76 魔法青年は寄り道する
新しい魔法陣や他国の魔法史、有名な過去の魔法使いの人物史に混ざって、しっかりと超古代魔法王国文字の辞書も用意してあった。
文字一覧のほかに、通常の辞書のように言葉に対して解説が書かれたものだ。ただし、解説文は古代帝国文字である。
この本は、古代帝国時代に作られた本を丸ごとコピーした複製本だ。専用の魔法陣で一ページずつコピーしてあり、解説だけを現代語訳するといった気の利いたことはできないらしい。少々苦手ではあるが、古代帝国文字の辞書を引きながら超古代魔法王国文字の辞書を読むほかなさそうだ。
「全部で52冊、確かに。支払いは魔塔から済んでいると思いますが」
「はい、受け取ってございます。すべてお持ちいただいて結構です。あの、荷運びのものはどちらに?そこまで我々が手伝わせていただきます」
案内してくれた店員以外にも、4人ほどの店員が廊下で待っていた。しかしコーディは、ニコリと笑顔で断った。
「いえ、僕一人で問題ありません。この箱にすべて入るはずなので」
ひょい、と鞄から取り出した板を組み上げて箱にした。広げると大人で一抱えできるかどうかという大きさで、きちんと蓋ができるタイプの衣装ケースのような箱だ。
「は……か、かしこまりました」
折りたたみの箱は、似たようなものがそのへんにもあるので珍しくはない。驚かれたのは、荷運び専門のポーターがいないことだろう。
すべての本を詰め込むと、箱の重さもあって全部で40kgほどになりそうだ。重さだけなら運べなくはないが、抱えて長距離持ち歩く重量ではない。
箱に詰めるところだけ手伝ってくれた店員の前で、コーディは箱を閉めて大きな布で包んだ上から紐でくくり、ふわりと風魔法を使う。例の浮かせて運ぶ魔法である。
「これで引っ張るだけなので、大丈夫です。受取のサインはこちらに」
「はい、確かに。……しかし、さすがですね。理論的にはその魔法も使えはしますが、そんな風に息をするように使える方は見たことがありません。私も風魔法が使えたら一度試してみたい魔法です」
店員が感心したようにそう言った。褒められるとくすぐったい気がするものの、最後の言葉にコーディは首をひねった。
「あの、僕名義の論文はご覧になっていませんか?少し時間はかかりますが、誰でも全属性使えるようになりますよ」
「えっ?誰でも、全、ぞくせい、ですか?!」
「はい、訓練すれば。えっと、去年くらいに発表した……あ、卒業論文だからプラーテンスの国外にはあまり出ていないかもしれないです。“属性魔法の根幹と個人の魔法の確立について”っていう論文なんですが、ご興味がおありでしたら魔塔からこちらの書店にお送りしますよ」
魔塔には、一応魔法学園だからということで、毎年の卒業論文をすべて渡しているのだ。しかし、一学生の論文が他国にまで出回るとはあまり思えない。よっぽど魔法に興味がなければそこまで確認しないだろう。
コーディが言うと、店員は勢い良く頷いた。
「ぜひ!ぜひともお願いいたします!全属性使える論文以外に、学生の間に発表されたものはありませんか?!」
前のめりで聞かれたので、コーディは思わずのけぞった。
「えっと、確か魔力の器を拡大する論文があります。あ、魔法の同時発動は技術登録したので、冒険者ギルドを通して広まってきているかもしれないです」
同時発動くらいは知られているかも、と思ってそう言ったが、店員は首を左右に振った。
「いいえ、大変申し訳ないのですがまったく存じ上げません。プラーテンス王国はほとんど他国との交流がありませんので、冒険者もあまり出入りしないのですよ。しかし、聞けば聞くほど素晴らしい論文ですね。魔法で困っている人たちが詰めかけますよ。論文をいただいたら、当書店で複製して発行させていただいてもよろしいですか?」
「はい、もちろん」
「ありがとうございます!少々お待ちください、契約書をお持ちしますので」
印税などを色々盛り込んだ契約だったので、本をできるだけ低価格にしてもらった。
必ず儲けが出るとしきりに言われたので、論文に加えて実際に魔法を発現するときのコツをまとめた文章をつけると約束した。元々が無料公開している論文なので、プラーテンスが開国すれば普通に出回るはずの情報なのだ。
崇められるようにしながらアレオン書店を出たときには、コーディは精神的にくたびれていた。
