第52話 年の瀬(第一章 完)

 白いモヤの中で、俺はプールを探していた。

 いつもの夢だ。

 最近はあいつの夢ばかり見る。

 すぐそばにいるようで、でも、あいつはどこにもいなくて、俺は闇雲に探しまわるだけだ。

 あいつに会って、言いたいことがあるのに。

 どこにいけば、会えるのか。

 会って言いたことがあるんだよ。

 でも……言いたいことって、なんだっけ?




 エンテルの件が一段落ついたころ。

 どんよりとした冬の空の下、久しぶりに神殿の洞窟に来ていた。

 今日の用事は薬草の採取ではない。

 オズの聖女ことリースエルの護衛だ。


「一度、結界の様子を見たいのですが、その護衛をお願いしたいと思いまして」


 との事だった。

 以前設置した結界の定着具合を見るのだという。

 いかに優れた冒険者とはいえ、一人で行動するのは危険だ、と言うのはわかる。

 しかし、それなら勇者がいるだろうに。

 青の鉄人が。


「ゴウドンは、古い友人から誘いを受けて国を出ているのですよ。いつになったら帰るのやら」


 そんなわけで、俺達は彼女の護衛として、結界の確認に赴いたのだった。

 ところがいざついてみると、何やら物々しい。

 バダム翁をはじめ、見慣れた騎士団の面々が並んでいる。


「おお、紳士殿。ロッテルの娘を貰ったと聞きましたぞ。お主に任せておけば、すべて安泰じゃな、ガハハ」


 ロッテルとはエンテルの父の名だ。

 二人は古い友人らしい。

 世間は狭いからな。

 それにしても騎士団がお揃いでどうしたんだろう。

 こういう時は大抵、ろくな事がないんだが。


「先日、アカデミアで奴隷の脱走騒ぎがあったのはご存知か? その時の逃亡奴隷の一部が、この洞窟に逃げ込んだという話でのう、こうして出張っておるのじゃよ」


 ああ、アレか。

 とっくに片がついたのかと思っていたが、そううまくは行かないか。


「困りましたね、どうしましょうか」

「そうですねー、邪魔をするわけにも行きませんしー」


 リースエルとデュースが相談している。

 まあ、そうだよな。

 だいたい、下手に乗り込むと絶対巻き添え食うんだよ。

 しかし、逃げるなら普通、国境じゃないのか?

 なんでまた、こんな洞窟に。


「魔界経由でローゼルに戻るつもりなのじゃろう。街道には非常線も張っておるしな。手引をしたものがおるとみえる」


 魔界経由で帰れるのか。

 そういう発想はなかったな。


「そんな気軽に通れる場所なんですか」

「気軽ではないがの、案内付きで、魔物よけの結界があれば、そこまで危険とも言えん」


 結界といえば、前に張った結界はどうなんだろう。

 専門家のリースエルに尋ねると、


「人は自由に通れますし、弱い魔物も同様にとおれます。しかし、そういうことだと何か干渉されているかもしれません。安定しきっていない結界は、改ざんも可能なので」


 リースエルの話を聞いて納得したふりをしているが、そもそも結界がどういうものかわからんのだよな。

 そんな都合よく強い魔物だけ防げるのだろうか?


「精霊力に呼応して、力場を発生させます。つまり相手の力が強いほど、進行が妨げられるのです」

「うーん、よくわからんけど、磁石みたいなもんかな?」

「そうですね。もしも強さを制御できる磁石があれば、そういうイメージになると思いますよ」


 なるほど、うまく出来てるもんだな。

 納得したところで帰り支度をしようとしたら、デュースが乗り出して宣言する。


「そういうわけですからー、我々も潜るとしましょー」

「え、なんで?」

「いずれにしろー、結界を確認しなければなりませんしー、それなら騎士団もご一緒のほうがかえって安全ですよー」

「そりゃ、理屈じゃそうなんだけどな、絶対なんか巻き込まれるぞ?」

「ご主人様は心配症ですねー」


 というわけで、潜ることになった。

 やれやれだぜ。


 勝手知ったる地元のダンジョンとはいえ、この洞窟も細かい枝道の隅々まで把握しているわけではない。

 四階あたりまで降りると、通路は複雑に入り組み、地図がないと迷う程だ。

 四階と言っても、こうした自然のダンジョンでは厳密に階層がわかれているわけではない。

 長い年月で人の手が入った部分もあるし、元から広がりを持っている部分もある。

 それを便宜的に切り分けているだけのことだ。

 騎士団は篝火を焚き、三人一組となってしらみつぶしに通路を回っている。

 山狩りならぬ、ダンジョン狩りというわけだ。


 俺達はその後ろから、のんびりとついて行っている。

 いつもこれなら、楽でいいのにな。


 順調に五階の広間までついた。

 かつてアヌマールという強力な魔物に襲われた場所を通り過ぎる。


「ここに来るたびに、決意を新たにします」


 少し前を歩いていたセスが、そうつぶやく。

 俺としては馴れ初めの場所みたいな感じで、ちょっとロマンチックな思い出……ってこともないか。

 更に進むと、オルエンが魔物に囚われた場所に出る。


「あれで……私は、生まれ変わったような……ものです」


 オルエンはそう答える。


「あれは僕も大失敗だったねー。まあ、たまにはそういうこともあるよ」


 エレンは飄々として流すが、あの件以来、エレンがこっそり修行に勤しんでいたのを俺は知ってる。

 ほんと、短い間に色々あったもんだ。

 そうこうするうちに地下十階、結界を張った広間に出る。

 なんだか妙に体がムズムズするが気のせいだろうか。


「どうやら、すでに連中は下に抜けたようじゃのう」


 とバダム。

 まあ、あれだけ派手にまわってれば、のんびりしてるわけ無いだろうが。


「すこし波長が乱れている気がします」

「そうですねー、下に大物が控えてるんでしょうかー」


 とデュースとリースエルが物騒な話をしている。


「大物ですか! 腕がなります!」


 とレーンが鼻息を荒くする。


 リースエルの依頼ということで、青の鉄人に会えるのではないかと期待していたのか、レーンは空回りした情熱を持て余しているようだ。

 ちなみに今日のメンバーはこんな感じだ。

 セス、オルエン、エレン、レーン、そしてデュースにリースエル、あと俺。

 リースエルを別にしても、このメンバーなら、神殿の洞窟で手こずることはない。

 そろそろ、潮時なのかもしれないな。

 何の潮時かって?

 そりゃあやっぱ紳士としての一歩を踏み出す時期が来たってことだ。


 逃亡奴隷がいないことを確認し終えたところで、リースエルとデュースが、バダムを交えて何か相談している。

 人事のように言っているが、実際は俺もその場にいて相談に加わっているのだが、適当に相槌を打っているだけだ。

 内容はというと、結界の効果を確認するために、もう少し下まで潜りたい、ということだった。

 だが、結界の先に何がいるかはわからない。

 バダムいわく、騎士団は出せないとの事だった。

 結局、バダムが個人的に、有志で協力してくれることになった。

 回りくどいが、そういうもんなんだろう。

 俺は別に反対はしませんけどね。


 改めて隊列を組み、先に進む。

 バダムを加えて、八人のパーティが洞窟を進む。

 ここより先は初めての領域だ。

 大きな竪穴にそって、崖沿いに小道が続いている。

 落っこちたらひとたまりもないな。


「古い調査では、この穴は鉄の層まで続いておるそうじゃ。落ちたら、まず助からんな」


 そう言ってバダム翁はガハハと笑う。

 そういうこと言ってると誰か落ちるぞ?

 主に俺とか。


 緩やかな下りを進むと、少し開けたところに出た。


「ここでいいでしょう。三十分ほど、お時間を頂きます」


 とリースエル。

 吹き抜けの洞窟は見晴らしがいいこともあり、俺達は一箇所に集まってリースエルの作業を待つ。

 だが、しばらくするとじわじわと体の具合がおかしくなってきた。

 不調というわけではないんだが、何かこう、尻の穴がむずむずするような……。


「大丈夫かい、旦那。ちょっと息苦しそうだけど?」


 すぐ後ろにいたエレンが声をかけてくる。

 見てわかるほどおかしかったかな?


「どうしました、ご主人様! お疲れですか? 回復でしたらお任せください!」


 腕まくりをして寄ってくるレーンを押しのけて、デュースが俺の顔を覗き見る。


「うーん、なにか変ですねー」

「なにが?」

「ご主人様の波長がぶれていますねー」

「俺の波長ってなによ」

「もちろんー、コアの精霊力の波長ですけどー、なんだかこう、二重に重なってるようなー」


 デュースが首を傾げているうちに、リースエルの調査も終わったようだ。


「皆さん、お疲れ様でした。結界は綺麗に作用しているようです」


 そりゃよかった。


「お疲れ様ですよー、ところでちょっと見てもらいたいのですけどー」


 とデュースがリースエルを俺の前に引っ張ってくる。


「どうですかー、ちょっとぶれてませんかー?」


 リースエルも俺の前に立って首を傾げる。


「確かに、なにか感じますね。守護女神の祝福を受けたあとに、こうしたぶれを感じることはありますが。何か降霊儀式などは?」

「してませんねー。何かに取り憑かれたんでしょうかー?」


 取り憑かれたって、俺は怖いの苦手なんだよ。


「でも、こんな巧妙に重なるのは無理ですよねー」

「一度戻って確かめたほうがいいのでは?」


 ということで、後始末もほどほどに、地上に戻ることになった。

 忙しないな。

 だが、来た道を戻り始めると、ますます調子が悪くなってきた。

 今度は明確に足が重い。

 オルエンに肩を借りてどうにか歩けるといったレベルだ。

 なんか変なものでも食ったかな?


「少し、休んだほうが良いのでは?」


 前を行くセスも心配そうに立ち止まる。

 たしかに、こりゃ駄目だ。

 体が重い。

 押しつぶされそうだ。

 吹き抜けの天井を見上げると、編目状の光の筋がギラギラと輝いて、俺を威圧している。

 あれが……結界か?


「いけません、結界に反応しています。でもなぜ?」

「これは一度ー、下ったほうがいいですねー、これ以上登るとつぶされますよー」


 意識が朦朧として、周りの声もよく聞こえない。


「……遥か下層からノズの群れが登ってきます! さすがにこの数では防ぎきれませんよ!」

「むう、紳士殿はまだ動けんようじゃ、食い止めるしかあるまい」


 そんな声が聞こえる。

 だめだ、俺のためにみんなを危ない目に合わせるわけには……。

 わかってるだろう、いい加減に駄々をこねるのはよせ、プール!


「プール? プールなんですか、ご主人様に取り憑いているのはー、ご主人様ー、意識をしっかりもってー、ご主人様ー」


 デュースの声を聞きながら、俺は意識を失った。




 気が付くと、世界は闇に飲まれていた。

 空を見上げると網目状の光の筋が、無限に広がっている。

 複雑な文様が木の枝のように四方に広がる。

 あれを伝っていけば、どこまでもいけそうな気がするのに、どうもあの枝は茨のようにトゲだらけで、近づくことを拒んでいる。

 まるで、世界を断絶しているかのようだ。

 あれは……なんだろう。


 そして俺の前に浮かぶ、褐色の少女。

 その背中は、まるで抜け殻のように空っぽで、俺はたちまち後悔の念に押し殺されそうになる。


「よう」


 俺が声をかけると、少女はうつろな眼をこちらに向ける。

 どこまでも深くくぼんだ真っ黒な瞳に、赤い炎が燃えている。


「大きな……壁」

「そうだな」

「地上と魔界、過去と未来、世界と世界を隔てる、永遠の楔……」

「楔?」

「世界の流れを拒んだ彼女らの罰。彼女らは永遠に匣の中に囚われる……」

「お前も、そうなのか?」

「そうだ、妾もまた……自然の摂理をゆがめた罪の報いを受ける。女神はそこにいるのに、その大いなる祝福を拒み、闇の声に耳を貸せば、魂は闇の衣にとらわれる。ホロアも人も、全てのペレラールの民は罪を負う……」

「ホロアもって、それは一体?」

「貴様が、我らの贖罪なのだろう? いや、女神は褒美だといっていたな。ふふ、言えて妙なものよな……」

「俺が褒美? 何を言ってるんだ、プール。お前の言ってることは、いつもわからん!」


 思わずそう叫ぶと、プールの姿はかき消えた。

 あとには声だけが残る。


「妾の……罪の償いを……」


 プールの罪ってなんだ?


 彼女の、プールの国は、父親である魔王エデトの死とともに、失われたと聞く。

 当時、彼女の国は未曾有の天変地異に襲われていた。

 偉大な魔王であった父も、その厄災の中で命を落としたという。


 その父亡き後、国を守るために、彼女は女神と契約をした。

 女神を召喚し、その奇跡をもって国を救ったのだ。


 だが、巫女でもない彼女が神を降臨させた代償は大きかった。

 魂まで残さず砕け散るはずの彼女の体は、女神の慈悲を持って、石に変えられた。

 そうして救いの時を求めて、三百年もの間、彼女の魂は石像に封じられていたのだ。


 何故か俺はそのことを知っていた。

 プールのことならなんでも分かる。

 あいつはあの時からずっと、俺と一緒にいたんだから。

 俺の胸元に飾られた精霊石の中に……。


 ああ、そうか、知ってたのに気が付かなかったよ。

 あいつはずっとそばにいたんだな。

 何度も俺を助けてくれて。

 なのに俺ときたら、いつまでもほったらかしで。

 あいつの償いとやらはわからんが、俺はあいつに借りがあるんだ。


 その時、一陣の風が吹き、何もかも吹き飛ばしてしまう。

 気がつけば俺は一人、白いモヤの中にいた。


「何をためろうておる、なぜ、その娘を抱きしめてやらぬ」


 いつものハスキーボイスだ。

 世界の果てから響くような声が俺に決断を促す。

 そうだ、俺はプールを……。


「ホロアでなければ、安心して抱けぬか? 無条件にお主を慕う娘しか、受け入れることはできぬか?」


 いや……そんなことはないさ。

 俺にだって、ほしい物ぐらいある。


「ならば、できるであろう」


 俺が生まれる前から知っていたはずの、聴き馴染んだハスキーボイスは、いつもより少し優しく、そう言った。


 ああ、できるとも。

 俺は大きく頷いて、両手を天に伸ばす。

 そのまま優しく抱きかかえるように両手で空を包み込むと、温かい感触があった。

 そう、そこにはプールの姿があったのだ。


「よう、やっと捕まえたぜ」

「やっと、捕まったな」


 そう言って微笑むプールのやつれた顔には、みるみる生気が蘇ってくる。

 俺の手の中で、まさに彼女は生まれ変わったのだ。


「これで、お前は俺のもんだ。いいだろ?」

「もとより妾は貴様のもの。なんのためらいのあろうものか。それが女神の言う、褒美なのであろう」


 今ならわかる。

 己の身を捧げて国を救った彼女への、ささやかなご褒美が、たまたま俺だったのだ。


「たまたまなどであろうはずがない。女神はすべて知っている。我らにはそれがわからぬだけ」

「そうなのかもな」

「永い眠りの中で貴様を見ていた。異なる枝の下、家族を失い、孤独に耐える貴様の姿を。貴様を慕う娘達と重なり、喜びを得る姿を。これからは妾も、その身を飾る花となってその人生を彩ろう。妾の見せる幻は、貴様にとってだけは真実となるように……」


 俺達はそのまま、生まれたままの姿になって絡み合い、一つになる。

 神聖な契約を交わしたのだった。

 いつの間にか、あたりは元の洞窟に戻っていた。


 そして、俺の腕の中にはプールがいた。

 はじめて会った時より、少し大人びた悪魔の姿で。

 うーん、こっちが元々の彼女の姿なんだな。

 それにしてもまったく、ずいぶん苦労したぜ。


「いつまでそうしておる」

「へ?」

「いつまで人前でそうしておるつもりだ!」


 あいてっ!

 そう言ってプールは突然俺を蹴飛ばした。


「ふん、ベタベタしおってからに、身の程をわきまえよ」

「ははーん、おまえ、照れてるな」

「なっ! ななな、なにをばかな」

「お前の考えることなんて全部お見通しなんだよ。」

「ば、ば、ばかを申すな! 妾は気高き魔界の王の娘、プールなるぞ!」

「はいはい。あと俺の従者って肩書も足しといてくれ」

「三百年早いわ、このうつけめ!」


 まったく、世話のやけるやつだ。


「ご主人様ー、プールを連れて無事にもどったんですねー、よかったですよー」


 俺に膝枕をしていたらしいデュースがそう言って俺を抱きしめる。

 なんか心配かけたみたいだな。


「ご主人様、意識が戻ったのですか?」


 駆け寄ってきたセスが叫ぶ。


「ノズの群れが迫っています。急いで撤退を」


 そういや、そんなことを言っていたような。


「どれ、世話のやける奴らだ」


 そう言ってプールがふわりと宙を滑空すると、魔物のいる方へと飛ぶ。

 俺達も慌てて後を追うと、すぐそこまでノズの群れが迫っていた。

 以前、青の鉄人がやっつけたのと同じ、いわゆる上位種というやつだ。

 その手前に降り立ち、軽く手を上げると、たちまち鉄の壁が地面から突き出し、通路を塞いでしまう。


「これで多少は時間が稼げよう。さあ、今のうちに戻るがいい。ただの幻影とは言え、しばらくはもつ」

「え、終わり? なんか今からドンパチするんじゃないの?」

「物騒なやつだな。妾は平和主義者なのだ」

「なんだよ、気が合うじゃないか。さすがは俺の従者だな」

「ふん、調子のいいことを。さあ、皆が待っておるぞ、行くがいい」

「そうだな、さっさと帰るか」


 だが、プールはその場に立ち止まったままだ。

 どうした?


「なんでもない、早くいけ」

「お前、もしかして……」

「彼女はー、連れてはいけませんよー」


 そう言ってデュースが俺の肩に手を置く。


「今までの彼女は全部幻影だったんですねー、今実体を前にしてわかりましたがー、あれだけ強固な幻影の壁を作る魔力といいー、彼女は精霊力がつよすぎますー、これでは結界は越せないんですよー」

「そうか……だったらしょうがないな。俺も残るか。」

「何を馬鹿なことを抜かしておる。貴様には多くの従えるべき従者が残っているだろう」

「お前だってその一人だろうが。だいたい、手ぶらで帰ったらアンにどやされる

「そうですよねー、そう言うと思いましたよー。とはいえ、あてもなく魔界を抜けて出口を探すのは困難ですねー、この国はあまり魔界とつながっていませんしー」


 とデュース。

 う、やっぱりそうなのか。

 例の逃亡奴隷の連中みたいにさくっと抜けるとかないのかな?


「抜け道はありますけどー、結界もありますからー、無い穴もあるんですけどー」


 そりゃそうだよな。

 しかし、いまさらプールを手放す気はないぞ。

 こいつは俺のもんだ。


「わがままを申すな。一度主従の契りを交わしたからには、どこにいようともそれは変わらぬ。そうであろう?」


 柄にもなくプールが諭すように語りかけてくる。

 だが、そんな意見は却下だ。


「紳士様……詳しいことはわかりませんが、彼女を連れて行きたいのでしょう。でしたら、手はあります」


 とリースエル。

 ほんとに?

 じゃあ、それをぜひとも!


「だめですよー、あなたにそんな迷惑はかけられませんよー」

「デュース、私に迷惑だなんて言わないで頂戴。あなたには返しきれない恩があるのよ。恩が気に入らなければ友情だと思って」

「リースエル……」


 そこまで言って、リースエルはバダム翁に向き直る。


「そういうわけですので、よろしいでしょうか」

「よろしいもなにも、わしもこの頃、耳が遠くてな、何も聞こえておらん。用が済んだなら帰るまでじゃ」


 そう言うとバダム翁はさっさと上に去ってしまった。

 なんだかよくわからないが、借りを作ったらしい。

 まいったな。


「では、急ぎましょう。彼女の力を私の結界で極限まで抑えこみ、結界を通します。実は先程も紳士様の意識が戻らなければ、同じ方法で抜けるつもりでいたのですが……とにかく時間がないので急ぎましょう」

「そんな手段が! しかし、迷惑がかかるというのは?」

「強力な魔物を国内に招き入れたとなれば、それは大きな罪になりますよー」

「そりゃいかん。そんなことは頼めんだろ」

「今は他に手がありません。私も、そしておそらくはバダム卿も、あなたに借りがあるということです。それは命をかけるだけの価値がある、借りなのですよ」


 そんなことを言われても、なんと返していいのかわからない。

 俺よりふた回りは年上のリースエルの言葉には、俺なんかでは反対できない威厳がある。

 さすがは聖女と呼ばれるだけのことはあるのか。

 悩んでいても仕方がない。

 今は、その言葉に甘えよう。

 よろしくお願いしますと頭を下げると、リースエルは茶目っ気のある笑顔で微笑んだ。


「ありがとう、紳士様。でも、こういうイタズラは、本当は大好きなんですよ。なんといってもデュースの仕込みですから」

「人聞きの悪いことを、言わないでくださいよー」


 とデュースは苦笑いしている。


「無茶をする連中だ。どうなっても妾は知らんぞ」


 いざとなったら俺が責任を取る。

 どう取れるのかわからんが、とにかく、どうにかしよう。

 リースエルの術をプールに施すと、俺達は急ぎ足で地上に向かう。

 結界は実にあっけなく通れてしまった。

 こんな術があるんじゃ、結界なんて意味が無いんじゃ?


