第139話 狩猟会

「おーい、聞こえるかー」

(はい……聞こ……ます)


 俺が呼びかけると、耳の奥というか頭の中に新人僧侶ハーエルの声がぼそぼそと響いた。


「次は紅」

(聞こえます、マスター)

「よし、じゃあ次は燕ー」

(聞こえてるわよー)


 同じく脳内に紅や燕の声が聴こえる。

 こちらはくっきりだ。

 燕の魔法である遠耳の術、すなわち遠く離れた場所の音を聞く魔法だが、こいつはただ遠くを聞くだけじゃなくて、俺と燕で聴覚を同期して遠隔で通話することができる。

 要は電話だ。

 ここでは念話と呼ぶことにした。

 念話と呼ぶには声に出さなきゃダメなところがいまいち頼りないんだけどな。

 他にいい呼び名が思いつくまでこれで行くことにする。

 すでに何度か使ってみたが、こいつは想像以上に便利だ。

 便利なんだが、俺と燕の間でしか念話できないといささか頼りないので、他の従者ともできないか試した所、元女神の姉妹というだけあって紅とは可能だった。

 あとはだめそうだったが、唯一ハーエルが可能だった。


「たぶん、私と仮契約したから、ほかの子よりつながりが深いんでしょうね」


 と燕が言うと、ハーエルは感動して、


「光栄です、エクネアル様」

「だから私のことは燕と呼びなさい!」

「あ、もうしわけありません、その……燕」

「そうよ、いい子ね」

「ありがとうございます、エク……もとい、燕様!」

「様も余計よ!」

「も、申し訳ありません!」


 燕は楽しそうに後輩をからかっている。

 しばらく試した結果、ハーエルはいまいち感度は悪いものの、どうにかつながるようだ。

 ボートを使って到達距離の方も確認してみたが、ハーエルでは二、三キロ程度、燕と紅は湖の対岸まで十キロほど離れても普通に念話できた。

 ダンジョンなどの遮蔽物がある場合も後日調べておく必要があるだろう。

 本格的にやるのは、祭りが終わってからだろうが。


「現状ではご主人ちゃんとハーエルはレシーバーにしかなれないわね。自分で術をトリガーできるのは私と紅だけみたい。魔法の使えないご主人ちゃんはともかく、ハーエルは呪文さえ覚えればどうにかなると思うんだけど……」

「がんばります! 遠耳の術は存在は知られておりますが、秘術に分類されますので、呪文は公には伝わっていないと思いますが、燕がご存知でしたら、なんとしても習得して……」

「あれ、呪文ないの? 私呪文とか知らないんだけど」

「え、ではどうやって?」

「どうもこうも、こう……あれよ、精神を集中して耳をぎゅーんと感覚で飛ばすというか。ねえ、紅」


 紅に話を振ると頷いて、


「はい、聴覚を意識的にずらすイメージです」

「そ、そうですか。しかしそれでは私には……」


 と途方に暮れるハーエル。


「デュースが呪文がどうこうって言ってた気がするぞ?」


 たぶん。


「本当ですか?」

「ああ、ちょっと呼んでこよう」


 デュースを連れてくると、確かに呪文のことは知っていた。


「あることは知っているんですけどー、手元にはないですねー。神殿の図書館などにもないのでしょうかー」

「いいえ、私の知る限りでは……探してみますが」

「そうですかー、ではリースエルにでも手紙を出して、調べてもらいましょー」


 と言った感じで、当面は燕か紅がいれば使えるようだ。

 こいつは探索でも非常に役に立つだろう。

 役に立つといえば、毎日図書館に通って新呪文の習得を目指しているレーンたちの方は、あまり芳しくないようだ。

 呪文の習得って大変なんだなあ。

 場合によっては何年もかけてやっとひとつ身につけたりするらしい。

 そういえばエンテルも冷凍呪文一つあれば、それだけで生活が成り立つとか言ってたしな。

 急かすつもりは全然ないが、あいつらも頑張ってるので、どうにかいい結果が出るといいなあ。

 努力は報われるとは限らないけど、報われると嬉しいからな。




 その日の午後、俺は手紙を受け取った。

 白象騎士団の封蝋が押された手紙は、団長であるメリエシウムからのものだった。

 来る吉日、騎士団恒例の狩猟会を執り行うので、ぜひともお越しいただきたくうんぬん、と書いてあった。

 誠実で可憐なメリエシウムちゃんとは会いたいが、狩りと言われると困るよな。

 なんせ馬に乗れないし、弓もさっぱりだ。

 と思ったが、エーメスに尋ねると、


「白象の狩りは船で魚を取ります。無論、馬に乗って獣を追う狩りも致しますが、例会の場合は必ず魚をとって守護女神であるセフウルに捧げるのです。この時期は祭りの安全と紅白戦の勝利を願っての狩りをしておりました。それに、貴族の狩猟会では配下の者に代理をさせることも多いものです」


