魔法少年になった仙人じいちゃんの驀進譚(ばくしんたん)

相有 絵緖

プロローグ

1 仙人じいちゃん死す

こうは、布団の中で目を覚ました。

己の寿命が尽きるのを感じたのだが、まだほんの少し猶予があるらしい。

まだ夜は開けておらず、カーテンをひいていない窓から見える空はほんのりと青い藍色だ。


―― 空はいいなぁ。


もう一度空を見ることができた鋼は目を細めた。


伴侶も子どもも親戚もいない孤独な老人が、自給自足を夢見て限界集落に引っ越してきた、というのはよくある話だ。

畑を耕し、家事をこなし、あとは好きなことに打ち込む。

数キロ先にしか民家のない山の中で、悠々自適な隠居生活。


そんなていを装っていた鋼は、実は仙人だった。


現代にも、仙人は紛れ込んで生きている。

素質のある者が、仙人の弟子となって数十年指導を受けさえすればなれるものなのだ。

とはいえ、非科学的な存在だと自覚もしているので、皆隠れ住んでいる。科学至上主義な現代になって、確実に数を減らしているだろう。

実際、鋼も弟子をとらなかった。


もっとも、鋼が弟子をとらなかった理由は現代社会がどうこうといった問題ではない。

自分の研究に没頭していたら、そういう機会を逃してしまったのだ。現代科学にも通ずるところのある仙術が面白く、のめり込んでいたのである。似たところがあるから、とわざわざ大学に入って物理学を学びもした。

仙人に伝わる神仙武術しんせんぶじゅつという体術も毎日訓練していたが、圧倒的に仙術の研究に時間をかけていた。

若者の言うところの仙術オタクとでも言うものに相当するだろう。


ちなみに、仙人といえど実は不老不死などではない。

少しばかり寿命が長いだけだ。

大体、150歳くらいが平均寿命だろう。それでも、大人になってからの時間は普通の人の倍ほどある。


15歳で道士となり、仙人になるまでに50年ほどかかったから、鋼はおよそ80年を仙術の研究に費やした。


そのことには後悔はない。

むしろ満足である。


死を前にして、心残りがあるとするならば。


真人しんじん……いや、あの方は、上界真人じょうかいしんじん、と自称しておられたか。あそこまでは、至らなかったなぁ……」


仙人になったばかりの頃に、一度だけ上界真人を名乗る人物に出会った。

師であった仙人からは真人とのみ聞いていたが、つまりは仙人の上位的な存在らしかった。彼らは仙術を極め、さらには超え、仙人ですら至れない次元へと昇華した超人だという。


しかし、出会った上界真人は、見た目には普通の若者だった。

鋼がもてなしで出した茶を飲み、煎餅を食べ、気まぐれに鋼の質問に答えてくれた。


誰でも上界真人へと至れる可能性はある、と彼は言った。

また、同じ修行をしたからといって上界真人になれるわけではない、とも。

彼の説明はどうにもふんわりしていて要領を得なかったが、研鑽を積み上げたうえで、運が良ければ仙術の真理が見えるらしい。それは悟りを開くような、次元を超えるような感覚らしく、本人は「バリッと壁を破った感じ」だったそうだ。


もっと話を聞きたかったが、鋼と同じように自由に研鑽を積むタイプらしい上界真人は、名前すら交わさずさらりと去っていった。


それから約80年、鋼はひたすら仙術を研究し、武術を磨き、修行を重ねてきた。

それでも、上界真人へは至れなかった。


「真人には、この世界は、どう見えたのだろうなぁ……」


ため息を吐くようにこぼれた言葉は、朝焼けの空に溶けて消えた。




◆◇◆◇◆◇




(あぁ、命を終えたのだな)


鋼は、不思議な場所で周りを見渡した。


見た、という表現が合っているのかは分からない。目で見ているわけではなく、体も感じられない。物理的な存在かどうかも曖昧である。

しかし、自分が周りを何らかの形で認識していることだけは理解していた。


すぐ近くには、小さな光る玉のようなものがたくさん浮いていて、迷ったり急いだり、てんでバラバラになりながらも一方向へと向かっていた。

鋼も、そこへ向かなければならない、という感覚になっていた。

多分、ずっと遠くに見える光の川が、輪廻の輪に入るための道なのだろう。


自分の生に未練がないわけではないが、さりとてしがみつくような渇望があるわけでもない。どちらかといえば、満足な人生だった。

次はどんな人生になるだろうか、と思いをはせながら、鋼も輪廻の輪へ向かうためにふらりと動き出した。


そしてすぐ、ほかよりもさらに小さな光の玉に気を取られた。

小さいからではない。

明らかに、あちこちがヒビ割れ、さらには一部が大きく欠けているようにも見えたためだ。

ほかの光の玉は、よく見ればわかる程度の傷ならあったが、ここまで酷いものは近くに見当たらなかった。


(可哀想に。あれでは痛むだろう)


すでに、この光の玉がいわゆる魂のようなものだろう、と鋼はあたりをつけていた。

その魂がここまでボロボロになっているとは、一体どんな人生を歩んできたのだろうか。


仙人として学ぶ中で理解したことだが、魂と心は別ものでありながらつながっている。

あの魂の傷から鑑みるに、生前は随分と心を傷つけられてきたのだろう。


哀れに思った鋼は、その小さな光の玉に近づき、そして強く思った。


(どうにもここでは仙術を使えなんだ。それでも、できることならその傷を癒やしてやりたい)


思いを強くしたとたん、体はないのだが、自分の内側から何かが抜け出るのを感じた。

それは神秘的な現象だった。

眼の前の小さな光の玉へと何かが集まり、傷を修復していったのだ。



修復が終わると、小さな魂と細く繋がった感じがした。

その繋がりを通じて、どこか幼い、けれども真っ直ぐで大きな感謝を感じた。


人助けは、仙人のライフワークでもあった。

鋼は研究が先に立っていたのであまり人に関わることはなかったが、それでも町に出たとき、誰かと関わったときに、困っていればこっそり仙術を使って助けてきた。

その延長であり、個人的にしたことはただの同情である。

何かのエネルギーによって目の前の光の玉は癒やされたようだが、鋼にとっては当たり前にしただけのこと。

ほんの少し気にかけた程度なのに、こんなに感謝するなんて、本当にどんな生前だったのか。


(願わくば、来世は幸せに溢れ、周りに分け与えてもなお幸せであるように)


思わず祈ったところ、またしても鋼の中から何かが抜け出ていった。

その何かは小さな光の玉に吸い込まれたようだが、見た目には何も変わらなかった。


小さな光の玉は、もう一度感謝の念を鋼へ伝えたのち、ゆっくりと輪廻の輪へと向かいだした。迷いのない動きから察するに、自分の生に執着は一切ないらしい。

それもまた、なんとも言えない気分になった。




少しの間、鋼は小さな光の玉を見送った。

小さな光の玉の生前に思いをはせたが、憤りを感じても悲しくなっても、この場ではどうしようもない。あの魂が捨て置くと決めたのであれば、その選択を尊重すべきだろう。

そして、自分もそろそろ進もうか、と動き出した。


するとどこからか、鋼を引っ張るものがあった。


魂のままの鋼は、どこかに掴まることもできない。

ただ、引かれるがまま、鋼は輪廻の輪とは別の方向へと移動していった。


嫌な感じがなかったのも、無理に反抗しなかった理由だ。


しかし後に、本当にそれで良かったのかと自問自答することになる。

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