第72話 蒼射手
◇◆◇
北大陸中央、エルフの国。
樹齢数百年を超える程の木々が乱立する、緑に溢れた森。
その中に、一際高い樹が聳立する。
――世界樹ユグドラシル。
無より魔力を生み出す、世界最古の大樹。
その樹高は5000メートルにも至る。
上方1000メートルには、まるで一つ一つが巨樹の様な枝葉が生え、そこには彩色豊かな果実も備わっていた。
その枝葉の中――樹高4000メートル地点にある枝の上に、一人の少女が立っていた。
「……異変、なし」
高い位置にあるせいか、陽光を一際強く浴び、腰ほどにまで伸びるセルリアンブルーの長髪が美麗に輝き、更に強風に煽られるように靡く。
そのせいで、髪の下にある少し先の尖った耳が露わになる。
それを隠すように少女は右手で髪を押さえながら、視線をある方向に向ける。
下方3000メートル、横に4000メートル。
少女からの直線距離にして5000メートル――少女がいる森からは随分と離れたところにある、標高1000メートルの山の頂上。
そこには百を優に超える数の、円状の物体――つまりは“直径1メートルの的”が置かれていた。
「ふー」
一息、呼吸を終え。
少女は左手に持つ、彼女の体を超えるほどの大きさの木の弓を静かに構える。
次に右手で、腰にかかる筒から矢を取り出し、ゆっくりと弦を引き構える。
そして、放つ。
「
グンッ、と。
矢が放たれ、そのまま空を切り裂いて飛んでいく。
類稀な筋力、そして魔力を纏わせたその矢は“この程度の距離”で勢いを衰えたりはしない。
5000メートル先にある山頂の、数ある的の中から、狙いの通りの物を一発で射抜く。
「……次」
それを見届けた後、少女は喜ぶこともなく次々と矢を構え放っていく。
一射すら外れることなく、次々と的を射抜いていく。
圧倒的な矢の腕前だった。
「さて。次は――――」
続けて、30射目に移ろうとした瞬間。
ふわりと、風が彼女の耳を撫でた。
「……む」
体を反転。
枝を力強く蹴り何度も飛び跳ね、世界樹の反対側に移る。
森を抜け、その先にあるグエルド山脈のさらに向こう――ドワーフの国。
エルフとドワーフはその生活習慣などの差異から仲が悪いと噂されることもあるが、エルフ族の中では珍しく肉類が好きな少女からすれば逆に好意を――
(と、違う。今は、そんな話じゃなかった)
思考を正し、再び意識を集中させる。
数十キロ先を見るために、先程よりも千里眼の度合いを高める。
ドワーフの国の先、見渡す限り広がるアトラレル海の中に、ポツンと浮かぶ小さな船を捉えた。
いや、普通の船の大きさはあるが、あくまでここから見た少女の感想としてだ。
(そっか。もう、そんな時期だった)
この時期はいつも東大陸から多くの人族や、帰郷する亜人族が船でやってくる。
なので、いま少女が見ている船の存在は何もおかしな物ではないのだが、それでも少女は少しの違和感を捉えていた。
「不思議な、感じ」
その違和感の正体を探るように、さらに意識を集中させていく。
すると、彼女の視界がその甲板の上に“彼ら”を見つけた。
一人は黒髪黒目の青年。
その青年が……一人の幼い白銀の髪を持つ少女に膝枕されていた。
「は?」
さらにそれだけでは止まらない。
隣に座るだけだった赤髪の少女までが、何故か膝枕をし始めた。
青年は気持ちよさそうに眠り始める。
「ん?」
ここで終わればまだよかった。
しかし事態は進展する。
理由は不明だが――赤髪の少女と白髪の少女が青年に添い寝をし始めた。
「あっ、リヴァイアサン」
海面からその尾を見せるリヴァイアサン。
おそらく、あの船にいる者では対応が不可能だ。
――仕方がない。そう思い、少女は手に持つ弓を構え直す。
さらに矢を用意し、魔力を注ぎ集中する。
その間に一度リヴァイアサンが頭を外に出したが、再び海の中に隠れてしまった。
もう一度頭を出した時が、リヴァイアサンの最期だ。
距離は遠い。
が、そんなものは問題ではない。
リヴァイアサンの鱗による魔力感知に気付かれるより早く、その脳髄を射抜いてやればいい。
簡単な話。
“今の”少女にとっては本当に簡単な話だ。
なの、だが――――
「――――え?」
不意に気付く。
リヴァイアサンの魔力が消滅した。
いったい誰が――
そう思っていると、先ほど少女が興味を持った黒髪の青年が海面から顔を出す。
ぐっと親指を立てている。
……彼が倒したというのだろうか?
リヴァイアサンの独擅場たる海中で?
そんな訳がない。信じられない。
「よし。試してみよう」
木の矢を手放す。
そして生み出すのは魔力で出来た透明の矢、魔矢。
訓練用で、威力はない。
何かに当たると傷付けることなく魔矢のみが消滅する仕様だ。
もっとも当たったときにちょっとした感覚ならばある。
リヴァイアサンを倒すほどの実力者ならば、この攻撃を向けられたときにどう反応するかが気になった。
つまり。
「
その魔矢を、深く考えることなくとりあえず放ってみた。
青年の後頭部に当たると、魔矢は消滅した。
青年は攻撃を防ぐどころか、まるで頭に魔矢が当たったことすら気付いてなさそうだった。
「ばなな」
間違えた。馬鹿な。
そんなことがありえるのだろうか。
少女にとってその光景は信じられず――
「お姉さま、迎えに来ましたよ」
「……む」
2射目を構えたとき。
地上、つまりは4000メートル下からの声を彼女の耳は捉えた。
仕方がない。今回は諦めることにしよう。
少女はそう思い直し、枝を蹴り身を投げ出すと勢いよく落下していった。
落下する十数秒前から、風魔法を使用し減速する。
地上の草花が咲き乱れる土壌に降り立つと、目の前には一人の幼い少女がいた。
「本日もお勤めごくろうさまです、お姉さま」
「……うん。ありがとう、メルリィ」
弓を持つ少女の髪よりも少しだけ濃い青色の髪を肩まで伸ばす彼女の名はメルリィといった。少女のことをお姉さまと呼ぶ通り、彼女の妹だ。
まだ幼い年齢に見合った容貌。子供らしく少しだけ丸みを帯びた輪郭に、パッチリと開かれた青色の双眸がとても可愛らしい。
だが、立ち振る舞いは言葉遣いに関してはしっかりとしたものだった。
「………………」
「? どうかなさいましたか、お姉さま」
「いや、何もない」
そう答えながらも、少女の視線はメルリィの額にある大きな切り傷に向けられていた。
メルリィもおそらくはそれに気づいているものの、そこに触れることなく頷く。
「そうですか、ならよかったです。お母さまが昼食を用意できたといっていました。お家に戻りましょう」
「……また、野菜?」
「はい。そうみたいです」
「はぁ」
「……夕食にはお肉を使ってもらえるように私からも頼んでみますから。どうか元気を出してください、お姉さま!」
「わかった」
「復活が早いです!?」
夕食はお肉。そう聞いた瞬間、少女の歩く速度があがる。
焦ったようにメルリィが横に並ぶ。
「それでお姉さま、今日は何か楽しいことでもあったんですか?」
「? 特にない。どうして?」
「いえ、お姉さまの表情からそんな気がしただけです。何もないのでしたら、お気になさらないでくださいね」
「……うん、わかった」
頷きながら、少女はあっと思い出す。
そういえば、いつもと少しだけ違うことはあった。
“あの青年”についてだ。
どうして、自分が彼のことをこんなに気になっているのかが分からなかった。
暫し悩んだ後、ぶんぶんと頭を横に振る。
(どうせ、もう会うことはない。気にしても無駄)
――シア・エトランジュ。
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