 というので、エーメスを伴って行ってみることにした。

 途中、祭りの準備で色々あったが、すぐに当日となる。

 迎えに来た船に乗り、湖の北岸に向かう。

 メリエシウムに出迎えられて、俺達は狩り場に入った。

 ここは丸い湖の一部が侵食されて、陸地に食い込んでいる淵に、立ち枯れの木がいくつも並んでいる。

 その中ほどに一人ずつボートで漕ぎ入り、小さな銛を抱えてじっと待つ。

 鯉が頭を出したところを、銛でつくというわけだ。


「この狩りは、いかに少ない投擲で獲物を取るかにかかっています。団長はいつも一撃で仕留められます」


 とエーメス。


「へえ、俺でも百回ぐらい投げればどうにかなるかな?」

「それほど投げては、魚が恐れて寄ってこないでしょう」

「そりゃそうか」


 はじめに騎士が一人、挑戦する。

 彼は三投目で獲物を仕留めた。

 ここの鯉はかなり警戒心が強く動きも素早いとかで、難易度は高めらしい。

 ついで別の騎士が、四投。

 最後に団長のメリエシウムが挑む。


 小舟の縁に立ち、静かに呼吸を整える。

 小柄なメリエシウムが、深呼吸する度に、水面の波は消え静寂があたりを支配する。


 メリエシウムは音も立てずに構えた銛を投げる。

 さっと飛沫が上がるが、反応がない。

 どうやら、外したようだ。

 続いてもう一投。

 今度は見事に仕留めた。

 その後、エーメスが俺の代わりに、客人として狩りをする。

 こちらは一投で仕留めた。


 狩りを終えると、俺達は船を乗り換えて砦に向かう。

 隣り合わせたメリエシウムと会話を交わす。


「エーメスに負けてしまったようですね、紳士様の薫陶が行き届いているのでしょう」

「彼女自身の訓練の賜物。よい従者を得たと感謝しておりますよ」

「私もなおの精進をせねばなりません。これが狩りではなく戦場であったなら、二投目は無いかもしれないのですから」


 そりゃまあ、そうなんだろうが、いささか真面目すぎないかね。

 考えが顔に出ていたのか、メリエシウムは自嘲気味にこう言った。


「その……、おもしろみのない娘だとお思いでしょう?」

「まさか、団を背負う重責は私の想像の及ぶところでは無いでしょう。立派な心がけです」

「ありがとうございます。でも、今日はどうも緊張してしまいました。紳士様に見られていると思うと、心が乱れてしまったようです」


 あんた、それは恋ってもんだよ。

 と言いたいところだが、彼女の場合は単に異性に免疫がなさすぎるんだろうな。

 出会った頃のエンテルも似たような感じではあったが、あいつの場合は社会人としてのキャリアがしっかりしていたせいか、トータルではバランスが取れてたからな。

 単に行き遅れてただけというか。

 こちらはいささか閉鎖的な環境と使命に縛られて、かなり余裕が無い気がするなあ。


「あなたのように、ごりっぱな実績を上げられた方に、良い所を見せようとして、体がこわばってしまったのですね。己の心ひとつとっても御し難いというのに、団を率いることの困難さを思うと己の未熟さが口惜しくなります」

「あなたはとても誠実な方だが、部下の心はあなたの心とは別のもの。彼らは皆それぞれに優秀で、己自身の考えを持って行動できます。あなたはそれにただ一言、指示を与えればよいのです。多くを背負いすぎるものでは、無いと思いますよ」

「ええ、そうなのでしょうね。ごもっともなお話だと思います。今後も未熟な私をお導きください」


 そう言って深々と頭を下げる彼女の表情はちょっと暗い。

 うーん、話の持って行き方を間違ったかな?

