ささやかで強欲な空白

猫又大統領

企画読み切り 初。三人称一元

マユキの報告書は同期達とは違い、ぎっしりと書かれていると評判だった。それは彼女の仕事への熱意と出世への野心がそうさせていた。


 黒いパンツスーツ姿のマユキは登庁するとすぐに、上司に呼ばれる。

 上司は、ふたりで座れるような一人掛けの椅子に座る。大きな机を挟んで直立不動のマユキ。

 

「今回の報告書、マユキさんにしては珍しいわね。余白が――」

「今すぐに書き直します」

 

 マユキは女性の上司が言い終わる前に修正を申し出る。すると、上司の口元は緩む。

「同期、いやこれまでの新人の中で、あなたは頑張りすぎなぐらいやっているから、問題はないわよ。ただ、少し疲れたのかと思って聞いたのよ。張り切りすぎはだめよ。引き続き怪物退治頑張ってね」

 問題はありません、ご心配ありがとうございます、と言い切るマユキの鋭く熱意放つ目が上司を映す。

 上司はゆっくりとうなずく。

 「話はこれでお終い」

 上司はそういって缶コーヒーを鞄から出していつものようにマユキはもらう。上司には部屋に呼んだ者には無糖缶コーヒをプレゼントする習慣があった。

 このくらい、ささやかな余白はあってもいいのよ、と上司はマユキが背中を向けて部屋を出るときに呟く。

 

 マユキは上司に呼ばれたとき、報告書には決して書けないことが露呈したのかと腹をくくっていた。だがそれは杞憂だった。

 マユキは三階建ての白い建物を出ると、外にある水色のベンチへ座り、生暖かい缶コーヒーを開ける。

 外の冷たい外気で背中にかいた脂汗が冷え、己の臆病さを思い知った。

 ささやかな余白、とそういった上司の言葉が頭に残る。

 あれは、余白ではない。

 初めて、真実を埋めた跡だった。

 マユキは缶コーヒーが空になったら気持ちを切り替えることを苦さに誓う。

 ポッケに入っていた小さい石を手に取ると、少し眺める。一見どこにでも転がっている石。

 これが、報告書のささやかな空白への理由。


 

 

 

 マユキがささやかな空白の報告書を書く前。

 マユキは要請に応じて、小さい山にサーモグラフィカメラ持って登る。

 山には怪物が出ていて人が危険に晒されていとう通報を受けてのものだ。

 怪物を発見するまで数週間かかることも多い。今日は下見程度だとマユキは考えている。

 マユキが山道から頂上までの道のりで出会ったのは、5歳から6歳の男女一組のみ。それも兄妹。

 二人はこの数日、通報通り怪物を何回か目撃していた。六本脚の昆虫のような姿をしているらしい。

 言葉を話すこともなく、ただ音などに反応して捕食しようと向かってくるという。

 人の姿に近ければ近いほど怪物の力は強いという噂話を思い出し、マユキは安堵していた。

 その時、女の子が林を指さす。

 マユキが視線を向けるとそこにはゆっくりとこちらにくる地を這う六本脚の怪物。

 訓練どうり、マユキはショルダーホルスターから銀色のピストルを手に取る。

 怪物はこちらには気づいていない。

 ゆっくりと照準を合わせ、少し震える両手を職責で抑えながら頭部に向かって引き金を一度だけ引く。


 怪物は額にくらう。崩れるように倒れ、ひとつも動かない。

 すべて訓練どおりの手順で対処できたことにマユキは高揚していた。

 子供たちは大喜びで抱き着く子供たちにマユキもピストルをホルスターに収め、抱きしめた。

 その瞬間、マユキはそのまま抱き合うだけで他の動作ができなくなる。兄妹の体温が怪物のように高いことが原因だった。

「お姉ちゃんありがとう。とっても強いね。暴れていて困っていたから助かります……」

「本当にありがとうございます……」

 これはお礼です、といってマユキは手を出すように促される。

「これは、あなたたちが言うところの怪物が近くにいると光を放つものです」

 女の子がそう話す。

 一見子供らしい作り話のようなお礼の品。

 それに喜ぶ余裕はマユキには一切ない。

 何故ならその石は今、強烈な光を四方に放っていた。

 

 その石をポッケに入れる。


 マユキは兄妹の案内で山を下りる間、マユキを覗く無数の視線。

 ここは怪物たちの住処。

 背中には脂汗がべっとりとにじみ出てくるのを感じていた。それだけが生きていることを証明する。


 麓までくると兄妹は、手を振り山へ帰ろうとする。

 2人の後ろ姿を見ながらマユキは思考を巡らす。

 今なら、二人とも。

 残りの弾。距離。なにより自身の能力。

 そして、相手は人の姿。

 山には無数の怪物。

 

 少しづつ遠くなる距離。

 マユキは兄妹がどうして応援を呼び一掃する可能性を考えないのか考えていた。

 「出世できますよ、マユキさん。しっかりものだから!」

 山の境界で女の子がこちらに向かって叫けぶ。

 男の子は深々と頭を下げ、女の子の手を握ると山へと姿を消す。

 

 読まれている。兄妹は心を読める。それも奥の奥まで。

 

 

 彼らを見逃してもこれからその何倍もの怪物を処理すればいいだろう。

 もしも、応援をよんで石のことをほかの連中に話されると石は回収されてしまう。

 この真実は埋めよう。空白で。

 マユキは出世に取りつかれた怪物となった。

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