第29話 混浴
エルニアーチ家の浴場にトモヤはいた。
清浄魔法で身体の汚れを落とせるとはいっても、日本人であるトモヤにとって風呂は一日の疲れを癒す憩いの場であり、入らないという選択肢はなかった。
たっぷりとお湯の張った浴槽に身体を浸からせながら今日のことを思い出す。
「色々とあったな……」
ルナリアの戦力向上に関するリーネの推測は見事なものだった。
そして安堵する間もなく現れた自らを地の精霊と名乗るノームの存在、さらにはルガールを襲ってきた大量の魔物達の討伐。
一日の密度としては、レッドドラゴンを倒しルナリアを助けたあの日に匹敵するだろう。
それらを優雅に考えていると、ふいにその音はした。
「おふろ、早くいこ!」
「ルナさん、急いだら危ないですよ」
「――――!?」
ガラガラと扉が開く音と、浴場に響く声。
それは間違いなく、見知った少女たちの声だった。
「……え?」
「…………」
その二人のうちの一人シンシアと、浴槽につかるトモヤの視線は残酷なまでに呆気なくぶつかった。
布一つ纏わず、艶のある綺麗な肌を見せるその姿から、トモヤは混乱した頭の中で“あの日”のことを思い出していた。状況、似てるなぁと。
「あれ、トモヤ? トモヤも一緒なの? やった!」
トモヤとシンシアの間に緊張感が広がる中、シンシアと共に浴場に入ってきたルナリアだけはこの状況に疑問を抱くことなく、嬉しそうにそんな反応を見せる。
その声で我に返ったトモヤとシンシアはほとんど同時に。
「「わぁぁああああ!」」
そう叫んだ。
◇◆◇
それから数分後。
場はおかしなことになっていた。
「えへへ、トモヤとおふろ、うれしいな!」
「そうか、なら良かったよ……」
風呂椅子に座りながら、トモヤは目の前に座るルナリアの頭を洗っていた。
貴族御用達のシャンプーによってわしゃわしゃと泡立つ。
二本の角に気を付けながら頭を優しくごしごしとするごとに、ルナリアは嬉しそうな声を漏らす。
ちなみにルナリアはきちんと身体に、トモヤも腰元にタオルを巻いていた。
これだけなら、父と娘、もしくは兄と妹が楽しそうに風呂に入っている光景にしか見えないだろう。
さらなる問題はトモヤの後方に隠れていた。
「そ、それでは、トモヤさん、失礼します……」
「あ、ああ。頼む」
後ろから、こちらもきちんと身体にタオルを巻いたシンシアがそう呟いた。
手には身体を洗う用のタオルを持っており、それをゆっくりとトモヤの背中に近づけていく。
少し戸惑った素振りを見せながらも、優しくトモヤの背中を拭いていく。
トモヤとシンシアは、共に自分の顔が赤く染まっていくのを感じていた。
「どうして、こんなことになっているんでしょう……」
「大丈夫だ、俺も分からん」
「まったく大丈夫じゃないです……」
そんな軽口をたたきながらも、もちろん二人は今に至る過程を理解していた。
トモヤとシンシア達が最初に顔を合わせた時、トモヤは謝罪してから風呂を出て行こうと思った。
だがルナリアが三人で一緒に風呂に入りたいと力強く主張し、それを断り切れなかったトモヤ達は身体にきちんとタオルを巻くことを条件に、その提案を受け入れることにした。
それだけで済めばまだよかったのかもしれない。
しかしルナリアは、さらにトモヤに頭を洗ってほしいと申し出た。
先日シンシアと一緒に風呂に入ったときにも同様のことをしてもらい気持ちよかったらしい。
色々な葛藤のもとそれを了承したトモヤだが、そうなるとシンシア一人が取り残されることになる。
そこでルナリアは名案とばかりに、シンシアもトモヤの身体を洗ってあげればいいと提案し、それがそのまま実行されることとなった。
もう既に分かっていることかもしれないが、この場でルナリアに逆らえる者などいないのだ。裏番的あれなのだ。トモヤとシンシアは諦めることにした。
「ルナ、どこか痒いところはないか?」
「うん、だいじょうぶ!」
その答えを聞き、トモヤは湯桶からお湯をざぶんとかけ、ルナリアの頭から泡を洗い流す。
ルナリアは顔を左右に振り、髪にしたたる水分を飛ばしていた。