 しかし、誠実なのはいいんだけど、度を越した真面目さは、他人にまで無用なストレスを与えることもある。

 彼女の場合は、ちょっときわどいラインかもしれない。

 しかもそれが、こんなに可愛くて、俺にちょっと好意を持ってそうに見える女の子なわけだ。

 何とかしていい感じにフォローしてあげたくなるじゃないか。

 そんなことを一息に考えて、俺は彼女の手を取る。


「顔を上げてください。お互い未熟な身、共に考え、知恵をわかちあいましょう」

「お心強いお言葉、ありがとうございます」


 船に揺られながら、俺達は会話を続ける。

 会話の中で、なにか糸口を掴みたいところだな。

 メリエシウムは思ったより饒舌で、いろんなことを話すのだが、それは予想通りすべて騎士団での事だった。

 いついつの水害で漁師たちと協力して土嚢を積んだとか、どこそこの村で凶暴な熊を退治したとか、そういう話だ。

 きっと普段から仕事のことしか考えてないんだろう。

 ますます、可愛くなってきた。

 なるべくちゃんと聞いてやろうと、一生懸命相槌を売っていると、不意に俯いて、


「あの……」

「どうしました?」

「もうしわけありません。自分のことばかり話してしまいまして」

「そんなことはありませんよ、あなたが騎士の職務に誠実に臨まれていることがよく分かる。あなたのような立場にはそれこそがもっとも大切でしょう」

「そう言っていただけると、どれほどの励みになるか……」


 そう言って彼女は少し頬を染めて俯く。

 彼女の様子は、親や先生に話を聞いてもらいたがる子供のようにも見える。

 つまり依存できる相手を欲しているのだろうか?

 幼くして団長という立場についた彼女であれば、その欲求はわからなくもない。

 リーダーはいつでも頼られる立場だからな。

 じゃあ、頼れるお兄さん路線で攻めてみようかな?

 などと考えつつ、鼻の下を伸ばさないように気をつけながら、そんな彼女の横顔を見守っていると、砦についた。

 今日は中にはいらずに、そのまま掘をすすみ、森のなかで上陸する。


「この先に湧き水があるのです。その水を汲んで今日の獲物とともに女神セフウルに捧げ、狩りの成功をご報告いたします」

「なるほど」

「客人があるときは、お手伝いをお願いしております。よろしいでしょうか?」

「喜んで」


 お供の騎士を残し、俺とメリエシウムは森の小道を進む。


「綺麗なところだ、この国は街も立派だが緑も多くていいものですね」

「クリュウ様のお国は東方と聞いておりますが、あちらも森が豊富だとか?」

「そうなんですが、町中は木々を伐採しきって建物しか見えないのですよ」

「まあ、それは寂しいものですね。私はこうした緑に囲まれて過ごすのが、好きなようです」


 話すうちに目的の場所についた。

 湧き水がつくる小さな沼で、そのほとりに白い石造りの女神像があった。

 メリエシウムは持参した手桶に水を組むと、柄杓ですくって女神像にかける。

 まるで墓参りみたいだなあ、と思いながら見ていると、メリエシウムは女神像の前の台座に今日の獲物を生きたまま置き、ナイフでエラのあたりを断つ。

 にじみ出る鮮血が台座を濡らす。

 その前で念仏を唱えて、メリエシウムは女神へのお供えを終えた。


「ありがとうございました、おかげで本日の狩猟会も無事に終えることが出来ました」

「お役に立てて光栄です」

「あの、紳士様」

「何でしょう」

「私、今日のお礼に、次の紅白戦ではあなたに勝利を捧げたいと思います。もし勝てたら……受け取っていただけますか?」

「もちろん」

「私……騎士でありながら、まだどなたにも勝利を捧げたことがないのです。ああ、こうして誓をするだけで、すごく胸が熱くなってきます」

「私もですよ」

「どうか、見守ってくださいませ」


 可愛いんだけど、どこか脆そうな彼女を見ていると、不安になってきた。

 今度はいつぞやの飛び首退治のお姫様、エンシュームのことを思い出す。

 だが、彼女には優秀な側近や、離れていても理解のある姉が居た。

 道に迷うことはあっても、踏み外すことはないだろう。

 だけどこの子は、ちゃんとそばに誰か居るのかなあ、とまあ、そのことが不安に感じるわけだ。


「少し、寄り道をしてもよいでしょうか」

「構いませんよ」


 メリエシウムが案内したのは、藪の間の獣道を分け入ったところにある、大きな巨石だった。

 石には無数の傷が刻まれている。


「幼いころ、ここで先代の団長から剣の指導を受けたのです。鉄の棒を振って、何度もここに切りつけました。厳しい修行で指の皮は破れ、血の滲んだ鉄棒はいつも黒ずんでいました」


