第27話 世話焼き
鑿や槌を手にして、木と向かい合う。
彼あるいは彼女と二人きりになっている間はユウを忘れられた。この時間と、友達である彼女とを天秤にかけるつもりはない。どちらが大事かどうかなどと考えたくない。
極論、私はユウがいなくても生きていけるし、木彫りができなくなったって……生きていくのを選ぶ人間なのだ。カシラギが話してくれた、かつての乙女たちのように神樹の彫り人に選ばれずして死を選ぶ、なんてこともない。
午後三時、休憩を挟むことにした。
作業場で溜息をつく。寒々とした息は私一人のものだ。
彫っている間に忘れていたのはあの子のことだけではなく、この寒さもだった。
春はすぐそばまで来ているというのに、空に重々しい雲がひしめく昼下がり。室内でも、ちっとも暖かくない。一人でいればなおさらなのだろう。
「こんなところにいたのね」
部屋の出入り口から声を投げかけてきたのはエルダだった。その背中にユウが隠れている気配はない。
朝食時に大食堂で、ユウがエルダの隣にいて私と視線を合わせないようにしているのを目にした。あれがきっと彼女なりの逃避。
あの時のエルダの目配せからは「喧嘩? だったら、早く仲直りしなさいよ」と伝わってきた。
「ユウは?」
「はぁ。予想どおりの一言目。私たちがいつも使っている部屋から、ずいぶんと遠い部屋を選んだのね」
「ユウは何かエルダさんに話した?」
答えずにエルダはずかずかと彼女らしからぬ歩き方で私へと歩み寄ってきて、椅子に座ったままでいる私を見下ろす。
「薄情ね」
「薄情? どんなふうにユウから、何を聞いたの?」
「何もよ。そうではなく、二言目に私を気遣う言葉があってもいいんじゃない。『エルダさん、心配かけてしまったならごめん』とか。『来てくれたんだね』とか」
「気に障ったならごめん」
呆れたような微笑みをエルダが見せ、それからその視線は私が彫り進めている作品へと移る。
「これ……。今度は五本指に入れる出来になりそう。ふっ。こんなの、私に言われても嬉しくないわよね」
「私が誰かに自分の作品を評価されて嬉しがっているのを見たことある?」
「そういえばないわね。ひたすらに克己心に突き動かされて彫っているみたいだもの」
「そっか。そのうえで言うと、信頼している友達のエルダさんから褒められて、今は嬉しいと感じたよ。そうは見えないかもだけれど」
飾らぬ本心だったが、エルダからすると驚きだったのがその面持ちから察した。
「そ、そう。貴女に負けないように私も頑張らないといけないわね。それはそうと、ユウさんのことだけれど」
「うん。聞かせて」
「今日は歌うのを途中でやめてしまったのよ。それで作業も中断。好奇心剥き出しの数人の聴衆たちのせいってわけじゃないと思うわ」
私はつい椅子から立ち上がっていた。
どうしてそれが一言目でないのか。内心、エルダをなじったが、もちろん、そうする資格は私にない。
「今は部屋に帰って昼寝でもしている?」
「いえ、ちがうわ」
エルダがある名前を挙げる。候補生の名前だ。どんな風貌をしていたかまでは記憶にない。誰かが話題にしているのを聞いた覚えがあるだけ。でも、どういう話題だったか。
「その顔だと、よく知らないのね。私もそうよ。ただ、貴女もヴァイオリンを弾く子の噂を聞いたことがあるはず」
「思い出した。ヴァイオリン職人の娘だっていう子だ」
院内で時と場所を選んでヴァイオリンを演奏している候補生だった。本人は積極的に聴衆を求めてはいないそうだが、何人かのファンがいるという話だ。
「彼女がふらりと現れたの。そしてユウさんに演奏を披露したいって言って、どこかに連れて行ったのよ。なんでも、あの子が歌い彫り刻むのを前に耳にしてから、その子自身が作った曲があるらしいわ。私は気になって、ぜひ一緒にとお願いしたのだけど――――」
「それ、何時の話?」
エルダが古ぼけた壁時計を見やる。
「あの時計があっているなら、二十分前ね。探しに行くの?」
「どうしよう」
「今の貴女、居ても立っても居られないって顔しているわよ」
「どうして?」
エルダが閉口する。彼女の立場になってみれば妥当な反応だ。
「リラさん、選びなさい」
