霧の町のサムライ

あの切り裂き魔が幾分かの娼婦を殺したころ僕は5歳でそこそこ繁盛した肉屋の息子だった。父は早々に容疑者の一人として連れていかれ、ありもしない罪で牢屋に入ることになった。僕はその間、一人で店番をした、だが客も来ないので店を閉めることになった。はからずして父の偉大さと客は肉を買いに来たのではなくて、父に話し相手になってもらいに来ていたのだと気付いた。そうして、僕はホワイトチャペルの貧民街の子供たちと同じになった。まず父が捕まったのは、ある日、何の肉かもわからない肉を震えた手で押し付けてきたせいだ、僕はそれが何なのかその時は知らなかった、今思えばあれは腎臓の片割れだった。父が逮捕されてから母は怯えいもしない父を叱責している。母もまた娼婦だった。なぜ捨てなかったの、と。父は正義感の強い人だったから腎臓が何らかの証拠になると思い愚かにも大切に保存していたのだ。それが命取りになるとも知らずに。


父がいなくなってから半年がたつ頃、彼は現れた。霧の町に似つかわしくない。アジア人の男。腰には見たこともない剣を携えている。あれが東洋のサムライなのだろうか。ジャックの同族でないことを願うばかりだ。


ある日男は腰に差した凶刃を振るうことになる。往来の橋の上、それも二人の子供相手に。一人は僕と同じくらいの男の子、もう一人はまだあどけなさの残る14、5くらいの少女だった。その時僕は決闘を見守る野次馬の一人だった。二人の子供は無謀にも戦うことを決めた様だった、その手に持った似つかわしくない肉切り包丁で。その手はもちろん震えていた、きっ、と口を結んだ少女には弟を守るという決意があった。弟も姉を傷つけさせない絶対の覚悟があった。だが相手は今まで殺してきたような無防備なだけの獲物ではなく、牙を研ぎ澄ませた獣そのもの、勝負はすぐに決した。皮肉なものだった。


侍はまず無鉄砲に向かってきた弟の頸を一閃で落とし、二本目の刀で姉の腹を横に一閃した。見事だった。傷口からは血と共に臓物が束になってあふれだした。そんなことを気にも留めずたった今弟を失った少女は、一矢でも報いろうと刃を振るった。一矢では化け物には届かず、無残にも両腕を切り落とされた。そのままふらふらと少女は弟の頸を持って橋から飛び降りた。そのころにはもう男は霧となって消えてしまっていた。


僕はもう一度、彼にあいたかった。それだけを考えて生きてきた。肉切り包丁と小刀をもって家を飛び出す。そして僕はあの兄妹と同じになった。母はもういない。

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