 そう言って、彼女はじっと自分の手を見る。


「今では私の手は硬く、分厚い皮で覆われ、どれほど剣や槍を振るっても痛むことはなくなりました。この大岩を砕く力さえ、あると思います。ですがいかに修行を積んでも、終わりはないのです。いつか……私の使命が果たされるまで……」

「真実を解き明かすまで、ですか」

「はい。ですが、真実とは何なのか……いえ、それ以前に、もしも今ある常識がくつがえることにでもなれば、逆に苦しむ人も出るかもしれません。そうなった時に、私は果たして、その真実の重みに耐えられるのかどうか……」


 白象の醜聞とやらには、国や教会も関わってるわけだ。

 どっちに転んでも、面白くない結果になるかもしれない。

 そんなところまで、この子が背負い込む必要もないと思うんだけどな。

 話題を少し変えてみようか。


「もし、その時が来たら、騎士としての使命を終えたら、なにかなさりたいことはあるのですか?」

「え?」


 メリエシウムは、予想外のことを聞かれたといった顔で、驚く。


「それは……、その……秘密です」


 と次第に顔を赤らめ、俯く。

 こういうところは、普通の女の子だなあ。


「紳士様は、試練を終えられたらどうされるのです?」

「私は……そうですね、実はここだけの話ですが、紳士の試練は、私の従者たちのために臨むのです。彼女たちにふさわしい主人であるために、その称号を欲するまでのこと。ですから、それを得てしまえば、あとはまた商人としてこの街で暮らすもよし、あるいは冒険者として再び旅に出るもよし、ただそれだけのことなのです」

「では、紳士様には成し遂げたい使命はないのでしょうか?」

「ありますよ。私はただ、私の従者たちと共にある、それだけが自分の使命だと思っています」

「共に?」

「ええ。私は幼いころに両親を失い、ついで育ててくれた祖母を亡くしました。この国に来るまで、天涯孤独の身だったのです。そんな私の家族となってくれた従者たちとともにあり、彼女たちと生きることだけが、私が自分に課した使命といえるでしょう」

「そうでしたか。すこし……羨ましく思います。私は幼い頃からリーダーたろうとしてきましたが、紳士様のようなお考えに至ったことは一度もありませんでした。私の周りにはいつも年長で心身ともに練達した立派な騎士が多く居ました。彼らの助けがなければ今も騎士団は成り立ちません。そんな私が人の上に立つことが本当にできるのでしょうか……」


 そう言って遠くを見るメリエシウムは、どこか寂しそうだった。

 なるほど彼女は、いつまでたっても周りに依存する自分に不甲斐なさと物足りなさを感じているのか。

 まあ、団長という立場にありながら、周りに頼るばかりの自分と言う認識ではストレスも溜まるわなあ。

 つまり、彼女を崇拝し、頼る人間が必要なわけだ。

 さて、どうにか元気づけてやりたいが、そういうことにおあつらえ向けの、頼りない男が一人いたな。


「そういえば……先日、王立学院に通う若い知人がこんなことを言っていました。年長の生徒をエルダーナイトとよび、主従の誓いのまね事のようなことをして自分だけの騎士として、関係を結ぶのだとか」

