ろりろり怪奇倶楽部

かぐろば衽

第1話 お兄ちゃんは変態

 その日、俺の人生にとって最悪の汚点がつけられた。


「お兄ちゃん、あらたまってお話があるの」


「どうした日夏ひなつ、こんな時間に。もしや恋の悩みか? なんでも相談に乗るぞ」


 明日も早いしそろそろ寝ようかと思っていた矢先、小学二年生の妹が部屋を訪ねてきた。

 ツインテールで目鼻立ちのはっきりとした、世間では美少女と名高い自慢の妹。街を歩けば人の目を引き、芸能事務所にスカウトされた回数は一度や二度ではない。

 小さなころから甘えん坊で、家では俺にべったり。なにぶん年が九つも離れているので、俺のほうでも猫可愛がりしている。


 そんなこの子もついに恋するお年頃になってしまったか。一抹の寂しさとともに、成長を嬉しく思う気持ちもある。

 よし、ここはお兄ちゃんとしての器が試される時だ。少し眠いが付き合ってやろうじゃないか。


「お兄ちゃんの机の中からこんな物が出てきたの」


 そう言って、背中に隠していた何かをごそごそと取り出す。


「ん、何かな? ──げえっ、それは!!」


「『ときめき♡ラブリーガールズ』」


「ちちち、違うんだ、日夏! 誤解だ、事情を説明させてくれ!」


 悪友のいたずらで鞄に入れられた幼女向け漫画。見つけたときに気が動転して、慌てて隠した記憶が蘇る。


「お兄ちゃんってこういう、小さな女の子に興味があったんだね。実の妹がいるというのにマジ最低。このことはママに報告させてもらうから」


「頼む、やめてくれ!」


「ママはお喋りだから、あっという間に広まるんじゃないかな」


「話せばわかる! 思いとどまってくれ!」


「パパ、親戚、ご近所さん、クラスメイト、先生……」


「わー、やめろ!」


「それと七十二ななそふた先輩」


「やめてくれえっ!」


「いったいみんなどういう反応するかしらね? 世間では真面目でとおっている冬夜とうやお兄ちゃんが、まさかこんなロリ──」


「ああー!!」


「ちょっと、大きな声を出さないでよ。いま何時だと思ってるの?」


「うぅ、そんなことをして、いったい何が目的なんだ、日夏……」


 崩れ落ちた俺に対し、妹は上に向けた手のひらを黙って差し出してきた。


「……え?」


「ん」


「な、何だよ……」


「んっ!」


(おいおい、まさかお手しろってことか? こいつ兄に対し、犬にでもなれと言うのか? だが万が一、先輩に知られようものなら、俺の人生は破滅にも等しい。悔しいが、背に腹は代えられないか……)


「わかったよ、やればいいんだろ、やれば。悲しいね……、可愛がってた妹にこんな仕打ちを受けるなんて」


 生意気な顔を見上げながら俺は意を決し、深く息を吸い込んだ。

 しゃがんだままつま先で立ち上がり、指先を折り曲げた手を、差し出された小さな手のひらに乗せる。


「ワン! ワワン!」


 スパーン! といい音がして、いつの間にか持っていたハリセンでどつかれた。


「誰が犬の真似しろって言ったのよ! 金よ、金! 出すもん出せって言ってんの」


「か、金だって?? 日夏、お前いつからそんな悪い子に……」


「悪いのはいったいどっちよ。まあ、払いたくないって言うならべつにいいけど? その代わり、お兄ちゃんの尊厳は失われるけどね」


「くっ、なんて奴だ……。幾らだ。幾ら払えばいい」


「そうねえ、有り金ぜんぶ、と言いたいとこだけど、今日のところは千円でいいよ」


 七歳の妹の小遣いは月に五百円。そこにお手伝い賃が上乗せされ、努力家の日夏はだいたい千円ほど貰っているようだ。

 脅しにしては可愛い金額だが、女子児童のやることではない。しかし生まれてこの方、一切の無駄遣いをせずに貯金を続けてきた俺には払える金額である以上、選択の余地はなかった。


「わかった、払おう。頼むから、これで手打ちにしてくれ」


「へへ、やったあ」


 俺はカバンから財布を取り出して、小さなその手に千円札を乗せた。


「これで誰にも言わないでくれるんだろうな?」


「そんな約束いつしたっけ?」


「なんだと、騙したのか? 払ったんだから他言は無用だ」


「でも、記憶は消せないのよねえ」


「これっきりじゃないのか? 脅迫して金を奪うなんて最低のことだぞ」


「最低なのはどっちよ。こんな可愛い妹がいるというのに、似たような幼女の──」


「断じて違う、俺はお姉さん派だ! 友達がいたずらで勝手に入れたんだ!」


「言い訳無用。まっ、これからヨロシクね、お・に・い・ちゃ・ん」


 そう言って日夏は満面の笑みを浮かべながら部屋から去っていく。

 俺は床に崩れ落ち、呆然とその後ろ姿を見送った。


 まさか悪友のいたずらがきっかけで、これまで培ってきた兄妹の絆が失われ、冷徹な主従関係へと変質し、やがてとんでもない事件に巻き込まれていくとは、この時の俺はまだ思ってもみなかったんだ……。

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