番外編 王太子たるもの顔に出してはならない ※王太子視点

「命拾いしたじゃないか、おまえ」


 王城の風呂係に身体を磨かれた後、一夜を過ごす寝室へ入る前に、己の一物を薄物の隙間から眺めて呟いた。

 エルゼリア王国に、本日王太子夫妻が誕生した。良い結婚式だった。愛するエステリーゼは、天使かと見紛うばかりに輝いて、美しく笑っていた。素晴らしい日だ。

 良き日に合わせて恩赦が与えられた事により、一生従事するはずだった鉱山奴隷達も、数百人程度解放されたという。元犯罪者達も、等しくこの日を祝うと良い。


 私も危うく罪を犯す所であった。


 エステリーゼからの愛を信じ切れなかった愚かな私は、王族を抜ける覚悟で罪を犯し、彼女を解放してやらねばと考えていた。

 王命で決まった王太子の婚約は、私が王族としての資格を失う事でしか、解消する手立てが無かったのだ。


 王族の資格を失えば、落胤で煩わされる事が無いように、子を作れぬよう処置された後放逐される。余程王が慈悲深ければ幽閉もありえるだろうが、父は甘さと無縁の王だ。愚かな子など必要ないとばかりに、私は傷も癒えぬ間に無一文で放り出されていたはず。早く野垂れ死ねと言わんばかりに。


 シンシア嬢の助言のおかげで、私はエステリーゼの愛に気づき、この一物も命も失わなかったという訳だ。あぁ、今はブルック公爵夫人だったな。私が嬢等と呼んでは、彼女が周りから軽んじられる。気をつけねば。


 自分の寝室に入るのに、ノックは必要無い。そのままドアノブに手をかけ、入室した。


「お待ちしておりました。アデルバード」


 私と揃いの薄物を羽織ったエステリーゼが、ベッドの上で頬を赤らめて微笑む。

 なんて可憐なのだろう。この愛しい女性を手放す事にならず、本当に良かった。感謝する、ブルック公爵夫人。


「……私も待っていたよ。この日が来るのを」


 急いた気持ちを抑えられない。抑える必要も無いだろう。第一王子として、相応しく躾けられた振る舞いも忘れてベッドの上に飛び乗ると、エステリーゼは可笑しそうに笑った。


「まぁ、子供みたいに!」

「今夜だけは、立場も年齢も関係無い。だろう?」

「年齢は関係あるわね。大人の遊びをするんだもの」

「ちがいない」


 二人で笑いながら、お互いの身体を撫でつける。幼い頃、彼女と追いかけっこをした時に、こんな風に草の上に転がったな。あの時から、あるいはもっと前から、私はエステリーゼに夢中だった。


「エステリーゼ……、力を抜いて、私に任せ…」

「ブルック公爵夫人に、手ほどきを受けましたの」

「……なに?」


 渾身の甘い空気をスルーされ、エステリーゼはするりと私の腕の中から抜けていく。正直……、下半身の熱を持て余している。このお預けはかなり……。いや、王太子たるもの、感情を顔に出さない訓練は受けている。今はエステリーゼを安心させる為にも、微笑みを向けるべきだろう。


