第30話 時を超えて
整理しておこう。
私はユウの歌がかなり古い起源を持つと当たりをつけていた。なぜなら、その歌詞というのがスクルトラ古語のように聞こえたからだ。とはいえ、専門知識がない以上、それは抱いた印象を延ばしていった根拠に乏しい推測、ようするに想像でしかなかった。
また彼女の歌は神樹の里長やエルダをして、聖歌に喩えられもした。
いずれにしても彼女の歌は、それが彫刻しながら紡がれている事実以上に特別な価値を聞く人に感じさせるものだ。つまり、歌いながら彫るという客寄せ芸で収まりはしない、一人の美しく若き木彫り師の技である。
「ユウさんの歌は、かつて神樹の女神像を祀る儀式で歌われたものかもしれない。それがベルナルディ嬢が調べて出した、いちおうの結論よ。歌詞の詳しい意味までは明らかにはできていないわ」
二百年から三百年前に遡る話らしい。
エルダの答えにユウが満足しきっていないのは表情から一目瞭然であったが、いたずらに大きな声を出すのはやめて「儀式って?」と言う。
「かつての王宮では、女神の間において女神像を崇め奉る行事が定期的に行われていたそうよ。不思議ではないわね。知ってのとおり、神樹の女神像は国教に属さず、王家の信仰の度合いは時代によって差があるわ」
「ふうん……リラ、知っていた?」
ユウが首を回してそう言う。後ろから抱きしめたままでいた私と顔がくっつきそうなほどに近い。
私は手を緩め、距離をとって「まあね」と応じた。具体的にどの時代のどの王がどういった姿勢をとっていたかまでは教会で習っていない。専門家がいる図書館にでも行けば史料が入手できそうだ。
……習った当時は何も思わなかったが、国教関係者とりわけ上層部からすると王族が国教以外の信仰に熱心なこと、つまりは費用や人員、時間を割くのは面白くないだろうな。
「ええと、女神像を大切にした時代の王家が、その定期的な祭祀のために曲を誰かに作らせたの?」
「音楽に限らず、芸術家たちの技を神前で競わせたみたい。神樹の彫り人に決してなれない男性や年増を過ぎた女性、既婚者……彼らが産み出した作品の中から王家が選んで定期的にお披露目の場を設けていたのよ」
単に女神を祀る儀式ではなく、競技会や品評会とも言える趣がそこにあったのか。木彫りばかりが贔屓されては他の芸術家や職人も面目が立たないというもの。たいそう見ごたえや聞きごたえのある行事だったはずだ。
「その中にわたしが歌っていたのと同じのが?」
「確定ではないわ。ベルナルディ嬢が手紙で連絡した、音楽だけではなく王家の歴史にも詳しい遠縁の方が、もしかしたらと返事をよこしてきたそうよ」
「うーん……当てずっぽうに聞こえる」
落胆している声だ。けれどそれは早計の可能性がある。
「エルダさん、ベルナルディ嬢はどんなふうに手紙を書いたって話していたの?」
「ええ、そこが重要なの。彼女は小娘の戯言とみなされて返事が来ないのは嫌だった。だから、ユウさんの歌、その歌詞を聞こえるままに記録し、その旋律は譜面に起こして、それを同封したのよ」
ベルナルディ嬢がユウの歌に見たのもまた、私と同様に古のスクルトラだった。私と異なるのは、彼女にはスクルトラの古い歌曲や童謡に精通している親族がいて、彼女自身も幼い頃にそれらに触れる機会があったことだ。
彼女はヴァイオリン職人である父に相談して人を紹介してもらい、そしてできるだけユウの歌がどういったものなのかを歌以外で表現して伝えたのだった。
「ユウさんの歌はどれも二百年以上前に王都で成立した歌曲と判断されたわけだけど、時代や土地によって言葉遣いや韻の踏み方、そしてメロディには特徴があって、それをふまえた判断なのよ」
「つまり信憑性がけっこうあると言える」
私はユウの頭を撫でながらそう口にした。「そっかぁ」と声が弾む。
「少なくとも当てずっぽうではないわ。ただ、その担い手の候補は有名な人だけに絞り込んでも十数人いるらしいの」
「ねぇ、歌詞を書いた人と曲を作った人は同じなの?」
「歴史的には同じであるのが普通。でも、定かでないわね」
ちなみに、ベルナルディ嬢はユウが一人で作業している時を見計らい、かつユウの視界に入らない場所に隠れて聞いていたという。
エルダ曰く「リラさんに見つかったらまずいと思っていたみたい」だそうだが、正確にはエルダのことも避けていた。
