1-2 勇者選定

 たしか十二歳の時だったと思う。


 地獄の門が開門し、魔族たちは皆がみな神に祈るがごとく魔王になりたいと願いを込めた。

 リナもそんな魔族の内の一人であったが、彼女は魔王になれなかった。


 それを残念に思った覚えはあるものの、それほど強い失意を抱いたわけではない。

 幼いころに考えた『魔王になって勇者と仲良くし、世界を平和にする』という方法では、レイナの心の傷を癒せないと気付き始めており、魔王への興味が薄れていたからである。


 レイナは今でこそ普通に過ごしているが、少し前までは殺人鬼のような瞳をしていたものだ。

 胸の内では、今でも人族のことを目の敵にしていることであろう。


 同じく母親を人族に殺されているリナだが、彼女は人族のことを憎んでいない。

 正確には、人族という種を憎むのは筋違いだと思っている。

 たしかにレイナのご両親を殺したのは人族だが、憎むべきは人族という種族ではなく、親を殺したその当人であろう。

 

 悪人は別に魔族の中にだって存在するし、たぶん魔族も似たようなことを人族に対して行っている。

 人族と魔族は多少の外見的な違いがあるだけで、文化的には似通った生き物であり、他人を恨む心もあれば、他者を愛する心も持つ。

 それは人族だからとか、魔族だからというのはあまり関係なくて、当人の有り様こそがそれを繁栄しているのだ。


 そんな風に考えていた当時のリナは、何を思ったのか勇者一行のメンバーになろうとしたのだった。


 魔王の誕生が囁かれるようになる時期、人族社会では勇者を異世界より召喚する。

 加えて、勇者の仲間となる勇者パーティの選定を行うのだ。

 その選定にはいかなる種族や階級の者も参加することができ、敵対種族である魔族も、名目上は選定を受けることができるのである。


 この馬鹿げたアイデアをなぜリナが採用したかと言うと、親友である自分が人族の陣営につくことで、すべての人族が悪ではないとレイナにわかってもらいたかったからだ。

 魔王は願ってダメならおしまいで、そこに努力の余地はないが、勇者選定は試験にさえ受かればなることができる。

 つまりリナが肝胆かんたんを砕くほどに結果を変えられる可能性があるのだ。


 十六歳の成人を迎えた頃、人族の都では勇者カナト・サクラが召喚され、勇者パーティ招集の御触れが出た。


 彼女は寝る間を惜しんで勉強をし、遊ぶこともせず戦闘訓練に没頭し、食事をしながら魔法研究に勤しんだ。

 勇者選定に行くと話したとき、家族やレイナは非常に複雑そうな表情をしていたが、少なくとも表面上はリナのことを応援してくれた。

 自分の準備には自信があったし、家族が経済面でサポートしてくれたため、リナは万全の状態で勇者選定に臨むことができたのである。


 選定は人族の首都ティエルマリナで行われる。

 この時だけは全ての種族が都に入ることができ、ティエルマリナはさながらお祭りのような雰囲気となっていたのである。


 魔族でこの試験を受けに来る者などリナしかおらなかったが、彼女は衆目を気にすることなく試験会場へと入っていき、全部で六次試験まである選定に臨む。


 まずは一次試験となる筆記試験だ。

 若干の緊張はあったものの、リナは手ごたえをちゃんと感じることができた。

 二日の採点期間を経て、リナは合格者が張り出される掲示板の前へと行く。

 すでに数多くの受験者が集まっており、みな今か今かと緊張の面持ちで合格者の発表を待っていた。

 リナも自信はあったものの、体中がざわついているのは隠しようのないことだ。


 今か今かと待っていたところで掲示が掲げられ、それと同時に周囲で声があがる。

 歓喜の声、落胆の面持ち、抱き合う者たち。

 不安と自信を織り交ぜた表情で、リナもその張り出しを眺めた。

 リナの受験番号は――。



 そこにはなかった。



 周囲の声が聞こえなくなって、茫然と自分の番号が書かれるはずのスペースを見続けてしまう。


 その後のことはあまりよく覚えていない。

 いつの間にかリナは自分の村へトボトボと帰り、桟橋に差し掛かったところでレイナとたまたますれ違った。


「リナ……」


 その表情を見て、結果を察したのだろう。

 レイナがなんと声をかけたものかと戸惑っている。

 ただ親友のレイナが相手であるからこそリナにはわかってしまう。

 彼女は恐らくこの結果を――


 喜んでいる。


 当然であろう。

 レイナは人族を憎んでいるのだ。

 その人族の旗頭となる勇者一行に親友がなると言われれば、複雑な気持ちになるのは当たり前なわけで。