 軽く息をついて、ベッドの上に座り直した。脚を組んだのは、そこを目立たせない為だ。


「手ほどきとは、何のことかな?」

 感情制御を指導する講師に高評価を受けた微笑みを浮かべ、エステリーゼに視線を向ける。

 彼女は小さな入れ物を胸の前に掲げて、私へ微笑みを返した。


「これは、温感効果のある香油ですの。既に香油を塗ってしまいましたけれど、使ってみてもよろしくて?」

「そうか、では塗ってみよう。ベッドへ横になって」

「いいえ、違いますのよ。アデルバード……」


 ベッドへ戻ってきたエステリーゼは、私の肩に手を置く。そのまま押し倒され、エステリーゼの髪が私にパラリとかかった。


「横になるのは、貴方よ」





 王太子たるもの、感情を顔に出してはならない。


 たとえ、腰と喉の痛みに苦しめられていようとも。


 庭師達が丁寧に整えた、花の咲き誇る城の庭園。

 ブルック公爵夫人をもてなしているこの時も、私は完璧な微笑みを貼り付けて、優雅に見える姿勢で席に着いている。


「来てくださって嬉しいですわ、ブルック公爵夫人。ご相談したい事がありましたの」

「王太子妃殿下がお呼びとあらば、いつでも駆けつけます。わたくしの力になれる事であれば、よろしいのですが」


 初夜の次の日だというのに、友人のブルック公爵夫人を呼んだのは何故なんだい、エステリーゼ。


 そう尋ねる間も無いまま、私はこの場にいる。本来であれば今頃、私に無理をさせられたエステリーゼを慰めて、ベッドで介抱するつもりだったというのに。どちらかと言えば、介抱が必要なのは私の方。

 痛む喉を誤魔化す為に、紅茶を口に含んだ。


「実は、私、失敗してしまったのかもしれなくて。ブルック公爵夫人に頂いたあの香油を使って、夫人の教え通りにアデルバードを沢山愛したのですが、彼とても泣いてしまって。今朝も喉が痛そうですし、ベッドからなかなか起き上がれなくて……っ」


 ブッと紅茶を噴き出して、激しく咳き込んでしまう。このような失態、幼い頃でもした事が無い。


「大変!アデルバード!私が酷い事をしてしまったからですのね!ごめんなさい!」

「アデルバード殿下、むせた時は、ゆっくり息をなさってください」


 飄々とした態度で、私に助言をしようとするブルック公爵夫人。彼女を思い切り睨み付けてやりたい衝動を抑え込み、息を整える。


 王太子たるもの、例えどのような時でも、感情を顔に出してはならない。

 何事も無かったように微笑みを戻して、姿勢を正す。


「いや、気にしないでくれ。もう平気だ。それより、あの香油は君がエステリーゼに?ブルック公爵夫人」

「はい、アデルバード殿下。とても良い物でしたので」

「そうか……、どうも」


 ブルック公爵夫人であれば、私の僅かな視線で意味を理解するはずだ。

 余計な事をエステリーゼに教えるな。解るな、ブルック公爵夫人。


「エステリーゼ殿下。お相手が泣いたからと言って、必ずしも不快に感じての事では無いのですよ。良すぎて、泣くという事もあるのです」


 目を逸らすな、ブルック公爵夫人。こちらを見ろ。私の視線の意味を考えろ!


「そうなんですの!?」

「はい。わたくしも、夫を泣かせてしまう事があるのですが、終わった時にはいつも「とても良かった、ありがとう」と言ってくださるのです」

「まぁ、素敵……」


 止めないか、ブルック公爵夫人。次にシライヤに会った時、私はどんな気持ちで話せば良いんだ。


「ですが、怪我をさせてしまうのは良くありません。ですので、相手の意思を確認する事は大事です」

「そうですわね、最中は良さそうに見えたのですけれど、泣いてもいましたし。アデルバード、私の愛し方はどうでした?」


 ここで聞くのか!?息を飲みそうになるのをプライドで押し止め、口を開いた。


「ど…っ、あ、いや…。良か…っ、ではなく、そういう話は、また二人の時に。良いかい?エステリーゼ」


 この私がどもるなんてありえない。王太子たるもの、常に隙を見せず、優雅に振る舞い、感情を顔に出してはならない…っ。なんという不覚。


「そうですの……?閨教育を一緒に受けられたらと思ったのですけれど……」

「待ってくれ、エステリーゼ。まさか、ブルック公爵夫人に閨教育を頼んだという事か?」

「ええ、アデルバードが、学生時代にブルック公爵から学習指導を受けていたと聞いて。それなら私は、夫人に閨教育を受けようと思いましたの。良い考えでしょう?ブルック公爵夫妻は、口も固く、とても信頼できるご夫妻ですもの」


 身分の高い既婚者に、王族が閨教育を受けるというのは、確かにありえる事だ。王族の秘事を他者に漏らさないという、人柄も求められる。ブルック公爵夫人は、条件だけ見れば最適の人物と言える……。言えるが……っ。


「どういう事かな。ブルック公爵夫人。君は引き受けたのか?」

 余計な事をするんじゃないと、視線に込めて言う。彼女ならば、すぐに私の意図を察して、身を引くだろう。

「わたくし、房事には自信がございます。お任せ下さい」

 違うだろ!何故急にポンコツになっているんだ、ブルック公爵夫人!まさかわざと解らないフリをしているのではないだろうな!?使命感を帯びた顔で、瞳をキラキラとさせるな!


