第63話 拗ねる
リーネが振るった剣が核を切り裂き、クラーケンスライムが消滅していく――それだけで終われば、万事解決と言えたのだが。
「なっ!」
核はその身を破壊された瞬間、眩い光と共に内部に蓄えていた魔力を一斉に放出する。それ自体に他者を傷付ける力はないものの、純粋なエネルギーが広がり人々を押しのける。
つまりは核を中心に、クラーケンスライム内にいた女性たちが一斉に吹き飛ばされた。
「――創造!」
このままだと女性たちは勢いよく海面に叩き付けられてしまう。下が水であろうと、この勢いでは間違いなく大怪我に繋がる。
そこでトモヤは反射的に創造のスキルを使用し、吸収力の高いクッションのようなものを海の上に生み出した。女性達全員を受け止められるよう、陸上のフィールドほどの巨大なクッションだ。
そこに落ちていく者達はどうやら無事なようだった。
「くそっ、リーネ!」
けれども核の一番そばにいたリーネは、魔力爆発の影響を誰よりも受けた。彼女は勢い良く吹き飛ばされ、なんと海ではなく砂浜に落ちていく。
そこまでクッションは広くない。このままだと砂浜に落ちてしまう。無意識のうちに、トモヤは彼女の落下を防ぐべく駆けだした――リーネなら余裕で着地できるという事実を忘れて。
「ッ、トモヤ!?」
「ってぐふっ!?」
結果として、両足で着地しようとしていたリーネが、下にいるトモヤを避けようと無理に身体を捻った。しかし咄嗟のことでそれは上手くいかず体勢を崩したまま落下してしまう。
リーネとトモヤは絡み合うようにしてその場に倒れ込んでいった。
「いってて……」
いや、正直痛みは全くない。けれども後頭部から地面に倒れたという事実のみで、トモヤはついそう零してしまう。リーネとぶつかる瞬間、つい目を瞑ってしまったため今どういう状態なのかが分からない。
それをトモヤは手探りで確認しようしとし――
むにゅん。
「……んっ!」
――両手が、何か柔らかな物を掴んだ。手のひらからほんの少しだけ零れるような、少し力を入れただけで簡単に形が変わってしまうかのような。
そして手のひらの中心には、柔らかさだけではない不思議な感触もあって、何故か同時にリーネが何かに耐えるかのような声も聞こえて――――
(ま、まさかこれって!)
ここでようやく、トモヤは目を開いた。
すると、少し顔を上げただけで唇がぶつかりそうなほど近くにリーネの顔があった。白くきめ細やかな肌が微かに紅潮し、いつもは自信に満ちている翡翠の瞳はどこか潤いを増してトモヤを見つめていた。
その視線から逃れるように視線を下げると、滑らかな鎖骨があり、さらにその下にはしっかりとした弾力がありそうな双丘と……それを掴む、自分の両手があった。
「んっ……あっ、そこはダメだ、トモヤ……んっ!」
混乱しオーバーヒートした頭に追い打ちをかけるように、リーネの艶めかしい声が脳髄に浸透していき、思考が止まる。
「わ、悪い! いますぐどくから――」
それから数秒後、はっと我を取り戻した時にはもう時すでに遅く。
「――トモヤの、あほぉ!」
真上から、リーネの右手が振り落とされるのを呆然と見つめることしかできず――
「痛い!」
――トモヤの頬を叩き、逆に痛そうにするリーネを見た。
そう、防御ステータスは今も∞。
そのため全ての力がリーネに跳ね返ったのだ。
何だか途轍もなく申し訳なくなり。
「よ、よし、リーネ! 防御ステータスを0に切り替えた! もう一発だ!」
「ッ、また君はそんなことを……! ばかぁああ!」
そんなやり取りの後にもう一撃を浴び、見事に気絶するのだった。
◇◆◇
「まだ痛い……」
その日の夜、トモヤ達が泊まる宿屋の食堂スペースで、トモヤは自分の頬をさすりながらそう呟いた。
そこにはリーネの手の形で真っ赤に染まっていた。
彼女の平手打ちによってついたものだ。治癒魔法を使えば消すことは出来るだろうが、そうする気にはなれなかった。
「それにしても、リーネも攻撃ステータス0にしてから殴ったんだろうけど……それで気絶するって、元々どんな力なんだ……」
そんな風に、リーネに聞かれたら怒られるようなことも口にする。
どうやら彼女は恥ずかしくてトモヤと顔を合わせることが出来ないらしく、さらには少しだけ拗ねて自室に引きこもっている。何度深く土下座して謝ってもそんな様子だった。
