第9話 道中

「うおっ、揺れる揺れる揺れる!」


 綺麗に整備されてはいない砂利道を颯爽と馬が駆ける。

 乗馬に慣れた者なら吹き抜ける風を浴び心地よさを感じたりするのかもしれないが、トモヤに限ってそんなことはなかった。

 どうやら防御力はバランス感覚まで守ってくれないらしい。


「揺れるのは君がきちんと私を掴んでいないからだろう! ほら、ちゃんと両手を私の胴に回せ!」


「ちょ、リーネ……!」


 抵抗の余地もなく、リーネに掴まれたトモヤの腕が彼女の胴に回される。

 布越しとはいえリーネの鍛えられた、だけど柔らかい身体の触り心地にトモヤは思わず赤面し、同時に思う。

 リーネが鎧を着たままだったらこの程度問題なかっただろうに、と


 自慢ではないが、トモヤが元の世界で女性と触れ合った経験などほとんどない。

 インドア派の高校生にとってそれは当然のことだ。


 だからこそ今のこの状況は、トモヤにとって非常に誘惑的なものだった。

 意識を逸らそうとしても馬が地を蹴るたびに、リーネの腹から胸までをトモヤの腕が往復するのだ。上腕に理解不能なほど柔らかな何かが当たり、一気に頭に熱が昇っていく。必死に何が当たったのかについて考えないよう努力する。


 だが身体の触り心地とは別に、トモヤの前でリーネの髪が靡くたびに女性らしい良い匂いがして、それがまたトモヤの冷静さを奪っていた。


(やばいやばいやばい、これはやばい。ある意味強力な魔物を相手にするよりよっぽど……ッ!)


「トモヤ、魔物だ!」


 だが、そんなことばかり考えてもいられなかった。トモヤ達の馬が走る先に数匹の魔物がいたからだ。

 四肢と胴体が膨れ上がり、黒色の毛で覆われたライオン程度の大きさの魔物達が、牙を尖らせながらトモヤ達を待ち受け敵意を剥き出しにしている。

 鑑定が自動発動。《ブラドアスラ》――Bランク下位指定。あの一匹一匹がキンググレイウルフと同等の力を持つことになる。


 どう対処するべきか。

 そんなトモヤの不安は、次の瞬間のリーネの行動によって消え去ることとなった。


「問題はない! ――空斬!」


 一閃。

 馬に跨った状態のまま片手で剣を鞘から抜き振るった。

 血に濡れたような赤い刀身が空間を滑ると、それに続くように前にいた獣達は身体を二つに分かれ崩れていった。一瞬で決着だ。


 その光景にトモヤは思わず見惚れていた。

 美しい赤色の長髪に、視線を釘付けにする赤の剣。今は鎧を身に着けていないが、なるほど《赤騎士》と呼ばれるわけだと納得することが出来た。


「うん、今日は調子がいい!」


 死体となった五匹のブラドアスラの前で馬を止めると、リーネは馬から降りながらそう言った。トモヤにも続くように手招きする。


「ブラドアスラの毛皮は軽く丈夫な防具になるから高く売れる。異空庫で保存しておくといい」


「ああ」


 リーネの提案に従うまま、トモヤも馬から降り異空庫を発動する。

 結構な重みはあるが、純粋な筋力アップにも影響を及ぼす攻撃を高め異空庫の中にぽんぽんと放っていく。

 その光景をリーネは興味深そうに眺めていた。


「よし、全て入れ終えたな。では再出発と行こう――ん?」


 リーネは何か気になるものを見つけたかのように言葉を止める。つられるようにトモヤもリーネと同じ方向を見ると、リーネの行為の理由に気付いた。

 一匹のブラドアスラが地面を踏みしめ、唸りながらトモヤ達を睨んでいたのだ。先程リーネが討伐した五匹と同じ群れだったのかもしれない。


「生き残りか、敵対するようなら私が――」


「いや、俺に戦わせてくれ」


 剣を構えようとするリーネの前にトモヤは一歩踏み出す。敵はちょうど一匹、トモヤが剣でどれだけ戦えるか試すにはいい機会だと考えたのだ。

 その意図まで読み取ったわけではないだろうが、リーネは素直に身を引いた。


「では任せたぞ」


「ああ」


 腰元の鞘から剣を抜く。銀色の刀身が陽光を受けきらりと輝く。だがその美しさに見惚れている余裕はない。

 敏捷、攻撃をひとまず100倍。目の前にいるブラドアスラに集中する。


「――ガァ!」


「――ッ」


 ブラドアスラは口を大きく開けトモヤに向かい跳んでくる。その速度と勢いは先日のグレイウルフよりもよっぽど速く強い。防御∞によって守られていると理解しているものの恐怖で体が震えそうになる。

