第43話 納涼祭
納涼祭は新年祭と比べると賑やかさに欠ける催し物だった。日が傾く時間帯になってから祭の準備がなされるそうで、私たちは夕焼け色の神樹の森を抜けて神樹の里へと向かった。
新年祭と同様に神樹の里と共同で開催されるのだが、祝い事ではなく祈り事と呼んだ方が実態に近い。
皆で夕涼みをして暑さをしのぐ傍らで、秋の実りを里長たちが夜通し祈祷するそうだ。
年によっては神彫院の候補生がその祈祷のために新しく木彫りを用意することもあるらしいが、今年は該当しなかった。
神樹の森と里との境界部まで私たちは三人横並びで歩いた。途切れ途切れの会話。
ユウも既にエルダとの別離を知らされている。ユウにとって婚約や結婚は私以上に馴染みがなくて「しないといけないの?」と直接エルダに訊ねたほどだった。「断るためにはそれ相応の理由、特別な何かがいるのよ」と答えたエルダは笑っていた。
――寂しげな笑みだった。
したくないなら、しなければいい。そうならないのが現実なのをユウは理解していた。この一年足らずで多くを学んでいたのだエルダから。無論、私もそう。
「ここでお別れね」
そう呟いたエルダの視線の先を辿ると、何かを待っている雰囲気の一団がいた。待っているのはエルダだと悟る。見るからに上等な装いをした彼らが待っていたのは、伯爵令嬢なのだと。
エルダは私とユウの顔を交互に見ると「最後に……」とまず言って、軽く首を横に振ると微笑みを浮かべた。最後ではないわね、と。
「貴女たちと会う前、私がどうして独りきりだったか。話していなかったわよね」
「うん。けれどエルダさん……」
今この瞬間、別れの時に話題にするような、重要なことだと思えなかった。
私たちの知るエルダさんは世話焼きなお姉さんで、高貴な精神の持ち主。そこに孤独は似合わない。それでいいではないか。
「みんながエルダを羨んだり妬んだりしたの? エルダはとっても綺麗だから」
そんなふうにユウが意見するのは予想外だった。深く考えずに「まわりの子が悪かったんだよ」と言うならともかく、今の彼女の発言からは羨望や嫉妬、劣等感から拒絶や排斥が生じるという理屈が感じられた。
そしてこれがどうやら的外れでないのがエルダの顔からわかった。
「まぁ、そんなところね。あとは私が食事の作法について講釈垂れたのが鬱陶しく思われたとか、十八にもなって胸が洗濯板みたいな子からは私の胸がふしだらと言われ、つい怒ってしまったとか……そういった些細な諍いの積み重ねのせいよ」
くすくすと笑いながらエルダはそう告白した。
「さて、リラさん。私が大事な時にこんな話をした訳。わかってくれる?」
呆気にとられていた私は反射的に「いや、まったく」と返す。するとエルダはフッと笑うと「じゃあ話してみてよかった」と言うのだった。
「予定では明日、明後日からでも選出課題が始まる。そうよね? 貴女たち二人が最有力候補なのは間違いない」
ユウが一番なのは言うまでもないが、今の私は候補生の中で実質的な二番手だ。
カルメンが数日前に去って派閥が崩れ、今日こうしてエルダがいなくなると、もはや木彫りの技術でこの順位を脅かす乙女はいない気もするのだ。
なるほど、エルダが言いたいのは……。
「油断しないでってこと?」
「ええ、警戒を怠らないことね。彫る場所や話す人、眠る時間、すべてに気を払いなさい。いい? 貴女たちを闇討ちするような子だっているかもしれないんだから」
エルダから笑みが消える。ユウも闇討ちの意味がなんとなくわかったのか、不安げな表情をした。
「実際に神樹を彫ること。ユウさんの生み出す傑作に対面すること。神彫院からの卒業が近づくこと。候補生たちの中にはこうした要素と状況に、精神的に追い詰められる子だっているはずなのよ」
その一人がエルダ自身だ。
たとえ婚約の件がなくても彼女があの夜に言ったこと、「隣にいられない」というのは本音だっただろうから。
追い詰められた誰かが私たちに、特にユウに仇なすのを彼女は危惧し、心配をしてくれているのだった。ありがたい。
「大丈夫だよ。わたしたち二人、ううん、三人いっしょだから」
ユウが私の手を握る。そしてエルダの手も握ろうとするが、その手はするりと躱された。
「そうね。貴女たち二人なら大丈夫。ええ、信じている。だって、このエルダ・パンフィーネが認めた――――」