「私の作った結界は、私か私より圧倒的に上位の術者でないと通れませんから」


 なるほど、とにかくこの人にも借りを作っちまったな。

 いや、いまさら貸し借り言っても仕方がない。

 今は素直に感謝しておこう。


「あなたのような人がデュースの主人で、本当にうれしく思いますよ」


 結界を抜けると、バダムが騎士団とともに待っていた。


「紳士殿、ご無事じゃったか。ならば早々に戻るとしよう」


 俺はバダムにも黙って頭を下げた。

 彼も黙って頷き返す。

 うん、これでいいのだ。

 急いで帰ろうと歩き出すと、後ろから袖を引かれた。

 プールだ。


「ほれ、アレをよこせ」

「アレ?」

「く、首輪じゃ、首輪。アレがのうては地上で妾を従えることもできまいに!」


 おっとそうだった。

 荷物を漁って、隷属の首輪を取り出す。

 これだけはいつも持ち歩いてたんだよな。


「女神との契約だからな、仕方なくつけてやるのだ。わかったな!」


 わかってるよ。

 こんなものがあろうがなかろうが、お前はもう、俺のもんだからな。

 プールに首輪をはめると、一瞬光を放ち、すっと彼女の首に収まる。

 これでよし、と。


「お疲れ様ー、めでたく十五人目をゲットですねー」


 そう言ってデュースたちがそばに集まってくる。


「む、よくよく見れば貴様はあの時の魔導師、よくも妾に電撃など……」

「わたくし、レーンと申します! 同じ主人に仕える者同士、仲良くいたしましょう! どうかよろしくお願いします!」

「な、なんだ、わらわらと集まってきおって、わ、妾は……」

「はいはいー、結界の確認も終わりましたし、早く帰りましょー。年越しの支度もしなければなりませんしねー」

「まて、妾は、わらわはっ!」


 いつものメンツの中にプールもいる。

 もう、随分前からこの光景を待ち望んでたんだなあ、としみじみ思う。

 今までなぜ姿を見せなかったのかとか、気になることは色々あるが、今となってはどうでもいいや。

 そういうことは、気にしないタイプなんだ、俺は。


(そうじゃな、お主はそれで良い)