一室しか借りていないのだから、寝るときにまた顔を合わせることになるのだが……その時はその時だ。
「トモヤ、だいじょうぶ? 私がなおしてあげる?」
そして隣に座るルナリアは、心配そうに上目遣いでそう告げる。
「いや、大丈夫だ。これは自然治癒に任せる」
「そう? けどいつでも私がなおしてあげるから、いつでも言ってね!」
「ああ、ありがとうルナリアエル」
「だれ?」
その優しさに甘えたい気もしたが、これは自分への罰なのだ。
冷静になって思い返せば、もっと自分の行動のしようがあった様な気がする。
あの時の不思議な雰囲気に流されてリーネが裸でクラーケンスライムを倒す姿を見届けたのも謎だし、そもそもリーネが突っ込む前に彼女に防壁をかければ水着が溶けることはなかったはずだ。
「いや、裸が見たくてあえて提案しなかったわけじゃないんだ。思いつかなかっただけなんだ。ほんとほんと」
「だれに向かって言ってるの? へんなトモヤ」
ルナリアと楽しく会話をしながら、トモヤは結局あの後どうなったのか、あの場にいた監視員の女性(砂の城を作ったときにトモヤを怒った人)に聞いたことを思い出していた。
リーネの活躍によってクラーケンスライムの討伐には成功し、助けるまでの時間が早かったおかげで呼吸困難の後遺症が残る者も、トモヤが生み出したクッションによって怪我人も出なかった。
より大変だったのが、クラーケンスライムを倒した瞬間に砂浜に戻ろうとする男性陣を無事な女性達が全力で食い止めることだったらしい。結果として、男性が砂浜に辿り着くまでに全員が服を着ることに成功したらしいが。リーネも含めて。
他に問題があったとするならば、本来ならば魔物が出るはずのないアリアンテ海水浴場にBランクもの魔物が現れたことだという。
そもそもクラーケンスライムほどの巨大な魔物があれほど近くに接近してから、ようやくその存在に気付くなどということもあまり考えられない。
その辺りに関してははこれから調査を行うらしい。海水浴自体は、より警備を強固にすることによってこれからも禁止はしないらしいが。
ちなみに今回の一件で活躍したリーネには、後日報奨金が与えられるらしい。その話も、部屋で引きこもる彼女に伝えなければならなかった。
「さて、まあ今日の出来事についてはその程度でいいとして……明日からはどうしようか」
出発の日時は三日後。なんだか密度が濃かったため忘れそうになるが、今日の昼頃にノースポートに辿り着いたため、まだここでの滞在期間は一日も経っていない。残りの中二日でどのように遊ぶからまず初めの問題だった。
「うーん、そうだな……ルナ」
「ん? な~に、トモヤ?」
「明日、一緒にノースポートを観光しないか? 特に目的もなくぶらぶらとさ。もちろんリーネも一応誘ってみるけど、この様子だと付いてくるとは思えないし……もしそうなら、二人きりでってことになるけど」
「っ! いく! デートだね、嬉しいなっ」
「デート……なのか?」
確かに男女二人ででかけるのをデートと言うが、トモヤとルナリアは年齢も離れているためそう称していいかは不明だ。
けれどルナリアの嬉しそうな笑顔を見れば、もうそれでいいと思えてしまう。
「そうだデートだ。ルナ、明日俺とデートしよう」
「うん、わかった!」
そんな風にして、翌日の予定が決まるのだった。
周りの客からの訝しげな視線を代償として。
「ばーかばーか。トモヤのばーか」
「……なあリーネ、明日ルナと俺、ノースポートを一緒に観光するんだけど、お前も来ないか?」
「行かない。ばーかばーか」
その夜、リーネのそんな可愛らしい罵倒を聞きながらトモヤは苦笑していた。
あの後からずっと、トモヤがいくら謝ってもこんな感じなのだ。
そのくせ、自分が殴ってトモヤを気絶させてしまったことについてだけはマジメに謝りにくるという律儀すぎる出来事もあったのだが。
(まあ、明日になったらほとぼりも冷めるかな)
そうしてトモヤは、背中に彼女の視線を感じながらゆっくりと眠るのだった。
その腕の中では、ルナリアもすぅすぅと寝息を立てていた。
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