第7話 友を得る

 村の同年代の子供たちとは友達同士と呼べる付き合いをした覚えがない。

 教会通いをしていた頃に知り合った、同じく通っていた数人のいずれか一人とでも仲良くなっていいはずなのに。


 理由を考えてみるに、幼い私の興味を引いたのが花や虫、空に浮かぶ雲の行方といった自然だったことに思い当たる。それを他人と共有しようという発想がなく、私自身が自然の一部のような心地で生きていた。

 もしもあの頃、誰かが私を強引に遊びに誘ってくれていたら、仲良くなれていただろうか。彼らの輪に溶け込めていたのだろうか。


 もう少し成長してからの興味の中心は本だった。文字がある程度読めるようになると、草花や虫の名前ひいては世界のあれこれを教えてくれるのは、家族や司祭よりも本であることが多くなり、またいくつもの架空の世界にも触れた。

 そうやって、自然の事物をありのままではなく人為的に識別すると同時に、実世界から遠い物語や伝承に触れた経験こそが、あの日の私が軒下の狼へと手を伸ばす結果をもたらしたのかもしれない。

 あの時、狼に抱いた諸々の情感はひょっとすると、同年代の子たちと野を駆け、花を編み、笑い合っていたら出逢わなかった……だとしたら、今も私は鑿を握っていない。


 ミカエラに弟子入りした後、十三で教会に通うのを止め、技を学んで磨くのに集中していたので、同年代に限らず、木彫りと無縁の人たちとは交流しなくなった。

 村を出る際に見送ってくれたのは身内を除けばミカエラと、木材の調達と選別でお世話になっていた樵、定期的に鑿の刃の面倒を見てくれていた鍛冶屋だった。

 少ないとは全然感じなかった。友達がいない、なんて今の今まで意識しなかった。


 そんな私に彼女は――――。


「この彫刻をどんな想いで造ったか、それを知りたくなったの。すごく、すごくだよ。こういうのって、いつもどんなのでもってわけじゃないんだ。これって、リラ自身を知りたいってことなんだと思う。だとしたら……友達になるのがいいでしょ?」


 私はまたしてもその少女に、きらきらとした表情で声を弾ませるユウに意識ががくんと傾き、彫刻を持つ手の力が緩んで落としそうになった。「おや」と里長が椅子から身を乗り出す。それがわかった時には、またしっかりと彫刻の底を掴んでいた。

