だから、雨の日なんて嫌いだ

紫月 文

第1話 雨の日なんて嫌いだ

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私は雨の日が嫌いだ。


一年前もそうだったし、高校生になった今でもそれは変わっていない。


大きくは変わらないのだが、ただ、そこにはほんの些細な変化もある。例えば、


私は一年前よりも「前向きに」雨の日が嫌いだ。


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 この辺りの道では決して当たり前ではない、舗装された道を歩くこと約20分。どこまでも広がる田んぼ、広いわりに交通量は少ない車道、ぽつんと立っているコンビニエンスストアを横目に、都会とは違った無機質さに包まれた通学路をほとんどまっすぐに進むと私の通う中学校がある。隣接した小学校とともに創立は古く、至るところにそれと分かるような痕跡が残っているが、改修しようという意見も、おそらくはそれを実現する予算もない。私自身も別にそれを必要としてはいないし、そもそも学校に特段の思い入れもないのだが、そんなことを考えながらこの道を歩くことができる期間はあと1年にも満たないのだと思うと少し寂しいような気もした。いつも通りの道を歩く、4月下旬のある朝のことだった。


 しかし私は今、そんな寂しさをを容易く塗りつぶしてしまうような、もっと後ろ向きな感情に支配されている。それは憎悪と言うには根深すぎるけれども、怒りであるとするならば私の冷静さを説明できない。単純に、「嫌い」という言葉が最も適切であって、そこにはいくぶん諦めの感情も混ざっていた。


 私は雨の日が嫌いだ。服や靴は濡れるし、髪もボサボサ、おまけに低気圧のせいでひどい頭痛がする。当然気分は落ち込むし、なによりこれを避けるための手段が傘を差すくらいしかないのが私にとって最も悲劇的なことだった。たかがその程度で嫌いになるというのは少々心が狭いのではないかという指摘は理解できなくはない。しかし感情をそのように制御しようとしても、どうしても私にはできなかった。私の雨嫌いは既に深く根付いていたのだ。学校に嫌いな人がいても、その人と顔を合わせなければ何ということもないのだが、私の嫌いな雨というやつは、私の意思とは無関係にずかずかと入り込んできては、私が暇を持て余しながら歩くはずだったおよそ20分を暗い記憶で埋め尽くしてしまう。もちろんそんな記憶を頭にとどめようとはしないし、それでも残っている記憶があれば、すぐさま掻き消そうとした。だから、登下校を終えて学校や家に着くとすぐに読書にふけるまでが雨の日の恒例行事となっていた。

 

 もはや溜息すら出ないほどの負の感情に支配された私は、俯きながら歩道を一定のペースで進んでいた。信号のある場所以外では顔を上げることもない。人とすれ違うことは多くないし、景色はとうの昔に見飽きていた。雨が傘を打つ煩わしいだけの音が私の耳の中で延々と響いていた。うるさい。どうやら今日の雨はかなりのものらしく、いつにもまして私の精神を削るものだった。うるさい、うるさい。しかし、この不快な刺激から免れる方法など存在しない。普通の雨の日ならば思わないことだが、珍しく私は、一刻も早く学校にたどり着きたいとさえ思った。あぁもう、うるさ……


「ちょっ、そこの君!」


 後ろから知らない男の声がしてはっと我に帰ると、目の前の横断歩道をトラックが横切るのが見えた。傘を差しながら俯いていたことで視界はトラックを見落とすには十分すぎるほど狭くなっていたし、トラックが近くに来るまでエンジン音も聞こえなかった。たぶん、本当に聞こえていなかったのではなく、雨の音に気を取られてしまっていたのだろう。普段ならこんなことは起こらないと思うのだが、並外れた強さの雨と偶然通ったバスという不幸の中、私を引き留めてくれた声だけが唯一にして最大の幸いだった。


「何やってんの、危ないでしょ。……それで、怪我はない?」


「は、はい。すみません」


 振り向いて顔を上げると、そこには黒のレインコートを着た男がいた。身長は私よりも10センチくらい高いだろうか。焦りながらも顔には笑みを浮かべているのを見ると、優しそうな男だという印象を受けた。どこか大人びた雰囲気がありながら、レインコートだけは子供っぽさを感じさせる。


「何か、悩みごとでもあったの?」


 男は私にそう聞いた。


「別にそういうわけでは……」


「そっか、でもなんか危なっかしいから、一緒に行ってもいい?」


「えっと……」


「第七中でしょ? この辺だとそこしか学校ないし」


「はい……そうですけど」


「じゃあ決まりね。あ、信号青になったよ」


 そう言って男は軽やかな足取りで横断歩道を渡った。渡り終えた男は振り返って


「ほら、早く早く。早くしないと学校に遅れちゃうよ」


呼ばれるがままに私は一歩を踏み出した。その瞬間、私の耳に響いているものが、煩わしい雨の音から知らない男の声にいつの間にか変わっていたことにようやく気づいたのだった。

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