 だからといってただやられるわけにはいかないと気を引き締め直し、両手で剣を中段に構えその魔物を迎え撃った。


「ハァッ!」


 気合一閃、ブラドアスラに向け真っ直ぐ剣を振るう。そして剣とブラドアスラの牙が接触する。向こうは巨大な体躯の体当たりを利用した一撃だが、トモヤも負けてはいなかった。

 高められた能力はそのまま刀身にへと伝わり――次の瞬間、トモヤの剣はブラドアスラの牙をへし折り、そのまま顔面を切り裂いた。


「グギャァァァア」


 だがまだ死んではいない。痛みに耐えるように咆哮を上げながらブラドアスラは距離を置く。

 トモヤはそれに追い打ちをかけることはなく、冷静に状況を分析していた。


(攻撃を高めた影響で全身の筋力が強まり、剣を振るう力が増した――なら、次の課題は剣そのものの威力をどう高めるかだ)


 そう、攻撃のステータスはあくまで身体による直接攻撃の威力を高めるに過ぎない。純粋な剣の切れ味などが上がっているわけではないのだ。このままだと剣自体に大きな負荷がかかりすぐに壊れてしまうことになる。

 それを防ぐための解決策も、トモヤは既に考えていた。


「魔攻――100倍!」


 魔攻――魔力を用いた攻撃の威力を高めるステータスを上昇させる。ポイントは魔力で生み出された攻撃ではなく、魔力を用いた攻撃であるということだ。

 ステータスについてあれこれと試していた時に分かったことだが、単純に魔力を纏った拳でも魔攻の効果はあった。便利すぎて驚いた。


 そこでトモヤは魔法スキルを使うときの要領で身体から魔力を放出し剣に纏わせる。これで以前の魔力を纏った拳と同様の効果が生み出されるはずだ。

 その推測を実行するべく、トモヤは傷を負ってもなお立ち向かってくるブラドアスラに対して、剣を横一閃に振るう!


「喰らえ!」


 刃がブラドアスラに触れた瞬間、先程の抵抗がなんだったのかと思うほどに呆気なく刀身が内に沈んでいき、その身体を真っ二つにした。

 黒色の血が舞い二つになった死体がぼとりと地面に落ちる。


「ふぅー」


 その光景を眺めながら安堵の息を吐く。剣を使うのは初めてだったが、十分以上の動きが出来たのではないかとトモヤは内心で自画自賛していた。

 水魔法で剣に付着した血を洗い流し鞘に戻す。


「――――うん、なるほど」


 そんなトモヤの耳にリーネの声が届いた。

 そちらに顔を向けると、リーネは少し苦笑いしながら言いにくそうに告げた。


「今のトモヤの戦いぶりは、私が昨日ギルドで見た君のステータスからは不可能に思えるのだが……そこについてはどうリアクションを取ればいいのだろうか」


「あっ」


 リーネに言われてトモヤも自分の失敗に気付く。剣を使った戦いに慣れようとばかり考えていたあまり、彼女に本当のステータスを隠していたこと忘れていたのだ。返答に迷ったあげく、トモヤが必死に絞り出した答えはこんなものだった。


「……その、ノーコメントでお願いします」


 自分の嘘を見逃してほしいといったふざけたお願いに、リーネは一言。


「了解した」


 なぜか迷うことなく素直に受け入れてくれた。

 そんな反応をされては、むしろトモヤは申し訳なくなった。


「俺が言うのもおかしいけど本当にそれでいいのか? もっと根掘り葉掘り訊かれると思っていたんだが」


「構わない。そもそも初めから言っていただろう。私が君に期待しているのは常識外の力だと。実を言えばこの程度、私の想定内だ」


「……まじか、凄いな」


 嘘を許してくれる寛大さと、トモヤの実力を初めから見抜いていたかのような態度。その二つに対する誉め言葉だったのだが、リーネはふっと受け止めて言った。


「さあ、今度こそ再出発だ。日が暮れるまでに山の麓まで行くつもりだからな」

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