「友達になってくれればよかったのに」
そう呟いたユウの声のトーンは暗に、ヴァイオリン破壊を許してもらえず、もう友達になれないと諦めている心中を示していた。
「私が彼女から聞いているのはここまで。その儀式が行われなくなった理由はわからない。さっきも話したとおり、代が変わって王家がそれほど女神像を信仰しなくなったと考えるのが自然かしらね」
エルダは足を組み直すと「いいえ、まだあった」と手のひらを合わせた。
「あと一つ。大事なことが」
「ユウに向けて演奏した曲について?」
果たしてエルダが首肯する。
なぜベルナルディ嬢の作った曲でユウがあんな暴力行為に走ったのか。それは神がかった事象と片付けるべきなのか。ユウの歌が、かつて行われていた女神像の祭祀と関係している、それが事実だとしてもそれだけでは説明がつかないことが多い。
「あの歌って、わたしが歌っていたのを参考にしたんだよね」
「ええ。けどね、実はユウさんの歌だけではなかったそうなの」
「それってたとえば……ベルナルディ嬢なりに、流行りの要素も取り入れたってこと?」
ヴァイオリン向きの楽曲をどうやって作るかは知らないが、ユウの歌のみを基本とするのは無理がある気はする。しかし、並みの連想で作った曲だったらユウが止めないといけないと思い、破壊にまで及ぶだろうか?
「いえ、そうではないわ。聞いたら、作曲の出発点がユウさんとは別にあったのよ。そしてそれは流行からは遠くも、彼女の今に関係している。彼女と私たちがいる場所に」
「それ、神彫院ってことなの?」
「そのとおりよ、ユウさん。私も後で頭を撫でていい?」
「え? あ、うん。リラがいいなら」
なぜ私の許可が必要になるか意味不明だが妙な口論には発展したくないので認めておいた。
そしてエルダはベルナルディ嬢の作曲経緯を話す。私が結論部分を急がせたから後回しになってしまった話だ。
ベルナルディ嬢は神彫院に入ることはできたが、入る前に求めていた成果は得られずに時が過ぎていった。しかも友達らしい友達もできずにだ。そんな中、ヴァイオリンの演奏だけではなく作曲しようと思い立ったのだ。
だが、ゼロからの作曲は難しく、何かないかとベルナルディ嬢は資料室を探した。資料の大部分は木彫りにまつわるか、神樹の森や神彫院それ自体の記録だった。
彼女が注意深く読み漁り出したのは一部の、名もない候補生が残した日記や備忘録の類だった。それらは書架にそれとなく滑り込ませてあって、担当する職員たちも黙認している様子だった。
前に新年祭の課題のために出向いた時にエルダがそうした過去の候補生たちの残留物は、言わば伝統の産物なのだと話していたのを思い出す。
「そうした書の中で、音楽の記述が多くなされているものをベルナルディ嬢は見つけたの。でもそれだけでは曲は作れなかった。そこにユウさんの歌が合わさり、ついに完成させられたのよ」
時を超えて二人の少女が想いを繋ぐ。エルダはそんなふうに言い表して、なぜだか恍惚そうにした。
「その手記か何かの作者が二百年だか三百年前の人間だって線は?」
「ないわね。部屋に送り届けた際に現物をちらっと見せてもらったけど、保存状態からして、せいぜい五十年前よ」
本筋から逸れるが、エルダの話ぶりは彼女がベルナルディ嬢に信頼されたのがうかがえた。これなら、詳しい話を後日に聞き取りに行くことはできそうだ。ユウがそれを望むかどうかに依るところが大きいけれど。
「子孫ならあり得るね」
「ねぇ、待ってよ。もしもね、その本を書いたのが歌と関係している人の孫か何かだったとして、それでどうしてわたし……あんなことしちゃったの?」
私とエルダは答えられなかった。
――次に何を明らかにすればいいのかはわかっている。なぜユウが二百年以上前に歌われた歌を、木彫りするときに歌うのか。その理由だ。そこには理由がなければならない。
そう信じないと私まで「神」と口走ってしまうだろう。そしてそれはもしかすると、この子の場合、最も納得のいく説明になるおそれがある。
エルダと視線がぶつかる。
考えていることはおそらく同じだ。
ユウという一人の少女の物語は、決して数学の公式や定理のように証明されることはないのだ。
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