2-1

 昔から雨の日は嫌いだった。だって、洗濯物を干すことができないから。

 弟と二人きりの貧しい家庭では、衣服も最低限しかない。風邪ひとつろくにひかない頑丈な自分はさておいても、弟は体が弱く肌も敏感な性質だったからできる限り清潔なものを着せてあげたい。しかし、雨が降ってしまえば、氾濫した川では綺麗な水は汲めないし、仮に衣服の汚れを落とせたところで日が出ていないから乾かすことができない。清潔を守ってやることもできなければ、古びた家屋の隙間からは冷気がどうしようもなく流れ込んできて、弟はこんこんと咳きこむ。幼い穂白は背を撫でて慰めてやることしかできなかった。

 ——この間、村に来て不浄を退治してくれた人、私には祓穢の才能があるって言ってたな。

 少し前まで峯露村付近で不浄による被害多発していた。村長が国に嘆願を出したとは聞いていたが、それでもこんな辺鄙な村に祓穢は来てくれるのだろうかと不安を抱えている村民は多くいた。

 祓穢の数に対して、祓穢被害の件数は大きく上回る。だから優先順位がつけられるのは仕方のないことなのだが、それでもこんな小さな村の祓穢のことを仕事を選ぶ偽善者だという人も、特別な力で多くを救う英雄だと称える人で意見が割れていた。

 幼い穂白の意見は後者だった。自分は大切な弟ひとりすらうまく守ってやれないのに、祓穢は数多を助けている。それはすごいことだと思う。だから、嘆願を受け取った祓穢が峯露村に訪れたときは本当に嬉しかったし、英雄だと思った。偶然にも第一村人として会った穂白は不浄が根城にしている森の方へと案内した。

 そのときに壮年の祓穢は穂白の頭を撫でて言ったのだ。「君には強い霊力もあるし、なにより不浄を恐れず私たちを導いてくれた勇敢さもある。とても祓穢に向いているよ」と。

 祓穢を尊敬はしても、自分がなろうと思ったことはなかった。それに、自分の中にそんな霊力があることにも気づかなかった。今だってあまりぴんときていない——しかし、穂白はかつてした妙な体験を思い出した。お小遣い稼ぎのために大人から薬草を取りに行くお使いを受けて村外に出たとき、不浄と遭遇したことがあった。穂白は内心恐怖に怯えながらもそれを見せたら襲わてしまうような気がした。襲われてしまいもし穂白が死んでしまったら、弟がひとりぼっちになってしまうと思った。だから絶対に負けてはなるまいと、気丈に睨みつけた。すると、なんと不浄は逃げていった。大きさも仔犬ほどだったし不浄にも性質があってあれはたまたま気弱なものだったのかもしれない……と穂白は思っていたけれど。

 ——本当に、少しくらいは特別な力持ってるのかな。

 あの壮年の祓穢は村を離れる前にわざわざ穂白の家を訪ね「もし祓穢に興味があったら、ここに便りを出しなさい」と連絡先を残していってくれていた。だからこそ穂白は自分には本当に可能性があるのかと気になった。

 試しに自分の中になにか特別な力があることを想像してみる。白いような青いようなもやもやを思い描いて、それを弟の背中に触れている手から分け与えるように意識してみたら。


「お姉ちゃん……?」

白凪はくな? どうかした?」

「お姉ちゃんの手、なんだかすごくあたたかくなって……僕もなんか、不思議な感じがする」


 「お姉ちゃん、魔法でも使ったの?」と弟がふんわりと笑う。穂白は呆然として、自分の手を見つめる。弟はそれからしばらく咳き込むことがなかった。

 その後、穂白はすぐに便りを出し、かの壮年の祓穢——穂白にとって第二の親であり師に招かれ、弟とともに王都に出ることとなった。穂白が教育機関に入学するまでは居候をさせてくれて、入学してからも最上位の祓穢として多忙の身にもかかわらずなにかと世話を焼いてくれた、丹和にわ様。

 強くて、やさしくて、真面目な彼は数年後の穂白に、あのときはまさに思わぬ拾い物をしたと思った、人手不足の祓穢界隈を少しでも潤すため勧誘だったと少し申し訳なさそうに明かしたけれど、そのおかげで穂白は高給職を手にし、弟を養えるようになった。弟が不浄に侵され穢れを患ったときだって、穢れを自身に移す術やそれを浄化する術を研究できたのは師のもとにつけていたから、祓穢機関に所属できていたからである。

 あの村に居続けていても穂白と弟に明るい未来はなかったと思う。生きていくためには王都に出て祓穢になるしかなかったと思う。

 けれどもし、弟以外にあの術を使おうなんて思わなければ——穂白は破滅の道を辿らないで済んだのだろうか。

 自分はなにも悪くないと言いきれない。向けられ続ける視線や言葉の刃を拒むことができない。それでもどうしようなく悲しくて悔しくてせめて話を聞いてくれないかと反抗した穂白は、穂白は——。

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