「まあ、そのようなことが。ロマンチックですわね」

「どうでしょう、私のエルダーナイトに、なってもらえませんか?」

「え!?」

「年齢こそ私が上ですが、私は剣の腕がまったくなっておりません。あなたのような強い騎士に守っていただけると思えば、きっと何があっても、心の支えとなるでしょう」

「私が? 紳士様の支えに?」

「ええ、そうです」

「よろしいのですか? 私などで」

「お願いします」

「私が……紳士様のお力になれるのでしたら、喜んで」

「では、私の故郷のスタイルで、契約の真似事をしましょう」

「故郷の?」

「指切りといいます。こうして小指を絡めて、誓いを立てるのです」

「まあ、なんだか、可愛らしいやり方ですね」

「子供から大人まで、親しい間で約束を交わすときに行います」


 そうして俺達は誓のまね事を交わす。

 血を交わすのでもなければ、もちろんアレなことをするわけではなく、ただ形だけの真似事だが、それだけで、彼女はとても喜んでくれたように思える。

 それがほんとうに彼女に必要なものかは分からないが、今俺がしてあげられるのはこれぐらいなんだよな。

 どう転ぶかはわからんが、どうにかしてあげたいという気持ちはたしかにある。

 今はその気持に、素直になっておこう。




 その後、砦に戻って例の寒空の下でのささやかな会食を行う。

 風は冷たいし、石造りのテーブルも冷たいし、出されるワインも冷たい。

 やっぱここだけはどうにかして欲しいところだなあ。


「そういえば先日、赤竜のローン殿からお聞きしました、紳士様はかの飛び首退治の際、目に見えぬ飛び首を察知して倒されたとか。どのような術を用いられたのでしょう?」


 と会食に同席したエーメスの元上司、クメトスが尋ねてくる。


「あれは私の従者である馬人の娘が、見えぬものを見る力を持っておりまして。その力に助けられたのですよ」

「なんと、そのようなことが。良い従者をお持ちなのですね」

「私は自分一人では何もできぬ半端者ですので、いつも彼女たちに助けられています」

「失礼ながら、紳士様とは女神の盟友と称せられるだけのお力をお持ちなのだと思っておりましたが」

「そういうものも居るでしょう。ですが私も従者たちの力を合わせれば、それに劣らぬ力を発揮できると、信じておりますよ」


 クメトスは、ちょっと杓子定規なところがあるよな。

 彼女はメリエシウムの教育係でもあったそうだし、メリエシウムの生真面目さもそこに影響を受けているのかもしれないな。

 まあ、そういうのも嫌いじゃない。


 狩りの獲物の魚は、葉っぱを敷き詰めた大きな鍋で蒸し焼きにする。

 いささか野趣が溢れすぎた料理で、やっぱりここの連中は文化面でちょっと問題があるよな。

 それでもほかほかと湯気を立てる魚は、暖かいというだけでうまかった。

 人心地ついたところで、五番隊の副長、白象では筆頭代理とも言うそうだが、そのユルーネが話しかけてくる。

 彼はちょっとオカマっぽい若者で、エーメスとは特に仲が良かったという。


「ねえ、紳士様。エーメスったらあんなに鯱張った偏屈者だったのに、あっという間にこんなに色っぽくなっちゃって、いったいどんな魔法をかけたのかしら」


 と色っぽく尋ねる。

 色っぽいというか、セクハラおやじっぽさがあるな。

 俺と気が合うかもしれん。


「わ、私も気になります、エーメスは本当に美しくなりました」


 とメリエシウムまで乗って来た。

 それはいいんだが、答えにくいじゃないか。


「なに、朝一番に、おはようの挨拶を交わすだけですよ」


 回りくどく答えると、


「それだけですか? 私も毎朝、皆と挨拶を交わしていますが」


 そう言って首を傾げるメリエシウムに、ユルーネが、


「団長ったら、いつまでもおぼこねえ」

「ど、どういうことでしょう?」


 口を尖らせて尋ねるメリエシウム。


「朝一番に挨拶を交わすにはどうしなきゃならないと思う?」

「どうって……あ……」


 言葉の意味に気がついた団長殿は、耳まで真っ赤にして顔を伏せる。

 かわいい。

 かわいいが、この調子じゃ、なかなかリーダーとしての威厳を保つのは難しいのかもしれないなあ。


「おほんっ」


 クメトスがわざとらしい咳払いをして、気分を切り替える。

 騎士団同士の紅白戦のことや、縄張りの話題になった。


「我らはそれぞれに使命を帯びて結成されたとはいえ、その目指すところは国家の安定と国民の平和なのです。であるならば、火急の際には縄張りなど捨ててでも、解決に当たるべきではないでしょうか」


 とメリエシウムが言うと、クメトスが、


「ですが我らの能力もまた有限のもの、縄張りという制限は、我らが十分に力を発揮できる物理的な限界をも表しています」

「その判断は、杓子定規に決めるのではなく、その都度判断すべき問題ではないでしょうか?」

「そうかもしれません。ですが精神的な問題もあります。縄張りはまた、互いの所属意識を高めてくれるものでもあります。人は心に従って動くもの。とくに騎士にとって、名誉とは何者にも代えがたい力となるのです。その拠り所である騎士団は、決して自分たちの土地と切り離して成り立つものではありません。それを無視して、騎士は勇気ある行動をとれるものではないでしょう」

