三章 王都の怪

第11話 スクトゥムの訴え



 人でありながら、人でないもの。その肉体は大きく変化し、魔物になりさがっている。魔法が彼を変えたのだ。


(やはり、アクィラの仕業か?)


 竜から卵を奪うために、なんらかの魔法をかけられていたのだろう。


「スクトゥムだな?」


 ケルウスが声をかけると、彼はうなずいた。その姿はあさましい半妖になってはいるものの、人の言葉を解している。


「助けてくれぇ」と、スクトゥムは涙を流した。

 襲いかかってはこないらしい。

 ケルウスはコルヌと顔を見かわした。


「何から助けてほしいんだ?」

「おれをもとの姿に戻してくれ」

「でも、それをしたのは、アクィラだろう?」


 スクトゥムは答えない。


「おれたちに言われても、おれはただの吟遊詩人だ。幻視者ではあるが、見ることしかできない」

「た、助け……」

「アクィラを探し、おまえの訴えを伝えよう」

「助けて……」


 ダメだ。こちらの言葉はわかっているはずだが、肝心のところでかみあわない。

 それはたしかに、ついこの前まで健康だった若者が、醜い化け物に姿を変えられ、もとに戻れないのでは、その懊悩おうのうはいかばかりだろう。

 たとえば、もしも人犬にされたのがコルヌだったらと思うと、ケルウスは寒気をおぼえた。


「助けて……助けて……」


 つぶやいていたスクトゥムの表情が、しだいに変化してくる。涙がヨダレになり、ダラダラそれをたらしながら、牙をむきだしにする。


「殺す……助けてくれないなら、殺す。食う……綺麗な肉……美味い……」


 雲行きが怪しい。

 スクトゥムはヨダレをたらしながら、コルヌを見ている。その目がいびつな快楽にゆがんでいた。すでに人肉の味を知っている顔だ。


「肉……肉……」


 両手を前足のように床につけ、一歩ずつ、近づく。双眸そうぼう爛爛らんらんと輝き、コルヌを見る目は恍惚としている。魔術師にあやつられているのか、魔法が彼を狂わせたのか。


 ケルウスはコルヌを背中にかばい、枕元の剣をたぐりよせた。


 スクトゥムはそれを察したのか、ケルウスがさやをぬく前にとびかかってきた。ひととびで、かるがると、ケルウスたちの頭上をとびこえる。


 とっさに鞘のまま、剣をつきだした。スクトゥムはそれをさけて、剣の上に足を乗せる。そこを足場に、さらに跳躍した。


「コルヌ! 布団かぶって隠れてろ!」

「よろしく……」


 コルヌは美貌と金の持ちぬしだ。戦えないのは最初から計算の内である。

 布団をかぶって丸くなるコルヌの上に、ケルウスは覆いかぶさった。剣を鞘からぬく。しかし、かまえる前にスクトゥムがおりてきた。クルクル回転しながら、ケルウスの背に爪を立てる。


 痛い。昨日の灰の兵士たちとは段違いだ。急いでふりかえろうとしたときには、肌を切り裂きながら、スクトゥムはとびのいていた。


「に、に、肉……」


 速い。このままでは、いいように切り刻まれるだけだ。


 スクトゥムはとどまることなく、壁をふみ台にして妙な角度からとんできた。

 人のそれとは思えない、するどいカギ爪が目の前に迫る。ケルウスは無意識に叫んでいた。


「ヴェスパーが嘆いているぞ!」


 人肉食の欲望にとりつかれたスクトゥムに、それが効くとは思っていなかった。だが、ヴェスパーの名を聞いた瞬間、スクトゥムはこわばった。顔に人間の表情が戻ってくる。跳躍の方向を転じると、窓から出ていった。


 安堵のあまり、ケルウスはベッドにくずれおちた。布団の下から、コルヌが顔をのぞかせる。


「もういい? ケルウス! 血が……」

「大丈夫……」

「大丈夫なわけないだろう? 背中の皮膚がえぐりとられてる」

「皮膚くらいなら問題ないさ」

「でも……」


 コルヌの目には涙が浮かんでいる。


 なんだ。この可愛い生き物は? 女でもあるまいに……。


「次は私も戦おうか?」


 なんて言いだすので、ケルウスは痛いのとおかしいので、泣き笑いだ。が、その痛みは急速に薄らいだ。同時に、コルヌが目をみはる。


「ケルウス! 怪我が……」

「だから、言っただろう? 皮膚くらいなら、すぐふさがる」

「……おまえ、いったい?」


 幻視者であるとともに、きわめて速い自己再生能力。ケルウスの持つ特殊能力だ。


「傷はふさがるが、流れた血が戻るわけじゃない。ただちょっと、他人より頑丈なだけだよ」

「ふうん?」


 そのわけを今はまだ言えない。いつか、壮大なサーガを歌うあかつきには、告白できればいいと思う。


「それより、スクトゥムがあの調子なら、竜の卵はどうなったんだろうな? 心配だ」


 スクトゥムから王へ渡ったのだろうか?

 それとも、アクィラが横取りしたのか?

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