第47話 リーネにとっての、その存在
◇◆◇
日が落ちていく。
夕暮れ時から一転、深い闇が辺りを覆っていく。
終焉樹の周りで、それぞれの無事を祝い合う者達も、そろそろ自分の滞在する家や宿に戻ろうという空気になっていた。
そんな中で、様々な冒険者がトモヤやリーネ、ルナリアに対して助けてくれたことへの感謝を伝えに来る。
ただ、割合的にはやはりトモヤの方が多かった。笑いながら「無事でよかったです」と返す彼の姿をリーネはじっと見つめていた。
(不思議だな、トモヤは……)
彼はステータス・オール∞という馬鹿げた力を持っている。
しかし、決してその力を悪事に利用することはない。他の誰かを守るために躊躇いなく使用することはあってもだ。さらに驕ることもない。
リーネにとって、そんな在り方は信じられるものではなかった。
――リーネ・エレガンテ。それがリーネのフルネーム。
東大陸東端に位置するデュナミス王国、子爵家の長女だ。
上に3人の兄を持っている。
デュナミス王国、そこは実力至上主義の国家といってよい。
王国騎士団に入団すること、年に一回行われる武闘大会で上位の成績を残すこと、冒険者として強力な魔物を数多く討伐すること。それらが(原義の)ステータスとなり、時には国王より爵位すら与えられることもある。
エレガンテ家の当主――つまりリーネの父・モントもそうして爵位を手に入れたのだ。
そんなモントが息子や娘にかける期待は大きかった。
幼少期よりリーネ達に厳しい鍛錬を施し、息子たちは見事に成長を遂げていった――リーネを除いて。
剣術、火魔法、空間魔法、様々な優れたスキルを持つリーネには始めこそ大きな期待を寄せられたものの、器用貧乏が災いしてだろうか、どれ一つとして極めることができなかった。
結果として、成人間際の14歳になった時点でDランク相当の実力しか得ることが出来なかった。年齢からすれば妥当だが、エレガンテ家の指標からすれば期待外れもいいところ。
徐々に家庭内での扱いが悪くなっていき、関わりのある貴族方からも少し距離を置かれる。リーネもそんな環境で暮らすことに嫌気がさしていた。
しかし、そんな中でとある事件が起こる。
Aランク上位魔物が、リーネ達の暮らす街に現れたのだ。
モントや兄3人は討伐に出たが、その少し後に様子を見に行ったリーネが目にしたのは傷だらけになり敗北したモント達の姿だった。
魔物が次に襲うのはリーネ。目の前に迫る死に対しリーネは必死に抗い――結果として、“ミューテーションスキル・空間斬火に目覚め”、無事討伐することに成功した。
それからリーネを取り巻く環境は一変した。
一瞬のうちにAランク――いやSランクにまで達する力を手に入れた少女に人が集まってきた。
家族を含め、これまでリーネを馬鹿にしてきた者達が媚を売り始めたのだ。
媚を売るのではなく、リーネをライバルと見て蹴落とそうとする者もいた。
どのみち、リーネはその全てに嫌気を感じ、家を出て旅をすることにした。
無論、家族などは反対をしたが黙らせた。こう、腕力とかで。
それから様々な場所を旅した。
東大陸だけではなく、北大陸などに足を踏み入れたこともあった。
だが、どこに行っても彼女が安寧を手に入れられることはなかった。
リーネの実力を知ると、多くの者が媚びへつらった。
中にはそうしない者もいたが、それは決して彼女と対等の場所にいてくれるという訳ではなかった。
リーネに匹敵するほどの実力者とも出会った。そちらに関しては例外なく、自分の実力を驕り尊大な態度をとる者ばかりだった。
それが悪いと言っている訳ではない。実力者がそんな態度をとることはこの世界の常識だ。ただ、リーネにとって少し受け入れがたい在り方だったというだけ。
時が経つにつれリーネは家名、職業、スキルを隠蔽で隠すようになった。
旅をすることにも疲れ、一時はルガールで残りの生涯をのうのうと過ごそうと考えたこともあった。
――けれどそんな時、リーネは“彼”に出会った。
「大丈夫か、リーネ?」
「――――ッ」
物思いにふけていると、不意に優しい声がした。
リーネを心配するような声色だった。
顔を上げると、そこにはリーネの様子を窺うようなトモヤがいた。
視線がぶつかり、少なくない動揺がリーネの胸の中に生じる。それでも応対しなければならない。
「い、いや、なんでもない、うん! 私は大丈夫だ! それで君は、皆からの感謝を受けているのではなかったのか?」
「それはとっくの前に終わったけど……」
そう言われ辺りを見渡すと、確かに辺りは完全に暗闇に包まれていた。既にリーネ、トモヤ、ルナリアしかこの場にはいない。
どれほどの時間、自分は物思いにふけていたのだと考えると、羞恥の感情が湧き上がってくる。
「そろそろ、宿に戻ろう」
「いこっ、リーネ!」
「あ、ああ……」
手を繋いで歩いて行く二人の後ろを、リーネはゆっくりと追っていく。
ふと、トモヤの大きな背中に視線が引き付けられていく。