「それはわかるのですが……」


 クメトスは正論を並べるので、なかなかメリエシウムは反論ができないようだ。

 単に正論を論破するだけなら、極端な例外を並べてやればいいんだけど、メリエシウムは別に議論に勝つのが目的じゃないんだろうしなあ。

 彼女はただ、縄張りなんて言う壁を、壊したいだけなんだろう。

 思えば彼女の周りには壁が多すぎるのかもしれない。


「ねえ、紳士様ならどうなさるの?」


 ユルーネがまた俺に話を振る。

 試されてるようで癪だが、強いて答えるならこうかな。


「私は騎士ではありませんから、騎士の立場で問題を論じるのは難しいのですが……」


 と前置きした上で、


「もし私がトラブルに巻き込まれた時に、自分が街にいるか、湖にいるかで頼る騎士団を切り分けるというのは、いささか困難な仕事だろうな、とは思いますよ」

「そうよねえ、そういうのって民衆にとっては面倒よねえ」


 そこでクメトスが、


「ですがもとより縄張りが分かれていれば、然るべき立場の騎士が駆けつけるはずです」

「では例えば……、私が街の湖岸でやくざ者に囲まれて通りがかった赤竜の騎士に助けを求めたとしましょう。彼は私を助けてくれるでしょうが、その時、もし私が運悪く足を滑らせて湖に落ちて溺れたとします。この騎士は縄張りの外だからといって私を助けることを諦めるでしょうか?」

「そんなことは……目の前で溺れれば、助けるに決まっているでしょう」

「でしょうね。ですがこの時、一瞬でも縄張りのことが彼の脳裏をよぎったら、そしてその一瞬の迷いが私の生死を分けることにつながる可能性はあるでしょう」

「その程度であれば命にかかわることは……」

「これが夜のことであったら? わずかの間に、溺れた私を見失うかもしれませんよ」

「そのような事態は万に一つも……」

「万に一つのような事態でも、起こりうることはいつ起きてもおかしくないのです。想像できることは常に起こりうると考えてそれに備えるのが肝要ではありませんか?」


 クメトスは反論を考えているようだが、正論にあぐらをかいていると、こういうあら探しのツッコミに対応できなかったりするもんだ。

 そこで団長のメリエシウムが大きく頷いて答える。


「ありがとうございます、紳士様。私は騎士として、もし騎士の名誉が民の安全を損なう可能性が少しでもあるのなら、喜んで名誉を投げ打って民を救える騎士になりたいと、今あらためて思いました」

「団長がそうおっしゃるなら、あたし達はその意志を受け継ぐだけね」


 とユルーネ。

 彼はどっちの味方なのかよくわからんな。

 クメトスは難しそうな顔をしていたが、


「団長のお志はわかりました。ですが、建前というものは、時に人の意志を上回る力を持つもの。そのこともまたお忘れなきよう」

「心得ています」


 と頷くメリエシウムにちょっとオーバーに話しかける。


「立派な心がけです。我が友人である赤竜のエンディミュウム卿も、同じことをおっしゃっていました。事あるときは、騎士団の垣根を超えてでも民のために働きたいと。両団長が同じ志を持つのであれば、我らは安心して暮らせます」

「まあ、エンディミュウム様が! そのお言葉は万の力を得た思いです」

「あなたのお言葉もまた、伝えておきましょう。彼女もきっと喜ぶはず」


 結論が出たあたりで、宴もお開きとなった。

 うちに帰って温かい料理と酒で一杯やりながら、今日の出来事を思い返す。

 彼女はなかなか難しいタイプだな。

 ちょっとこじらせすぎてるというか、彼女の立場は、彼女個人のキャパを超えてる気がする。

 それでも、同行していたエーメスは、


「いつもはクメトス殿の言葉に頷くだけだった団長が、今日はご自身のお言葉をはっきりと貫いておいででした。ああした姿を見るのは初めてです。ご主人様がなにかアドバイスをなされたのでしょうか?」

「いやあ、特にそういうことは無いと思うが。ちょっと励ましたぐらいかな」

「ご主人様のお言葉は、言い知れぬ勇気と活力を与えてくれます。それは我ら従者だけの、特権のようなものかと思っておりましたが、人間である団長でも、そのお力を得られるのですね」

「そんな大層なもんかな?」

「少なくとも、我らにとってはそうなのです」


 自分の言葉に一人で納得するエーメス。

 そんなことを言われるとかえって心配になってきた。

 彼女が暴走しないように、しっかり見守るようにしよう。

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