「ブルック公爵夫妻の仲の睦まじさは、社交界でも評判ですものね。他にも夫人から、閨教育を受けたいと希望する女性がおりますのよ」

「喜んで、お役目をお引き受けいたします。よろしければ、ご紹介ください」


 やめろ!受けるな!貴族社会の閨事に新風を吹き込むつもりか!まずい、この話を止めなければ。何か別の方向へ流れを持っていかねばならない。


「夫妻の仲の睦まじさは、他の所にも要因があるのでは無いか?普段の生活で何かあれば、聞かせて貰いたいものだな」

「普段の生活でですか……。そうですね、特別な事はしていないと思いますが……」


 特別な事でなくて結構!それで良い!エステリーゼにこれ以上、おかしな事を吹き込まれてはたまらない!でなければ、私の腰が崩壊するっ!


「絵本の読み聞かせは、とても喜んでおりました」

「なんて?」


 思わず、王太子らしからぬ口調で尋ね返してしまう。シライヤは、妻に絵本の読み聞かせを頼むのか!?あの堅物そうな男が、そんな甘え方を……。


「まあ!そんな方法まで!勉強になりますわ!近いうちに、実践してみます!」


 実践しなくて良い!い、いや、房事で腰砕けにされるよりマシか……?絵本くらいで彼女の気が済むならば、そのくらいは……。


「コツは、お二人一緒に絵本の登場人物になりきって、小道具等を駆使しながら、真に迫る演技をする事です。恥ずかしがってはなりません。廊下まで響き渡る大声で演じきるのです」


 ん゙ん゙ん゙……っ。

 無理だ。王太子として、品格高き振る舞いを叩き込まれた俺に、それは難易度が高すぎる……っ。

 というか、何をやっているんだ、ブルック公爵夫妻!愛の深め方が独特すぎるのではないか!?


「勉強になりますわ!」


 エステリーゼ!勤勉な性格をここで発揮するんじゃない!

 いけない、これ以上エステリーゼと、ブルック公爵夫人を話させる訳にはいかない!ここは一時撤退を選択するべきだ!


「エステリーゼ、そろそろこの茶会も開きにしよう。私達は、新婚なのだから。二人の時間を作るべきだとは思わないか?」

「そうですわね。今朝はアデルバードの様子を見て、慌ててしまいましたの。ブルック公爵夫人、こちらからお呼び立てしましたのに、申し訳無いのですが」

「いいえ、当然の事ですわ。わたくしは王太子ご夫妻が末永く寄り添われる事を、心より願っております。本日は、ここでお暇いたしましょう」


 危なかった。エステリーゼの事もだが、私もあと少しで醜態を晒す所だった。王太子たるもの、感情を顔に出すようなことをしてはならないのだから。


「最後にこちらを、お納めください」


 ブルック公爵夫人を帰せる事に安堵していると、彼女は膝の上から包みを取り上げた。手早く包装を解き、いくつかの入れ物をテーブルへ並べる。


「良い香油が他にもありましたので、お持ちいたしました。こちらは冷感効果のある物で、こちらは果実のような味がするもの、他にも説明を書き記しておきましたので、お好みのものをお使いください」

「まあ!美味しい香油まであるんですのね!塗った後に齧り付いてしまいそう!」



 王太子、たるもの……。



「あら、どうなさったの、アデルバード」


「アデルバード殿下、凄い顔をなさっておられますよ」



 私はテーブルに盛大な音をさせて突っ伏した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る