翼よ、再生せよ
ジェイアラカワ
翼よ、再生せよ
ありていに言って、彼女はとち狂っていたと思う。
「その恰好は何なの?」
僕は彼女にそう尋ねる。彼女はセーラー服の上に、天使の翼を背負っている。セーラー服は学校指定の制服だから、なんの問題もない。問題は、背中に背負っている作り物の翼の方だ。その翼は発泡スチロールをつなぎ合わせてできていた。
「最近、翼が生え変わらないの」
彼女は少し恥ずかしそうにそう答えた。最近生理が遅いの、と言うように。
彼女と時間を過ごして、分かったことがいくつかある。
彼女が翼をつけるのは、放課後の時間だけ。教室で授業を受けている間、彼女はどこにでもいる普通の女の子だ。あくびをしたり、毛先をいじったりしながら、退屈そうに授業を受ける。髪は栗色のボブカットで、彼女にとても良く似合っている。
彼女の翼は、校舎の三階の空き教室に隠してある。放課後、部活の騒がしい声が響く時間になると、彼女は空き教室に忍び込む。掃除用具入れの裏から翼を取り出して、リュックサックを背負うようにしていそいそと身に着ける。それからやることは、日によってまちまちだった。本を読んだり、宿題をやったり、ぼんやりと窓の外を眺めて過ごすこともあった。
一度だけ、彼女の翼を背負わせてもらったことがある。翼の長さは、ちょうど両手を広げたくらいだった。その重さはほとんどなく、むしろ翼を背負っている方が身軽に感じられた。背中を軽く動かしてみると、発泡スチロールでできた羽根の一枚がぽとりと床に落ちた。
ボンドでくっつけただけなの、と彼女は困ったように言った。
まだ小さいころ、彼女には本物の翼が生えていた。もちろん、本当の話かどうかなんて僕にはわからない。彼女の言葉をそのまま借りれば、彼女は翼をもって生まれた。
その翼を使って、彼女は文字通りそこらじゅうを飛び回った。街にひしめく屋根の上を、ビルとビルとの間を、どこまでも続く海の上を、時には本物の鳥たちに混じって。
透明な水のような自然さで、彼女は直観した。私はどこへだって行ける。
年が明け、ゆるりゆるりと寒さが和らぎ、桜のつぼみができ始めていた。春は僕の嫌いな季節だ。否が応でも何かに期待してしまう、春はそういう季節だから。
放課後、三階の空き教室に行くと、彼女が机に突っ伏していた。翼はつけていなかった。
「翼はつけないの?」と僕は聞いた。
「誰かが持って行ったみたい」
彼女は顔を上げないまま、他人事のように呟いた。
「そうか」
僕はそう言って、彼女の正面の机に腰かけた。それから彼女の頭をそっと撫でた。彼女の髪の艶やかさを、僕の手はずっと覚えている。彼女がゆっくりと顔を上げる。
「私はもう、空を飛べないのかしら」と彼女は言う。
「そんなことはないさ。翼はまた作れば良い」
僕たちは翼作りに取り掛かった。スーパーやホームセンターを回って、食品トレイやら梱包材やらを集めまくった。白色じゃなきゃだめなんです、と言うと、店員は不思議そうな顔をした。
彼女の家の彼女の部屋で、僕たちは黙々と翼を作りつづけた。発泡スチロールを切っては貼り、切っては貼り、ひたすらその繰り返し。それは彼女にとって、それから僕にとっても、空を飛ぶための神聖な儀式だった。
二本目のボンドを使い終わるころ、ようやく翼は完成した。羽根の大きさも形もバラバラで、力をこめればすぐに崩れてしまいそうだった。それでも、それは間違いなく彼女の新たな翼だった。彼女はそっと翼を背負うと、満足げにほほ笑んだ。
ありがとう、と彼女は言った。
次の日から、彼女は学校に来なくなった。そのことで僕はひどく落ち込んだ。けれども、そうなることを僕は分かっていた。それは彼女が望んでいたことだから。
上空を鳥が飛んでいると、僕はどうしても想像してしまう。鳥が飛び去ったあとで、発泡スチロールの羽根が一枚、はらりはらりと落ちてくるのだ。いや、こんな想像はもうよそう。あの翼は再生した翼として、彼女を遠くへ運んでいるのだ。
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