――リーネはあの日、トモヤと出会った。
ルガールの冒険者ギルドで初めて彼を見た時、変な人だなと思った。
リーネは自分の持っている隠蔽スキルのおかげで、トモヤがステータスカードに隠蔽を施していることを知った。
同時に、優しそうな人だとも思った。そんな彼が自分と同じような過去を持っているのだろうか。そんなことが気になって、声をかけてみた。一緒に依頼を受けられることになったときは、今までに感じたことのない高揚感がした。
その旅の中で、どこか常識外れの行動をするトモヤを見ると楽しくなった。
だって彼は、自分のステータスを隠す気なんてないかのような行動をとるのだから。より興味は強くなっていった。
水浴びをしている時に裸を見られたことに関しては……リーネはいったん忘れることにした。
迷うこともなくルナリアを助けるためにレッドドラゴンに立ち向かった姿には、思わずリーネも見とれてしまった。
その過程で分かったこと。
彼は強い人だ。体だけでなく、心が。
盗賊団に幼い子供が攫われそうになっていた時も、アンリが父を助けてほしいと頼み込んできた時も、彼は迷わず、真っ直ぐ誰かを救うために力を振るった。
――その時に感じたトモヤの怒った様子、普段との変動ぶりの理由は気になるところだが、それは今考えても仕方のない話だ。
そんなトモヤの姿を見るたびに、同時に不安に思うことがあった。
彼にとって、リーネという存在は不要なのではないかと。
圧倒的な癒しを与えてくれるルナリアと違い、自分には魅力がないと思っていたから。
だからこそ――――
『頼む、ズーヘンさん達を助けるのを手伝ってくれ』
そう言ってくれた時は心から嬉しかった。
『ここは任せた』
トレントを前にした際にそう言ってリーネに任せてくれた時、自分が必要とされているのだと思えた。
『今回はまあ何ていうか……ありがとな、色々と』
微笑みながら感謝を告げてもらえたとき……リーネの中にも同じ気持ちが湧き上がっていた。
(そうか……私はきっと、君のような存在を探していたんだ)
どんな時でもリーネと対等の場所で、笑い合ってくれる存在を。
リーネの持つ力を知って、それでも変わらず接してくれる存在を。
それがトモヤだったのだ。
そう理解したリーネは、だからこそ自分もトモヤにありがとうと告げたのだ。
トモヤは何に対して言われたのか理解していなかったようだが、それはそれで構わない。
自分の思いは、自分の中だけで片を付ければいい――――
「……リーネ?」
「……え?」
再び自分の思考の中に落ちていたリーネを呼び戻したのは、やっぱりトモヤだった。
振り向いてリーネを見るトモヤの表情は、何故かどことなく赤みを帯びていた。
その理由は、リーネの両手に感じる熱から伝わってきた。
「〜〜っっ!」
リーネは無意識に、両手でトモヤの空いている右手を握りしめていたのだ。
それを自覚し、リーネは手から伝わる熱がそのまま自分の顔にまで伝導していくのを感じた。
気まずい時間が流れていく。
手を離さないといけない。そう思っているのに、リーネはどうしてもその考えを実行に移すことが出来なかった。
葛藤しているリーネを、トモヤは少しだけ戸惑ったかのように見つめていた。
そんな彼の左手の先にはルナリアもいた。既にあそこは彼女の定位置だった。
「むぅ」
何故だろう。二人の手が繋がれるのを見て、リーネの胸の中にこれまでにない感覚が湧き上がってくる。
原因は不明。ただ分かるのが、自分がトモヤの手を握りしめる力が、ほんの少しだけ強くなったということだけだ。
「ルナだけじゃなくて、わ、私だって、たまにはいいだろう?」
「あ、ああ。そりゃいいけど……」
悩みに悩んだ結果、口から出てきたのは、そんなリーネ自身すら訳の分からないような言葉だった。一体何に対する主張なんだと心の中で自分を叱咤する。
「よし、んじゃ行くか」
「あっ……」
最初は戸惑っていたトモヤも、少しの間を置いて冷静さを取り戻したのか、優しい笑みを浮かべてぐっとリーネの手を引っ張った。
おのずとリーネの鍛え抜かれた、けれどもやはり女の子らしく華奢な部分も含んだ身体が歩みを開始する。
トモヤを中心に、3人は手を繋ぎ歩いて行く。
不意に、またリーネが知らない温かな感情が心を満たす。
この感情が何なのか知りたい。どうして自分はトモヤと手を繋いだだけでこんな気持ちを感じるのだろうか。とはいえ、直接トモヤに聞く訳にはいかないことだということだけは理解していた。
だからリーネは、朱に染まった顔を隠すように下を向きながら、ゆっくりと引っ張られるままにトモヤの背中を追っていく。
(……うん。まあ、今はこれでいいだろうか)
この気持ちが何なのか分からない。
けど、それがリーネにとって心地いいものだということだけは確かだから。
(これからもよろしく頼む、トモヤ)
その言葉を、最後にそっと心の中で呟いた。
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