いつにも増して生真面目な顔つきでエルダが言う。
「選ぶ?」
「ええ、そうよ。一つ目の選択肢は、今から二人で彼女たちの居場所を突き止めて演奏会にお邪魔する。二つ目は、それはよしておいて、今朝いきなりはじまった貴女たちの仲違いの理由を今ここで私に詳しく話す」
右手を胸の高さまで上げて、人差し指、中指の順に立てるエルダ。そして次は親指を広げた。
「三つ目。どちらもせずに、このまま私に出て行ってもらう」
今度は途中で遮られないようにするためか、語調が強かった。
「どれを選んでも順番が前後するだけで、私は貴女から、ユウさんと何があったかを今日中に聞くつもりよ。まさか、信頼している友達にそれができないって言わないわよね」
「残念だけれど、私だけの判断で話していい内容ではないんだ」
ユウとダフネ。ユウの父親。ユウの抱えるもの。――歌姫なんかじゃない。そう彼女自身が言うまで、その呼称を本人がどう感じているのか深く考えたことがなかった。
「……想定内ね」
エルダはそう言ってすっと手を下ろす。
「ちなみに他の選択肢として、偶には私たち二人で院内を気ままに散歩するというのもあるわ。お互いにとってのいい気晴らしになるかもしれない」
「それはまた今度かな。いっしょにユウを探してくれる? つまり一つ目の選択肢。これも想定内だよね?」
やれやれとエルダはわざとらしく両肩を竦めてみせて「そのとおりよ」と笑った。
いつ雨が降ってもおかしくない空模様。ユウたちの居場所は屋内だと見当をつけた。
エルダが言うには、この神彫院にはいわゆる音楽室というのはないが、楽器を嗜んでいる人なら多少なりとも音の響き具合を考慮して、演奏する場所を選ぶだろうとのことだった。
「貴女がいたよりも広い作業場のいずれかだと思うわ」
「でも、同じ作業場区画の部屋だったら音が聞こえてこない?閉め切っていても」
「たしかにそうね。職員区画の可能性もあるわ。あそこの壁や床は作業場よりは演奏に適しているの。ただ……」
「職員にも支持者がいて、部屋を貸してくれているのか。それとも忍び込んでなのか」
隣を歩くエルダが肯く。私たちはとりあえず作業場区画を捜索していた。
「どちらもありえるのよね。前提として、ヴァイオリンを弾いたって、それが誰かの作業を著しく妨げでもしない限りは、咎められないだろうから」
件のヴァイオリン弾きの候補生は基本的には一人でいる子だったはずだ。
そういえば……私たちが来て間もない頃に、一人でいるところに出くわした覚えがある。あれはどこだった?
「そうか、別館だ」
「あそこは保管関係の部屋しかないわよ」
「ううん、記憶が正しければそこにいたんだ。二階の奥の部屋だったと思う。部屋のプレートは外されていたけれど鍵はかかっていなかった」
「別館の二階、ね。もしかして、前に聞いた幽霊の噂の正体は彼女なのかしら」
「……エルダさん、噂好きだよね」
お茶会の度に私やユウの知らない噂を話してくれる。
「そう? 貴女たちが無関心なだけよ」
関心を持つというのが、たとえば大食堂で他の候補生たちのひそひそ話にまで耳をすまさないといけないのなら、たしかに私たちは無関心と言える。実際問題、エルダがいろいろと教えてくれるからわざわざ親しくない人たちと関わらないのだった。
「ついでだから言っておくと、貴女がパンフィーネ家からやってきた異母姉妹という噂は否定しておいたわ」
「あ、ありがとう?」
なんと出鱈目な。身なりからして私の出自が貴族なわけないだろうに。
「かつてパンフィーネ家に雇われていて、私の側仕えだった女の子という噂も秋にはあったのよ。数年前に王都で流行った小説にでも感化されたようね」
「へぇ、どんな小説?」
「主人公である執事の、令嬢への献身が、いつしか抑えられない恋心に変わって……いえ、なんでもないわ。忘れて」
「そうする」
さらりと返事をよこすと、エルダは「はぁ」と小さな嘆息をして黙った。
果たして別館二階の奥の部屋にユウとそのヴァイオリン職人の娘はいた。
けれども、私たちの目に飛び込んできた光景は予期せぬものだった。
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