四章 さらわれたコルヌ

第16話 魔女ウンブラ



 つかのま、ケルウスとウンブラはにらみあった。

 緊迫した空気がもしも物質的に変化するとしたら、二人のあいだには無数の氷の針が結晶し、一歩も動けなくなっていただろう。


 だが、とつじょ、魔女は相合をくずした。ヘラヘラと笑いだす。


「今まで見たなかでも格別の美形だね。顔は綺麗なのに魂は腐ってるとこなんか最高! もーらった!」


 わけのわからないことを言うやいなや、姿がブレる。次の瞬間にケルウスのわきをすりぬけ、背後に現れたのは、魔術のせいか。それとも幻術か?


 とにかく、ウンブラはコルヌの肩を抱くと、そのまま、すっと姿を消した。コルヌも同時にいなくなる。ウンブラにつれ去られたらしい。


「コルヌ!」


 呼べども、変事はない。

 ただ無人の長い廊下が続くだけ。


 困ったことになった。

 まさかと思うが、夜な夜な人を殺しているのがウンブラだったなら、コルヌが無事に帰ってくるかどうか保証がない。女たちのようにバラバラにされて、腹を食いやぶられでもすれば……。


 だから、おとなしく留守番していてくれたらよかったのにと、焦燥感だけがつのる。


(そうだ。ラケルタなら、ウンブラの居場所を知ってるだろう)


 急いで、中庭近くのラケルタの部屋へ走る。夕刻が近づいて、中庭の行列はなくなっている。かわりに、鎧をまとった兵士たちが整列を始めていた。


「ラケルタ! おい、いるのか?」


 執務室にかけこむ。いや、かけこもうとした。部屋のなかに、ラケルタ以外の誰かがいる。後宮の門番の鎧だ。


「……では、そのように」

「頼んだぞ。うまく融通してくれれば……稼がせて……」

「……」


 ヒソヒソと話す内容は聞こえないが、よくないふんいきだ。何やら陰謀をたくらんでいる最中と見た。


 兵士は話が終わると退室しようとして、戸口にやってきた。そこに立つケルウスを見て、ギョッとしている。兵士を追っていくべきか迷ったものの、姿を見られているので断念した。それより、ラケルタに頼んでウンブラのところへつれていってもらわないと。


「ラケルタ。あなたはウンブラと親しいのだろう? お願いだ。おれをウンブラのところへ今すぐ案内してくれ」

「ウンブラは気軽に誰でも会ってくれる女じゃない。そばによりつくことがゆるされているのは私だけだ」

「そのウンブラがついさっき、コルヌをさらっていったんだ!」


 ラケルタの顔色がサッと変わる。魔女ウンブラを手なずけられる、ただ一人の人物という基盤の上に成り立っている自身の境遇を、明確に自覚していると見える。血相を変えて、部屋をとびだしていった。ケルウスもそれを追う。


 複雑な宮殿のなかを、どのように移動したのか、おぼえていられなくなったころ、妙なところにある扉から短いほら穴に入った。宮殿の一部が裏手の山につながっている。


 少し進むと、岩窟がんくつの寺院のような部屋に出た。いわゆる岩屋だが、風が通り、湿気もなく、地熱があるのか寒くもなく、王宮よりかえって快適だ。


「ウンブラ。入るよ? 私だ。ラケルタだ」


 ラケルタが断りを入れてから、扉がわりとおぼしき織物をめくる。


 なかはカラフルな刺繍ししゅうのタペストリーで壁が飾られ、魔女の小部屋というよりは、辺境の羊飼いの機織はたおり部屋だ。

 しかし、無人だ。コルヌはもちろん、ウンブラもいない。


「ウンブラがいないじゃないか?」

「この奥が魔術の場だ。彼女は魔法の儀式をしているときは、ジャマされるのを嫌う」


 ラケルタが指さすのは、奥の壁にある、いかにも怪しげな紋様の扉だ。木でできているので、破壊すれば、なかへ入ることはできそうだ。しかし、ウンブラの魔法には生贄が必要なはずである。コルヌが無事ならよいのだが。


「そんな悠長なことを言ってる場合か? もしも、コルヌが媚薬でも盛られて、自由にあやつられていたら、あんたはここでお払い箱だぞ?」


 それは困るらしく、ラケルタは扉をそっとたたいた。


「ウンブラ。いるのかい? あけるよ?」


 ラケルタがドアノブをまわすと、あっけなくひらく。扉の内は窓のない部屋だ。薄暗く、よく見えない。が、人影がないのは、ひとめでわかった。

 床に描かれた魔法陣や、大きなツボなど、魔女らしいものがあるばかりだ。


「ウンブラはいないようだな」


 コルヌの変わりはてた遺体がなくてホッとしたものの、これでは行方がわからない。

 まもなく日が暮れるというのに、どうしたらいいのか?

 危険な夜がやってくる——

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