ハマメリスの王都で宿を取って一泊し、次の日にはハマメリス王国の冒険者ギルドに顔を出した。
前にディケンズから色々聞かされたこともあって、魔獣に日々対面している冒険者たちの違いを見るためである。プラーテンス王国は半鎖国状態で、魔塔は論外なので他の国の一般的な冒険者や魔法使いがどれくらいのものか知りたくなったのだ。
宿屋はさらに一泊頼んでおいたので、箱や鞄は置いておく。もっとも、本はアイテムボックスに収納したのでもしもの場合も問題はない。いつもの冒険者の格好に着替え、早朝に部屋を出た。
日課のランニングをしながら王都を見回るが、さすがに夜明けから動き出しているのは仕込みが必要な食事店か、夜の商売らしい人たちくらいだった。
冒険者ギルドに向かうと、チラホラと人がいた。訓練場を併設しているので、そこを借りる許可を得て筋トレと神仙武術の型の訓練である。このところルーチンワーク程度でサボっていたので、久しぶりにじっくり身体を動かしながらギルドにやってくる冒険者たちを観察した。
王都のある台地を降りたところに大きな川があり、対岸にはそれなりの魔獣が出る森がある。早朝とまでいかずとも、朝から動けば普通に一日で往復できるため日常的に活動している冒険者たちを見ることができた。
――これはまた、そんなことになっておったのか。なるほどプラーテンスはガラパゴス化しておるのぅ。
依頼を受注する人、装備を確認する人など、多くの冒険者たちの様子を観察していて出てきた感想がこれである。
もっとも、王都の中で完結する依頼はほとんど便利屋のようなものなので、それを受けている人は除外だ。森での狩猟依頼を受けている人だけを見ていたのだが、神仙武術の型をなぞりながら思わず半目になってしまった。
魔力量はちらりと見た限り平均的に低い印象だが、大きな違いはなさそうであった。違いは、魔法そのものである。
「火魔法の魔法陣と、あと木魔法のも足りなくなってたっけ?」
「水魔法を追加しておこう。今回の依頼はちょっと奥の方だし、風魔法も予備に持っておこうか」
「魔法陣の巻物を納品に来ました」
「土魔法、石をぶつけるんじゃなくて土を掘る魔法陣ってある?」
様々な人が販売・買取の窓口に来ているのだが、そのほとんどが魔法陣の売買なのだ。しかも、紙に描かれたものをやりとりしている。これが夕方なら、魔獣素材のやり取りもあるのだろう。
一通りの訓練を終わらせてから、近くにいたギルド職員に質問してみた。
「あの、こちらの冒険者の方は魔法をほとんど魔法陣で賄われるんですか?」
「え?そうですけど……その方が安定しますし、武器にも魔法陣を使いますよね。魔力も温存できますから、利点しかないですよ。他国も一般的にはそうですよね」
職員は、外国から来たというコーディの疑問に不思議そうに答えてくれた。
確かに、魔力を温存しながら安定した魔法を発現させるなら、魔法陣という選択肢も悪くはない。
「えっと、では普通に魔法を使うことはないんですか?ファイヤーボールみたいな」
「使わないことはないでしょうけれど、生活の足しというか……火魔法なら、焚き火のときに使う程度でしょう。魔法より魔法陣の威力の方が強いので、実用なら魔法陣一択ですね。魔法だけで魔獣を倒せる魔法使いなんてほとんどいませんよ。もしいたら、国が囲い込んでいるか魔塔に行くかしていますから」
魔法陣は確かに便利だが、依存してしまっては魔法の成長が止まってしまう。とはいえ、魔法陣を使いこなす方向で成長するならそれも一つの道ではあるだろう。
「あの、たとえば貴族の方とか、魔力の多い方も同じ感じですか?」
「貴族?やだ、貴族は魔法なんか使わないわよ。魔力は持っているし、なんだか難しいことは勉強しているみたいだけど、実際に使っているところなんか見たことないわ。お抱えの優秀な召使いに魔法陣を使わせて、貴族同士で優劣をつけるようなことはしているわね。この間も、そのためにここの訓練場を貸せっていうお貴族様が来て、あのときはたまたま昼間だったし誰も使っていなかったから良かったけど――」
それからはしばらく、王都にいるらしい貴族の愚痴が続いた。
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