 今更ながら、自分はなんのために選定に行ったのだろうかと、涙が出そうになる。


「……あ、はは、ダメだったや。まあ仕方ないよね」


 レイナが頭を撫でてくれる。


「頑張ったね、リナ」

「わたし魔族だもんね。やっぱり足切りとかあるのかなぁ」


 必死にそんな言い訳とも取れないことを口走ってしまい、自分の心に気付いてしまう。


 ――そっか……。私、本当に、なりたかったんだ。


 最初はレイナのためだった。

 親友の彼女に笑顔でいてもらいたいという思いが、リナの努力の根源だった。

 でも努力すればするほどに、そして時間をかければかけるほどに、

 

 勇者になることは、いつの間にか自分の夢になってしまっていたのだ。


 夢に向かって精一杯走った。

 勇者一行を目指そうと思ってから怠けたことなんてほとんどない。

 自分にできるすべてのことをやった自信がある。

 けど……ダメだった。

 レイナに撫でられたことで涙が出てきてしまう。


 はぁ……。

 すべてが無駄なことか……。

 何がダメだったんだろう。

 どうして……。

 私は――。


 ……。

 …………。

 思い出に耽っていたところでふと我に返り、隣を歩くレイナがジーッと自分を見つめてきていることに気付く。


「な、なに?」


 シュジュベル美術館前の大通りは観光客と思われる人で混雑しており、流れに任せてゆったりとしたペースで歩を進めている。

 そんな中、普段ベタベタとくっついてくるレイナが必要以上にリナへと抱きついてきて、その顔を覗き込んでいた。


「なんかリナが難しい顔してる」

「あ、ご、ごめんごめん。ちょっと昔のことを思い出してて」

「昔のこと? んー……あ! リナがおもらししちゃったときの――」

「違う!」


 もっとも思い出したくない思い出トップスリーの一つを言われ、道中で大きな声を出してしまう。


「うふー、今でも覚えてるよ♪ あの時のリナの顔ちょっとエロかったからね」

「なああ! 忘れろー!」


 ニヤニヤするレイナを羽交い絞めにする。

 にもかかわらずレイナが当時のリナの声真似で、


「レ、レイナー、漏れちゃうよぉ~」


 と続けてくるものだから、顔を真っ赤にしてレイナをポカポカと叩く。


「ぬー! 元々あれはレイナの用事が長引いたせいじゃんよ! それにお漏らしじゃない! ちゃんと間に合ったもん!」

「野外でね」

「あああああ!」


 リナは両手で頭を抱えて悶絶する。


「あはは、ごめんごめん。それで、何の話だっけ」


 ううう、と涙目になりながら恨めしそうにレイナを見つめる。


「はぁ……。もう……。私が勇者選定に行った時のことを思い出してたの」

「勇者、選定……?」


 それまでのふざけた態度から打って変わって、レイナの表情は暗いものへと変わってしまう。


「……。ふーん。なんでそんなこと思い出してたの?」

「何となくかなー。あのときの私って頑張ってたなーって思って」


 レイナは目を吊り上げてリナを見つめる。

 決してリナを睨んでいるわけではないが、そこに込められているものが正負どちらの感情かと問われれば負と答えるであろう。


「今だから聞くけどさ、リナってなんで勇者になんてなろうとしてたの?」


 リナはここで本当のことを言ってしまうかを迷う。

 レイナの反応を見るに、彼女は未だに人族に対して思うところがある。

 そんな彼女に対して「あなたのためにやった」などと言おうものなら、不快に思うことは必然であろう。


 それに最初はそう言う目的だったが、途中からは自分のためでもあった。

 リナは勇者選定に落ちて以降、人助けという趣味に本腰を入れている。

 これはたぶん忘れたいという思いからだ。


 でも本心ではわかっている。

 レイナのためではなく、あれだけ努力したのはなりたかったからなんだ。


 勇者に。



「……リナ?」


 レイナの問いかけで我に返る。


「あ、ごめん。えっと、なんでだろ。当時の私ってちょっとおかしなとこあったからさ」


 そう言うとレイナがしばらくの間リナを見つめた後、いつもの笑顔をつくっておどけてくる。


「え? 今はまともだと思っているの?」

「な! まともに決まってるでしょ! もぅ!」


 ふざけてくるレイナをリナは再び羽交い絞めにするのだった。


 ただ心のどこかで思ってしまう。

 わざとふざけてきたのかもしれない、と。

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