお迎え出来て光栄です。ここを任されてまだ三年目の若輩者ですが、本日はよろしくお願い致します」
おっと、正体がバレてるのか。
じゃあ、紳士クリュウの出番だな。
「ありがとう、急なお願いで申し訳ないが、よろしく頼むよ」
「かしこまりました」
アムハッサ青年は、先頭に立って俺たちを案内する。
施設は神殿と同じような古い石造りの建物だが、そこはただの事務棟で、処理場の本体は地下にある。
「アルサの下水場は大戦前から残る古いもので、スパイツヤーデでも一、二を誇る規模であると言われております」
と自信たっぷりに説明する。
まあ、自分の仕事に誇りを持つのはいいことだ。
「下水こそは街の根底を支える施設ですが、その重要性を理解するものは少ないのです。この街の要人でここを見学したものは一人もいないでしょう。臭いものに蓋をするのはわかりますが、そこをなおざりにしてはもしものときに取り返しがつきません」
「まったくだね」
「そこへ行くとさすがは紳士様、上に立つものはそうでなくてはなりません。これから向かうのは街の下ですけども、あはは」
今のはジョークを言ったつもりだろうか。
実直そうに見えたのになあ。
案内に従い進むと、薄暗い石階段に出る。
ジメジメと湿り気を帯びた階段を下ると、へたなダンジョンより薄気味悪い。
なんで俺はこんなところにいるんだろう。
祭りの準備で忙しいのに。
「さあ、この先が集積所です」
階段を降りた先には、広いドーム状の部屋だった。
中には木箱がいくつも積まれている。
あの中にアレが詰まってるんだろうか?
と思ったが、なにか匂いはするものの、臭いという程でもない。
むしろ地下の密室にしては匂いがなさすぎるぐらいだ。
「あれは処理済みの汚物の残存物で、肥料として農家に卸しております。あちらの奥から排出されますので、それを人足たちが木箱に積み、隣の出口から地上に運び出しております」
とのことだ。
なるほど、処理済みのものか。
チラリと見たが、グレーの粉末だった。
化学肥料みたいだな。
「ここで浄化された下水は、港の外れにある排水口から海に流されております」
「なるほど」
「ではこちらにどうぞ。この先が処理場の中枢部です」
そういって案内された先は、広い部屋だった。
しかもこの部屋の質感には見覚えがある。
「あら、随分雰囲気が違うわね」
と燕。
「ええ、ここは女神様によって作られたステンレス製の広間です」
「ステンレス? 鉄とクロムの合金?」
案内人のアムハッサに尋ね返す燕に、俺がかわりに答える。
「ああ、こっちじゃ錆びない物は全部ステンレスって言ってるらしいぞ」
「そうなの。ってことは全部昔の連中が作ったってことね」
「知ってんのか?」
「全然。最低限のことは勉強したけど、私は地球のことしか詰めてこなかったのよね」
「そんなこと言ってたな」
ただっぴろい部屋の中を歩きまわるが、いつぞやの遺跡同様なにもない。
部屋の隅にはあとから持ち込んだのであろう木のテーブルがいくつか置かれている。
「ここで神の声を聞き、その指示に従い先ほどの集積所から精霊石を投入するのです。ご覧のとおり女神のお力で運営されるこの処理場は、汚物を直接目にすることなく処理できます」
なるほど、まさかこんなところで古代遺跡の名残、しかも今も現役で使われている生きた遺跡を見つけるとは。
エンテルたちは知ってるんだろうか?
「神の声とは、君が直接聞くのかい?」
「そうです。我が家系にのみ代々許された力であります」
という。
あれか、エンテル同様遺伝レベルで認証されてるとかそういうあれかな?
彼がプリモァなのも、きっと無関係じゃないんだろう。
「なあ燕、ここのコントロールがどうなってるかわかるか?」
「ここ? そうねえ、アクセスコードがあれば……」
「彼がコードだろう。エンテルもそうだったぞ」
「遺伝子認証かしら? ちょっと見てみるわ」
そう言って燕は部屋をぐるりと見渡す。
部屋の周りを透視でもしてるんだろうか。
「どっかに机が隠れてると思うぞ」
「ああ、あったわ。ここね」
といって部屋の中央で床を蹴ると、ニョッキリと台座が出てくる。
「こ、これはいったい!」
アムハッサ青年は目を丸くして驚くが、しばらくは黙ってみていてもらおう。
「えーと、これ動くのよね。こうかしら? ウインドウオープン!!」
燕の言葉に合わせて、室内のすべての壁が一斉に光り、大小様々な枠が何かを映し出す。
どうやら施設の全景のようだ。
通路やらパイプやらが映し出される。
「ちゃんと生きてるみたいね。ふむふむ、ここって下水だけじゃなくて、上水に電気にエルミクルムの管理までやってたみたいね」
「電気もあるのか?」
「ないとこれが動かないでしょう」
「あ、やっぱこれって電気で動いてるのか」
「もちろんよ。ご主人ちゃんの電話なんかとはだいぶ仕組みが違うけど。制御は乗っ取れるかしら? このボディはここ製だから行けそうなものだけど……うーん、そのままじゃだめみたい。攻撃してみていい?」
「攻撃って?」
「認証システムにアタックかけて乗っとるのよ」
「失敗したらどうなる?」
「ここが動かなくなるかも」
「成功確率は?」
「……三%ぐらい?」
「じゃあ、却下だ」
「ケチ!」
「おまえ、街がウンコまみれになったらどうするんだ」
「え、それは困るわね」
「だろう。他に何かわかったか?」
「うーん、別にないわね。最後にメンテされたのは一万八百年前みたいね。現在でも状態はグリーンだから、あと百万年ぐらいは保つんじゃない?」
「随分と余裕のある設計だな」
「普通でしょ。あとは……その子のアクセス権だけじゃ、ほとんど見えないわね。上下水と電力線のメンテ用分布図は覚えたわ。あとは……なんか地下にあるっぽいんだけど、現状だとめぼしい情報はないわね」
「そうか」
「じゃあ、閉じるわよ」
と言って燕は台座を指で下に押すと、すっと地面に消えてなくなる。
「あ、あの……今のは一体?」
「アムハッサ君!」
不安そうな顔で尋ねる青年に、ことさら声を大きくして呼びかける。
「は、はい!」
「今のは紳士に伝わる門外不出の秘術だ。わけあって私は今回、この施設を見学に来たわけだが、それはここの状態を調べるためだったのだ」
「そ、それで……どうだったのでしょう」
「大丈夫、君たちの働きのおかげで、ここはこれからも問題なく維持されるだろう」
「よ、よかった。ありがとうございます!」
俺は口からでまかせで適当な事を言ってみたが、彼は真に受けていたく感動したようだ。
よほどこの仕事に打ち込んでるんだなあ。
「秘術であるから、今日のことは秘密にして欲しい」
「わ、わかりました」
「もし何かあったら、相談に乗ろう。いつでも訪ねてきたまえ」
「はい、ありがとうございます」
「ただし、私は日頃正体を隠して、商人として暮らしている。商人のサワクロだ。人前であった時は、そう呼んでくれると助かるな」
「かしこまりました。必ずや、そのように……」
というわけで、下水処理場見学は想定外の結果に終わった。
あとでエンテルにも話してやろう。
俺達はおみやげにできたてホヤホヤの肥料を貰って、家路についたのだった。
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