二章 神殿の化け物

第6話 死の気配



 イヤな空気がただよっている。

 ケルウスはそういうのにするどいほうだ。本能的な勘が人一倍強い。


 神殿があるのは、頂上付近のひらたい場所だ。

 あたりに樹木はなく、小さな石がゴロゴロしている。むきだしの大地に、わずかな地衣類ちいるいがこびりつく。

 今日は雪でおおわれて、むしろ美しい。だが、神殿の前に立ったとき、ケルウスは不快な感覚を受けた。ビリビリと手指がしびれる。何かが、ひそんでいる。昨夜のアレにも匹敵する何か。


(なんだってこんなに、この地は化け物だらけなんだ?)


 ケルウスは吟遊詩人だが、旅人でもある。強盗や狼に出会ったときの用心に、剣を持ってはいた。どちらかと言えば、長めのナイフと言ったほうがいい。これでなんとかなる相手ならいいのだが。


 神殿のわきに王の軍隊の野営地がある。竜がいたころには、二個中隊二千人はいたようだが、今はもうその十分の一いるかどうかだ。遠くから、ザッと見て百人から百五十人。テントのまわりをウロウロしている。


 しかし、竜がいなくなった今、やることもないだろうに、なぜ、この場に残ったのか? 竜が戻ってくるとでも考えたのだろうか?


 ケルウスは用心しつつも近づいていった。


「こんにちは。神殿を観光してもいいですか?」


 笑顔を作りつつ、慎重に声をかける。

 テントのそばにいる兵隊は、みんな、なんとなく青い顔をしていた。


「……誰だ?」

「街から来た旅人です。ここに竜が現れたって、評判ですよ。だから見に来たんだが、竜はいませんね?」

「……」


 よほど警戒しているのか答えてくれない。それどころか、誰もケルウスのほうを見ようとすらしない。

 それに、なんだろうか?

 物の腐ったような匂いがする。


 しかたないので、ケルウスは単身で神殿へむかった。兵士たちは誰も止めない。なんとなく無気力だ。やはり、何かが異常だ。


 神殿に近づくごとに、黒いかたまりが濃く凝縮されていく。それは目に見えないが、確実に存在するちりか煙のようなもの。しかも、すこぶる重い。ケルウスの足にまとわりついてくる。


(これは……瘴気しょうきか? 間違いなく、ここで神殺しがあった)


 おそらく、この神殿のまわりだ。大地に黒いシミが見える。幻視だ。久々にこの感覚が来た。


 白い人影がフワフワただよっている。シルエットから言って、髪の長い男のようだ。


(コルヌ?)


 男は何かを見て、はしゃいでいる。だが、とつぜん、倒れた。地面に黒いシミが広がる。血が流れた。そう。おびただしい量の血が。


 しかし、ハッキリとは見えない。なぜなら、それに重なって、巨大な竜が見えたからだ。


 竜は怒り狂っている。

 まるで、はるか昔に殺された神を守るように、黒い呪いのしみついた大地に陣取る。両翼をひろげ、威嚇いかくしながら、黒い炎を吹く。群がる兵士たちは次々と消し炭になる。ボロボロと形をなさなくなり、風に崩れた。


 しかし、兵士たちも、ただやられていたわけではない。四方から鉄の鎖でからめ、竜の動きを封じる。長槍を何百本も投擲とうてきし、竜の体を串刺しにする。

 今や、竜の巨体は針山だ。全身のいたるところに槍がつきささり、血を噴きだしている。竜はもう息も絶え絶えだ。


 ああ、竜が死ぬ。ここでまた、神が殺される。


 ケルウスがそう思った瞬間、竜は最後の手段に出た。自らの命を代償に、魔術を使ったのだ。


 なんの魔法なのかはわからない。突風が吹きあれ、そのあと、ここは人のふみいれてはいけない場所になった。時間が半透明なのりのようにねばつき、すべてのものをからめとる。


 ふいに幻視からさめた。

 しかし、もう、さっきまでと同じ場所ではない。竜の魔法に囚われている。空間がすべて、で満たされているのだ。時間が凝固している。


(そうか。それで、あの兵士たちはあんなに消沈してたんだ。この場所には、がかかっている!)


 ケルウスはあわてて、神殿から離れようとした。が、そこにぶあつい寒天の壁がある。確固たる物質として時が障壁になっている。


 ダメだ。神殿の周囲はグルリとこの魔法でかこまれている。ここから出られない。それだけじゃない。体が重いのは、空間に満ちた時が粘着してくるせいだ。

 しだいに、その重みが増してくる。


(くそっ。どうにかして、ここから出ないと)


 このままでは、近いうちに重い時のなかで、完全に停止してしまう。そのまま、時の重みに押しつぶされるのだ。


 ケルウスは死ぬわけにいかない。待っているコルヌのために、必ず生きて帰らなければ。


 魔術の効力が弱いのはどこだろう?

 神殿のなかなら、多少は動けるのか?


 考えているうちに、わらわらと周囲に人影が立った。兵士たちだ。だが、妙に顔色が青い。いや、青というよりグレーだ。完全に生きている者の姿ではない。ここで竜の黒炎をあびて焼け死んだ者たちだとわかる。


 死人だ。死んでいるが、時の歩みの重くなった世界で、自身が死んだことさえ自覚せず、空間に焼きつけられている。刹那せつなにピンで刺された昆虫の死骸だ。


 死人たちは竜の意思にあやつられている。

 いっせいに歯をむいて襲いかかってくる。

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