トモヤに出来るのはここまでだ。身体に関してはルナリア自身に洗ってもらわないといけない。
「ルナ、後は自分でできるな」
「うん」
トモヤの意思はしっかり通じたのか、ルナリアはトモヤの視界に入らぬ場所で簡単に身体を洗い、そのまま浴槽につかりにいった。
この間に数分の時間が過ぎたのだが……なんということだろうか。未だにシンシアはトモヤの背中を拭き終えてはいなかった。
それどころか、少し前から動きが完全に止まっている。
どうしたのだろうかと気になったトモヤは、シンシアに向けて声をかけようと思った。
「なあシンシア、どうした――」
「私、あがるね!」
「はやっ」
しかしその途中、ルナリアは湯船につかってから数十秒と経つことなく立ち上がると、颯爽と浴場の外に駆けていった。
走ったら危ないぞと言う間もなく扉の外に消えていく。
残されたのはトモヤとシンシアだけだ。
この状況を生み出した張本人だけが先にいなくなったことになる。
とはいえ、それならそれでこの状況を打開する理由になる。
シンシアが動かないのは、この状況を嫌がっているからだという可能性もある。
二人で風呂場にいる必要のなくなった今、トモヤはそろそろ外に出るよとシンシアに告げようとし――
「――――ッ」
トモヤの背中に何かが当たる感触がした。
柔らかい。一瞬、布の感触からタオルが当たっているのだと思う。
しかし、それにしてはふにょんと弾む感覚が……
その答えが出るよりも早く、さらにトモヤの冷静さを奪う出来事があった。
トモヤの両横から白く滑らかな腕が伸ばされ、ぎゅっと身体を抱き締めた。
そこでようやくトモヤは、タオルを身体に巻いたシンシアが自分に抱き着いていることに気付いた。
「トモヤさん」
動揺するトモヤに対し、シンシアは優しい声をかける。
トモヤの意識はその声に引き寄せられる。
「トモヤさんはもう少しで、ルナさんとリーネさんと一緒に旅に出られるんですよね?」
「……ああ」
シンシアの言葉に、トモヤはゆっくりと頷く。
「少し、羨ましいです。私は貴族で、この土地を収める領主の娘なので……王都に出向く程度ならともかく、国を出て旅をすることなんて許されませんから」
静かに、シンシアは言葉を紡いでいく。
「ですので、その寂しさを誤魔化すためと言っては何ですが……少しだけ、このままでいてもいいでしょうか?」
このままとは、シンシアがトモヤを抱き締めたままでいてもいいかと言うことだろう。
気恥ずかしさはあるものの、シンシアの言葉に含まれる強い意志を感じてしまえば、トモヤにその提案を断ることはできなかった。
不思議な雰囲気のまま時間が流れていくなか、トモヤはシンシアの思いに応えるための言葉を必死に考えていた。
「戻ってくるよ」
「え?」
結局、言いたいことはまとまらないまま、トモヤは自分の思いを告げ始める。
「確かにシンシアの言った通り、俺はルナたちと世界中を旅するつもりだ。けど、何も一生涯を過ごす場所を見つけにいくわけじゃない。いろいろと楽しいことを経験して、それをまたシンシアにも伝えに来るよ。そんで、その中でも特別楽しかったところにシンシアを連れて行くよ。数年かけた旅ならともかく、数十日程度の休暇くらいならどうにかなるだろ?」
「それくらいなら、とれる可能性はあると思いますが……」
「なら問題はない。移動手段だって俺がなんとかしてみせる。だからまあ……これで最後の別れってわけじゃない。それだけは信じてくれていい」
トモヤは自分が抱いた本心を包み隠さず告げた。
すると、トモヤを抱き締めるシンシアの腕の力が少しずつ弱まっていく。
完全にその拘束がなくなると、トモヤはゆっくりと振り返った。
そこには、少し戸惑った様な表情を浮かべるシンシアがいた。
けれど、トモヤが優しく笑いかけると、彼女は満面の笑みを浮かべ。
「はい、その日を楽しみにしていますね!」
嬉しそうに、そう言った。
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