エルダが俯き、涙ぐみ、しかし顔を上げた時にはそこには笑顔があった。ユウは必死に涙を堪えていたが、ついに決壊した。
エルダに抱きつき、手紙を書くからと言っている。エルダに習った字で書くから、読んで返事を必ず書いてよと懇願している。
二人を見守る私は涙を流さなかった。代わりにこの光景を目に焼き付けていた。
忘れない、忘れたくない。
私が少女でなくなるその日が来た時に、きれいなままで思い出せるように。
半年ぶりに会ったダフネの格好は冬のそれから夏のそれと変わっていたが、顔つきや体格は変わっていなかった。病気や怪我とは無縁の半年を過ごしていたようだ。
「ダフネ、教えて。わたしたちに」
新年祭の時に集まったのと同じ家屋をダフネは再び借りているようで、そこで私たちは落ち合った。ユウの開口一番に出たお願いをダフネは無言で受け止めた。
彼女がハーブティーを淹れてくれたというのに、私たちはテーブルについていない。ユウは私を庇うようにして立っている。でも、このままではいけないと思い、私は前に進み出た。
「カシラギ先生から聞いたんです。二人で。ソレイユさん……ユウの母親のこと、その最期について」
どれほど睨まれても目を逸らさないつもりで私はそう言った。立ち上がって腕に掴みかかってくるなら、そうするがいい。私は逃げない。ユウがここにいてほしいと望み、私もここにいるのを望んだのだから。
しかしダフネは深い溜息をして、その弱くも強くもない眼差しをユウへとやった。
「先月、手紙を貰ったわ。カシラギから」
「え? そうなの?」
「神彫院に入る際に身内の連絡先を書かされたでしょう。そこに手紙が届けられたの。ここへと来る前に私がそれを受け取れたのは偶然。北の森……あそこに帰る予定はなかったけれど、虫の予感というやつね、寄ってみたのよ。そうしたら手紙があった」
読まずに破り捨てることを考えたが、ユウの身に何かあったのではと思い直して開封したという。記されていたのは謝罪。私たちに打ち明けてしまった内容。返事は出していないそうだ。
「時が来たら私から話すつもりだった。その機会をあの女は奪い、そしてあなたは悪友を引き連れて、ここに来た。嘆かわしいわね。この半年で何を得て、何を失ったの?」
「リラはアクユウなんかじゃないよ」
ちらりとユウが私を見た。悪友が悪いことを意味するので合っているか確かめているのだ。私はごく小さく肯いたが、ダフネには見抜かれていると思う。
「ねぇ、ダフネ。わたし、感謝しているよ。育ててくれたこと」
「やめなさい。そういう話は聞きたくない。一気に歳をとった気になってしまうから」
「あの人は言っていた、孤児院に入れるのを考えたって。でもダフネはそうしなかった。わたしに愛情を注いでくれた。そうだよね」
ダフネが苦虫を噛み潰したような面持ちとなる。
「ソレイユの血と歌を継ぐ者を木彫り師として育てたかっただけとは思わないの?」
「それでもいいよ」
躊躇なくそう答えるユウにダフネは怯む。そしてようやく私の顔をうかがう。でも、私だって驚いている。けれど、次の瞬間には納得してもいた。ユウはこういう子だって。
「あたたかったから。ダフネ、あたたかったんだ。離れて気づいたの。リラやエルダとは違うあたたかさがダフネにあるって」
「……あなたにはいくつも禁じてきたわ。その枷はあなたを苦しめてきたはずよ。今はあまりそう感じずとも将来的にそう思うに違いない。私は……母親になれなかったのよ」
「ダフネはダフネだよ」
ユウがテーブルにつく。
湯気が失せたハーブティーは夏の夕暮れよりもずっと澄んだ色をしれいた。彼女はそれを美味しそうに飲み始め、飲み干した。「リラ、座って」と笑いかけてくる。
「あのね、決めたことがあるの。まだよく話し合ってはいないんだけど」
突然だった。
ダフネから過去のことを聞く以外で、ユウが決意している何かを私は知らなかった。
私は椅子に腰掛けると、ユウからどんな続きがもたらされるか待った。
「神彫院を出た後のことなんだ」
「あなたは彫り人に選ばれる。だから出た後はあなただけで決められはしないわよ」
「それはそれ、これはこれ!」
力強くそう言ったユウがいきなり私の手をとる。そして「んっ、ん」と咳払いをしてから――――とんでもない宣言をした。
「わたし、リラと結婚する!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます