勇者になりたかった魔王

ihana

【第一部】 友の調べに

【第一章】 魔王と目される少女

1 魔王と目される少女

 木製の車輪が砂利をはじき、規則正しい馬蹄の音が搭乗者に眠気を誘発する。

 ジリジリと照らす太陽は帆に阻まれ、行商一行は三台の帆馬車と共にゆったりとした風を感じながら街道を進んでいた。

 虫たちのささやき声は街道にまで鳴り響き、生い茂る木々はアロマティックな湿気で包まれる。


 シーアの大森林と呼ばれるこの場所は、行商が目指す魔族の都市カナルカの東側に広がる野生生物たちの楽園だ。街道沿いならいざ知らず、ひとたび森の中へ足を踏み入ると雄大な自然が出迎えてくれる。


 馬車に乗っている者たちはいずれも人族と呼ばれる種族であり、この街道を通るのは比較的珍しい者たちであった。

 彼らがわざわざ魔族の都市を目指しているのは、人族の土地でしか手に入らない特産品を高値で売りつけることにある。


 人族と魔族はよく戦争をしているが、今は休戦中だし、民間行商に対する規制があるわけでもない。

 むしろ利益がそこにあるのであれば、国の中枢で椅子にふんぞり返りながら戦争の是非を決めている奴らなど無視して、さっさと商売を始めてしまうのである。


 この行商一行を取り仕切るネルグもまた、そんな風に商売をしてきた者の一人だった。

 今は眠け眼を擦りながら、先頭馬車で大きな欠伸掻いているところである。


「ネルグさん、あと半日ほどですか?」


 仲間からの言葉で霧散しかかっていた意識を集中し、手から落ちそうになっていた手綱を握り直す。


「……あ? ああ。この退屈な道のりもあと少しだ」

「私は半日後の商売のことを思うとワクワクしますけどね」


 仲間は声だけでなく顔も踊っている。


「それは通常の荷の方か? それとも特別な荷の方か?」


 わざとらしく含みを持たせたネルグの表情は不敵なもので、決まってるじゃないですか、なんて答える部下の顔は得意げな微笑に満ちていた。

 彼らは特別な荷を隠れて運んでいる。

 ただし荷と呼ぶのはおかしいかもしれない。

 なぜならそれは、彼らと同じ種族の生き物であり、法律で売買を禁じられているものだからである。

 そしてそれこそが彼らに最大の利益を生むであった。


 っとそこへ視界前方に影。


「おっと、危ないな」


 正面に鹿が飛び出してくるのを見て馬車を減速させる。


「たまにネルグさんのように寝ぼけて突っ込んで来るやつもいますけどね。それよりはマシじゃないですか。はは」



 バギャリ!



 冗談混じりの彼の声を聞くや否や、笑いを返事とばかりにその言葉が現実のものとなった。彼らが乗る帆馬車に大きな衝撃が走り、音と揺れで馬たちが動揺の鳴き声をあげる。


「なんだ!」


 明かに骨木が折れたような音が鳴り響き、焦りの色と共に状態を確認しに行く。

 猪だった。


「折られた! 本当に真っ昼間から突っ込む馬鹿がいるのかよ!」


 悪態をつくも、ぶつかった当人はすでに馬車のことなど気にもしておらず、何事もなかったかのようにスタスタと立ち去っていく。


 仕方がないとばかりにすぐさま対処の行動を開始する。

 長く行商を行っているとこういった事態も全くないわけではないため慣れた手つきだ。

 一行は馬車を止めて、添え木を当てるための作業へと取り掛かる。



 しかし次に起こった事態には、全員が言葉を失ってしまった。



 鹿。小型の魔物、猪。大型虫の群れ、鼠。レム鳥の群れ。

 森に住むあらゆる生物たちが、次々に左手側の森から飛び出して来たのである。

 さながら火山の噴火から逃げてくるその様は、動物の大行進かのようであった。


「なんだ……どうなっている?」


 あまりの事態に混乱を極めるネルグ。

 雇っていた傭兵たちも帆馬車から飛び出し、槍の穂鞘を捨て去っているところだ。


「わかりません。一体何が……」




 最初にそれを察知したのはネルグだった。

 何か巨大なものが木枝をなぎ倒す音。

 例えるなら、竜巻が通るような感覚だ。

 それは徐々にこちらへと近づいてきており、命の危険を察知するには十分すぎる違和感であった。


「……まずい! 全員馬車に乗れ!」


 そう指示するも時すでに遅し。

 地響きと破砕音が周囲に鳴り響く。

 天を揺るがす咆哮とともに現れたソレは馬車の一つを真っ二つに破壊した。

 三本の角を兼ね備え、長剣十本分はあろうかという巨大を唸らせるは灰色の四足獣。



「ハウル、ホーン……!」



 分厚い皮膚は研ぎ澄まされた刃をも弾くと言われる全身鎧を兼ね備えた獣。

 一点不思議なところがあるとすれば、このハウルホーンは角の一本が綺麗に斬り飛ばされている。だがそうであったとしても危機的状況であることに変わりはない。


 ネルグはこの事態にどのような手を打つべきか困惑していた。

 シーア大森林に魔物が生息していることはよく知られているが、街道にまで出てきて人を襲うケースは稀だ。

 念のためと思い五名の傭兵を雇ってはいるが、すでに二名は破壊された帆馬車の下敷きになっており、もう三人が震えあがっていることも一目瞭然である。


 荷を守るのはほぼ不可能。

 むしろ、この場で何人生き残れるかを考えることの方が重要だ。

 ハウルホーンは人の足の何倍もの速さで走ることができる。

 あの傭兵たちがどれほどの時間稼ぎをしてくれるかはわからないが、全員が逃げ延びることなど雨夜の月を見るようなものであろう。


 そんなことを思っていたらハウルホーンが角を振った。

 傭兵たちは小枝のごとく吹き飛ばされ、ピクリとも動かなくなってしまう。

 稼いでくれた時間は約二秒。


 死を目前に、恐怖が体中へと駆け巡る。

 奴の照準がいつ自分に定められるかと思うと、身動き一つ取ることができず、ガチガチと鳴り続ける奥歯が奴の気を引いてしまわないかと必死に歯を食いしばってしまう。

 もはや仲間たちへの指示どころではない、命がなくなる。


 どうにかこの場を逃れようと考えていたところで、最悪の事態が発生した。

 ハウルホーンの視線が、あろうことかネルグを真っ直ぐに捉えていたのである。

 それを認識してネルグは走馬灯を見た。自分の肉体能力を限界まで使ったとしても、ハウルホーンから逃れることは不可能であろう。

 そう直感した脳が諦めと共に彼へ最後の思い出を見せたのかもしれない。


 ハウルホーンが地を蹴る。

 すべての終わりを直感した彼は目を瞑った。

 せめて苦しまずに殺して欲しい、なんて後ろ向きな思いを抱く。


 次の瞬間、激しい音と風圧がネルグへと押し寄せる。

 恐怖、後悔、失意。

 それらをぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたような感情が、弾けた悲鳴となってネルグの喉に鳴らさせた。

 無意味に腕を構えながら縮こまってしまうが、不思議なことに痛みや血の流れる感覚が未だ体にはない。

 それとももう死んでしまったのだろうか。

 薄っすらと目を開ける。

 すると、彼は不思議な光景を目にした。



 そこには魔族の少女が立っていた。



 赤い瞳に可憐な黒髪。その頭には二本の黒い角。

 青白い半球状の防御魔法が、彼女の片手に支えられながらハウルホーンの突進を妨げている。


 ネルグにはこの光景があまりにも異様なものとして映った。

 防御魔法であの鋭い角を防ぐことが不可能に近い上、小柄な彼女はそれを片手で支えているのだ。

 おまけに凶悪なハウルホーンと対峙する彼女は、焦るわけでも、次なる手を必死に考えているわけでもなく、ネルグの方を向いて優しく微笑んでいる。

 そして発された言葉は。


「頑張ったわね。今、助けるわ」


 少女は防御魔法を発動させている左腕をアッパーの要領でかちあげ、ハウルホーンを力任せに転倒させる。

 その常人では到底不可能な芸当を、ネルグは口をぽかんと開けながら眺めていた。


 彼女の幼げな容姿からは、この少女が十代前半であることをうかがわせているが、ネルグはもしやと思う。

 この少女がカナルカへ来る前に聞いていた噂の人物であれば、彼女がすでに成人しているということを知っている。


「ごめんなさい。私が逃がしてしまったからよね。でも人と魔物は一緒に暮らせないの。だから――」


 少女が諦めた瞳と共に展開するは七色に輝く魔法陣。


「さようなら。【スパイラルレイ】」


 幾重もの曲線光が飛翔する。

 四方八方よりハウルホーンを襲うこと、台風のごとし。その威力や、隕石の如し。


 光線系魔法を複数展開の上、曲線誘導までつけて、かつ、この威力。

 ハウルホーンがすでに絶命していることは確認するまでもない。


 間違いない。

 彼女こそ酒場で聞いた噂の人物だ。

 あの時はどうせ尾ひれのついた話だろうと思っていたが、決してそんなことはなかった。

 魔族の中で齢十七歳にして、魔王最有力候補と目される少女。



「リナ・レーベラ……!」

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