奥様は魔王

地水火風

第1話 魔王城にて

 禍々しく巨大な魔王城。普段は数多くの魔族に守られ、魔王軍幹部以外は入れないこの城が、たった一人の人間の男に攻め込まれ落城寸前のところまで来ていた。魔王城に乗り込んだ男は四天王の最後の1人を一撃のもとに切り捨てると、玉座に座る魔王の元へ足を進めた。男の後ろには無数ともいえる魔族の屍が横たわっている。

 その男の風貌は所謂勇者と呼ばれるものにはほど遠かった。焦げ茶色の髪はボサボサで手入れをしている風でもなく、顔はまあまあ整っているとは言えるが、やる気のなさげな暗い灰色の目と伸び放題の無精髭、艶がなく血色の悪そうな肌がそれを台無しにしていた。

 だが、魔王ネバダットは少し驚いていた。男が装備しているのは勇者の剣や鎧ではなく、ただのヒノキの棒と一般的な村人の服だった。装備からは特別なものは何も感じない。つまり目の前の人間の男は、純粋におのれの力のみでここまで乗り込んできたことになる。それはネバダットが魔王になってから千年以上たつが、初めての事だった。


「凄まじき力よな。とても人間とは思えぬ。どうだ余の部下にならぬか。そうしたら世界の半分をやろう」


 魔王は駄目もとで言ってみる。何人かの勇者を誘ってみたが、1人として頷く者は居なかった。はたして、目の前の男もゆっくり首を振る。


「興味がない。第一お前は世界の半分とか支配していないじゃないか。そんな空約束なんかで騙されない……」


 男は決意に満ちた目ではなく、やる気が感じられないうつろな目をして言う。


「では、わらわではどうじゃ。魔族の女とは強さに惹かれるもの。わらわは今心底そなたに惹かれておる。父である魔王様よりもな。どうじゃ?未だ穢れを知らぬこの身体。そなたの好きなように弄んでも良いぞ」


 魔王の横に立っていた女性は、穢れを知らぬと言いながら、最上級の娼婦ですら子供に思える程の色香を放っている。僅かに青みがかった艶の有る長い髪、極上のルビーを思わせる輝くような赤い瞳、美の女神とも言えるその顔、最高級の白磁を思わせる滑らかな白い肌、完璧ともいえるプロポーション、仕草、どれか一つでもあれば世の男はその色香に狂わずにはいられない。そんな女性が肌も露わな服を着ている上、艶っぽい表情で男を誘う。これにあらがう事など神であっても不可能なように思える。


「そ、そう言って期待させて、財布を盗んだりするんだろう……」


 男は先ほどと違い、顔を若干赤らめ、目を背けながら言う。


「魔王の娘たる私がそんなせこいまねをするか!」


 男の予想外の返事に、思わず娘は怒鳴り声をあげるが、すぐに元の艶めいた表情に戻る。


「わらわは魔族の王女フルエイアぞ。そんなはしたない真似はせぬ。盗むのはそなたの心。いや、捧げてほしい。わらわの心はそなたにもう盗まれておる故。のう父上、どうであろうか?」


 王女は玉座に手をかけ、魔王に尋ねる。その動作一つ一つが何とも言えない色香を放っている。


「ふむ、そうだな。貴様の強さによっては娘をくれてやろう。先ずは余をこの王座から立ち上がらせて見せよ」



 四天王を倒したからといって、魔王に迫る力が有るかと言うと、そうとは限らない。四天王と魔王の間には天と地程の差があるのだ。何故なら魔王は単に魔族の王ではなく、人間で言う神にあたるからだ。魔王は神が住む天界と対をなす、魔界の王でも有る。その娘も魔族を名乗っているがれっきとした魔界の悪魔である。娘ですら四天王が束になっても足元にも及ばない。魔王がその気になれば四天王など視線だけで殺すことも出来たのだ。

 普段その力を振るわなかったのは、神の直接介入の口実になり、魔界と天界が直接争うことになるのを面倒だと思っているに過ぎない。あくまで魔族を代理として人間と戦わせていたいのだ。

 そしてその代理戦争は神にとっても人間の信仰心を高めるため都合が良かった。それ故にやり過ぎなければ、神の直接介入は無かった。場合によっては魔王は勇者に倒されたふりすらした。希望はより深い絶望を産むからだ。

 だが、力無き者に倒されるようでは、恐怖の象徴として再び現れることはできない。

 まずは自分が纏っている魔法障壁を破れるかどうか、そう魔王は考えていた。


「た、立ち上がらせるって、どうやればいいんだよ」


 ほう、と魔王は目の前の男に興味を持った。今まではすぐに攻撃されていた。どうやら男は本当に自分の娘に興味が有るらしい。確かに横に居るのは本当の娘だが、何十人も居る娘の1人だ。娘1人でこの強さの人間がこちら側に付くのなら悪くないように思えた。


「貴様の全力の攻撃をぶつけよ。余の魔法障壁を破り、避けるに値する攻撃ならば、余はこの玉座から立ち上がるだろう」


 魔王は余裕の表情だった。仮に魔法障壁が破られたとして、それは本気で張った魔法障壁ではない。自分を傷つけるのは不可能だろうが、痛いと思うような攻撃がきたら立ち上がるつもりでいた。


「よ、ようし。それならばいくぞ!」


 男の闘気が膨れ上がり、ヒノキの棒の先まで行き渡る。そしてそれが魔王のみぞおちに向かって凄まじい速度で突き刺さり、そのまま突き上げられる。魔王には男が一瞬の内に目の前に現れたかと思うと、腹部に今まで感じたことの無い衝撃が来たことしかわからなかった。全力で張ったものではないとはいえ、魔王が張った魔法障壁など男にとっては何の障害にもならなかったようだった。

 魔王はみぞおちに突き上げられる衝撃を感じた後、頭にも衝撃を感じ、そのまま意識を失った。


 それは一瞬の出来事だった。男が一瞬で魔王のところまで移動したかと思うと、ドドンという衝撃音がし、玉座は半壊していた。そこには千切れた魔王の下半身が残されており、天井には大穴が空いていた。そして普段は厚い雲に覆われていた空は、雲が消え去り綺麗に晴れ渡っていた。

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