 ふと、そんな声が聞こえた気がした。

 気のせいかもしれないが、そうじゃないかもしれない。

 それもまあ、大した問題じゃない。


 俺達はさっさと薄暗い洞窟をあとにした。

 いつの間に晴れたのか、空は澄み渡る青空だった。

 雪景色とのコントラストが眩しい。

 なんだか、うずうずしてくるな。

 さっさと帰って、フルンと雪遊びでもしてやるか。

 そして夜には、暖炉の前で、みんなを交えてしっぽりと。

 いいねえ。


「また、へらへらとしおって、つまらぬことを考えておるのだろう」


 ちゃっかり隣を歩いているプールが絡んでくる。


「まあね、うちに帰ってどうやってお前とイチャイチャしようか考えてたんだ」

「なっ……。ふん、好きにせよ、この身はすでに貴様のもの、見苦しい真似はせぬ」

「嬉しいくせに」

「ば、バカを申すな、妾はそのような!」


 照れるところも可愛いなあ。

 苦労してゲットした甲斐があるってもんだ。




 それからしばらく過ぎて、年越しの夜。

 この街での年越しは、家にこもって過ごすらしい。

 そして零時を過ぎたらみんな街に繰り出し、騒ぐのだという。

 朝も早くからアンはみんなに指示して支度に追われていた。

 いつもながらせわしないな。

 俺はといえば、ベッドの上でふんぞり返っていた。

 下手に動くと邪魔だというのである。

 ひどい扱いだ。

 その右隣には、相変わらず家事一切ができないエク。

 反対側には同じく筋金入りのお姫様育ちだったプールが座っている。

 まるでひな壇のようだ。


「まこと、市井の年の瀬というのは賑やかなものでございますね」

「まったくだ、魔界ではもっと厳かに新年を迎えていたものを」

「お城でも年越しの夜は、聖歌を捧げて過ごしておりました」

「さよう、妾も厳かな晩餐のあとは、静かに女神アウルへの祈りを捧げたものだ」

「魔族の方は、アウル様をご信仰なされるのでありましょうか」

「うむ、いにしえの聖戦の後、その軍門に降ってからは、我らは女神アウルの忠実なしもべとして、地底に栄えると誓ったのだ。その誓は、今も守られておる」

「美しい信仰でございますこと。さぞ女神様もお喜びでしょう」


 この二人が俺を挟んでこんな風に会話し続けているものだから、すっかり疲れた。

 だれか、癒やしを……。

 俺の心の悲鳴を聞きつけたのか、ウクレがお茶を入れてきてくれた。


「ご主人様、お茶をどうぞ。お二人もご一緒に」


 そう言って三人分のお茶を差し出す。


「おお、ウクレ。気が利くではないか。よし、お主もここに座れ。同じ首輪持ち同士、親睦を深めようではないか」

「あの……まだお仕事が」

「少しぐらい構わぬ。ええい、狭いベッドだのう。そうだな、よし、ここに座れ」


 そう言ってプールは俺の膝を指し示す。


「で、でも……」

「しょうがないな、ほれ、座れ」


 そういって膝をポンと叩くと、ウクレは恐縮しながらそこに座った。

 あの一件以来、ウクレもすっかり俺に、というかアンになついてくれた。

 おかげで、他の従者と区別せずに接することができている。

 むしろ今俺の両隣に侍っているお二方のほうがよほど神経を使うよ。


 そのまま、しばしまったり。

 ウクレは俺に抱っこされながら、かしこまって俺の分のお茶をすする。

 平和だねえ。

 静かにエクが賛美歌を歌い出す。

 澄み渡るようなソプラノが、女神を称える。

 ああ、これは厳かな雰囲気になるね。

 膝に抱きかかえたウクレの感触で、じわじわと盛り上がりかけていた俺の男の子成分が静まっていくのを感じるよ。


 いつの間にか、プールも歌い出した。

 絶妙にハモっていい塩梅だ。

 家事はできなくても、そんなハイカラなことができるとは。

 気がつけば、うちにいた他の従者たちも仕事の手を休め、聞き入っている。

 なるほど、これは厳かに年を越せそうだ。


 女神が世界樹の蕾に息を吹き込むと、世界が花開いた。

 女神が大地に乳房を絞ると、百万のホロアが生まれた。

 女神が最後に種をまくと、世界に人があふれた。

 そして女神は去り、世界の楔となった。


 そんな意味の、創世の三柱を称える歌だった。

 歌い終えたあともうっとりと余韻に浸っていると、いつものけたたましい声とともに、家で一番元気なのが飛び込んできた。


「ご主人様ー、鳥あったよー、でっかいのー、ちゃんとみっつ買ってきたよー」


 そう言ってシメたばかりであろう大きな鳥をぶら下げて、フルン達が帰ってきた。

 お使いご苦労さん。


「あ、ウクレ抱っこされてる、私も!」


 そう言って飛びかかってくる。

 よしなさい、このベッドは脆いんだから、あ、うわ、ぎゃあ!

 飛びかからられて、俺は隣のプールを巻き込んで転がり落ちる。

 ウクレはちゃっかり避けていたので、結構運動神経がいいな。


「ば、ばかもの、なんというはしたない、お主はそれでも紳士の従者か!」

「うん!」

「もう少し慎みを持ってだな、妾のようにたおやかに」

「じゃあ、プールに抱っこしてもらう!」

「な、なにを、ぎゃー、重い、つぶれる、つぶされるー!」


 プールもいいように遊ばれてるな。


 そちらをほっておいて裏庭に出ると、エレンとオルエンが何か細工物を作っていた。

 そういえば、最近ずっと作っていたな。

 何ができるんだ?


「アシハラの匣だよ。女神様が天から降りてくるときに乗っていた船さ。お正月にはこれを供えて、ご利益を授かるのさ」


 五十センチほどの立方体の表面には、細かい木彫の細工が施されている。

 よく見ると、すべてが小さな女神像の寄せ集めだった。

 そんな細かいもの、よく作るな。


「さて、完成! 旦那が飾ってよ。なんといってもうちの主人だからね。かまどの上に棚が作ってあるからさ」


 言われた場所に、ありがたそうな木彫の箱を飾る。

 とりあえず手を合わせて家内安全を祈っておいた。

 ま、みんな元気でやっていれば、どうにかなるってもんだ。

 夕食のテーブルには、先ほど買ってきた鳥の丸焼きが並ぶ。

 他にも、日に日に乳が出るようになっているリプルが搾ったミルクで作ったシチューや、固くないパン。

 そしておなじみの豆料理がところ狭しと並ぶ。

 これだけのごちそうを今や十六人になった我が家のメンツで取り囲んで、厳かに食事などできるはずもないわけで、飲めや歌えの大騒ぎを繰り広げた。

 ああ、こんな賑やかな年越しなんて、したことあったかな。


「ご主人様にお仕えして、はじめての年越しですね」


 やっと落ち着いて、俺の隣に腰を下ろしたアンが、しみじみとそう言った。

 まだ、あれから一年経ってないんだな。

 色々ありすぎて大変だったけど。


「ほんとうに、まさかこれだけの大所帯になるとは、さすがに予想できませんでした」

「まったくだ」

「ふふ、これなら伝説の紳士と呼ばれたレオーヌの二百五十六人のメイドを超える従者を従えることができるかもしれませんね」

「そんなにいたら、名前も覚えられないぞ」

「まさか、ご主人様なら、たとえ千人いても、等しくかわいがっていただけると信じております」


 無茶言うなあ。

 そういうアンも、このところ急に落ち着きが出てきた気がする。

 落ち着きというか、貫禄か。

 これだけの人数をまとめてるんだから、自然とそうなるのかな。


 やがて零時の鐘がなる。

 年越しはこれからが本番だ。

 俺達は街に繰り出した。

 この辺りの連中は皆、公園のそばにある教会に向かう。

 要するに初詣だな。

 教会には切り出した大木が置かれており、参拝に来た人々が小さな木片をそれに打ち込んでいく。

 かつて世界樹の崩壊を救うために、自らの体を楔としてその身を世界樹に打ち込んだ女神たちの神話にあやかる行事らしい。

 マグロにコインを貼るようなもんだろうか。

 教会を出ると、周りにはずらりと屋台が並んでいる。

 年少組はフルンを筆頭に走り回っている。

 まあ、夜更かしは楽しいよな。

 たが、さすがに夜も更けて眠くなったのか、へばってきたようだ。

 そろそろ帰るか。

 皆を促して、休んでいたベンチから腰を上げると、横から声をかけられた。


「あけましておめでとう」

「おめでとう、って判子ちゃん! どっから現れたんだ?」

「お年玉でも貰おうかと思いまして」

「お年玉って、あげてもいいけど、それよりもだな」

「黒澤さん、もう戻る気はないんですね」

「え?」

「なんなら、私からお年玉をあげてもいいですよ? 地球に戻る、片道切符」


 突然、何を言い出すんだ、この子は。

 片道切符って、そんなもの……。


「そう、要らないんですか」

「そうだな。今更、帰れんだろう」

「ま、私には関係のないことですけど」


 判子ちゃんはつまらなそうにそうつぶやく。


「この世界に骨を埋める気なら、それもいいんじゃないですか? 私の仕事も減りますし。ではまた」


 そう言って踵を返して立ち去ろうとするが、ふと思い出したように振り返る。


「そうそう。闘神に依存し過ぎないことですね。あの連中は私やあなたとは違う価値観で生きているでしょう」

「闘神ってなんだっけ?」

「あなたが一番知ってるでしょう。放浪者と闘神は一心同体、永遠のパートナーなんでしょう」

「全然知らんぞ?」

「私が知ってるのは、ただひとつ、あなた達は私達の不倶戴天の敵ってことですよ」

「敵なのか。味方っぽくはないと思ったけど」

「そうですね、あなたはこの閉じた世界で大事な女の子たちと仲良く暮らしなさい。では、ごきげんよう」


 そういって、判子ちゃんはきえた。

 気がつけば再びあたりの喧騒が戻り、周りには、俺の大事な女の子たちがみんな揃っていた。


「どうされました? ぼーっとして」


 アンが不思議そうに尋ねる。


「いや、今、知り合いがね……」

「だれかいましたか? 気が付きませんでしたけど」


 そうか、やっぱり彼女もなにか、特別なんだろうな。

 それともまた、夢でも見たかな。

 他にもよくわからないことはたくさんあるが、そもそも、一番の謎は俺のこのモテっぷりだよな。

 なんか変なフェロモンでも出てるんじゃないだろうな。

 紳士はなんか紳士っぽいパワーにあふれてるそうだけど、自分では全然わからん。

 今更言っても仕方がないが。

 苦笑したところで、鼻先にひやりと冷たいものがあたった。

 雪だ。


「あら、また雪が降ってきましたね。帰りましょうか、ご主人様」


 そういって差し出されたアンの手を握り返す。

 帰るとしますか。

 そしてまた、この異世界で夢の様な日常を、繰り返すとしましょうかね。

 大事なメイドたちと一緒に、ね。



 第一章 紳士と従者 完


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