 それから、私は彫刻を膝の上に乗せて一息つく。するとユウがそーっと顔を近づけ訊いてくる。


「リラはわたしと友達になるのは嫌?」

「いいえ……喜んで、なります」


 我ながらぎこちない答えだった。

 けれど、ユウの顔をいっそう輝かせるには十分だった。それは今や無邪気に喜ぶ少女のかんばせでしかなかった。


「わぁ!よかった!じゃあ、もうその堅苦しい話し方もなしだよ?」


 私は「わかった」と肯く。


「ふふっ。ダフネもね、昔は友達がたくさんいたんだって」


 友達という新たな関係を結んだ、その直後にユウはまた予想だにしないことを言う。


「ええと……ダフネさんはユウの師匠なんだよね? 二人はどこかの町の工房の人?」

「工房は持っていないよ。えっと、人からお仕事を受けてはいないってこと。これまでずっと家の作業場で付きっ切りで教えてくれたの。ざっと十年かな」


 私の倍以上だ。

 でも、どう見たってユウは十代だ。そもそも、そうでなければ神彫院には入れない。


「ユウって今いくつなの」

「たぶん十六。あのね、ダフネは育て親でもあるんだ。森で拾ってくれたんだって。わたし、実の親に捨てられちゃったみたいで」


 森。

 それは私がこの美しい少女の起源として確信したものだ。けれど、こんな形で示されるとは。返す言葉が出てこない。

 当人はけろりとしている。動揺している私のほうがおかしいのではと不安になって里長のほうを見てみる。すでにダフネから聞いていたのだろう、驚いている様子はない。


「そういえば、里長さんはダフネの友達?」

「ふむ。そうまっすぐ訊かれると答えにくいが……古い知り合いといったところかの。ダフネは一時期この地に住んでいてな。儂がまだ長でなかった頃だ」

「ふうん、そっか。ダフネが言うにはね、ここには忘れたくても忘れられない思い出があるんだって」

「そうだろうな……こう言ってはなんだが、戻ってくると思わんかったよ」


 里長は笑みを引きつらせ、ユウを意味ありげに眺めた。ダフネが戻ってきた理由は他でもなくユウだとその沈黙が語っていた。




 そろそろ行かないとダフネに怒られちゃうから、とユウは私より一足先に広間を出た。


「時間ができたら会いに行くし、そっちからも会いに来てね!」


 そう笑顔で言い残して。


 室内に二人になると、里長はこれからの段取りを手短に説明してくれた。

 まず里長が、ユウと私とが試験を受けにきた旨を伝える文書を既定の書式通りに作成する。丘を下り、分かれ道を西へと十五分も歩けば神樹の森への入り口があるそうで、その脇に構える小屋に住む番人にそれを送り届けて早ければ翌日中に返事がある。

 通常どおりなら、試験官が私たちに会いに来るのは今日から三日か四日後だそうだ。


「あの……ユウは、それまでに新たに木彫りをするつもりなのですか。つまり、神彫院にその腕を認められるような」

「そう言っておったよ。それができるとな。おぬしがその彫刻を完成させるのには……一週間では足りなかったとみえる。だがな、三日もかからずに一つの作品を造る者もおる」


 どこかの工房で誰かに注文され、期限があればそれを守るのが職人の務めだ。そしてたとえ誰かからの依頼でなくとも、同じ出来栄えなら早く彫れるに越したことはない。これが道理だろう。

 時は絶えず流れ、止まってくれないのだから。その無情さは理解しているつもりだ。


「入学試験についても、何か長期にわたる課題を出すわけではないのだ。その日中に合否を決め、差し支えなければすぐに神彫院へと連れて行く」

「たとえば、朝から晩にかけて何かを一心に彫るような?」

「そう考えておいてよいぞ」


 里長との話はそこで終わり、使用人の一人が私を屋敷の中を案内した。


 広間に行く前に指示を受けて一時的に旅の荷物を置いていた部屋が、そのまま泊まらせてもらう部屋となった。

 質素な寝具があるだけの空間で、窓はついているから天気がよければ日中の明かりに困らない。今はもう日が沈みかけている。夕食を用意してくれるとのことで、それまでは体を休めておけばよさそうだ。


 案内してくれた使用人によると、試験会場となる作業場は丘を下りてすぐのところにあると言う。あの時ダフネは部屋に戻ってユウに制作に取り掛からせると言っていたから、この里長の家の敷地内にも作業ができる場所があるのだろう。




 翌朝、朝食後に部屋で一人、持ってきた彫刻道具の点検をしているとユウがやってきた。食事の席にはいなかったので、てっきり自前の食料でお腹を満たして朝早くから作業に没頭しているのだと思っていた。

 それともまさか一夜にして作品を彫り上げたのだろうか。


「いやいや、いくらなんでも一晩じゃ全部は無理だよ。もう何本か手を生やさないと」


 悪気も何もないとわかっていても、ユウのその言い方に私はダフネの欠けた右手を思い出さずにはいられなかった。直にその部位を目にしてはいないのに、それを想像してしまう。先天的なのか後天的なのかも知らないのに。


 ユウは私の勝手な連想には付き合わず、明朗な声で言う。


「あのね、よかったらわたしが彫っているのを見に来て」

「いいの?私がいたら気が散らない?」

「どうだろう。大丈夫だと思う。ダフネにね、リラと友達になったんだよって自慢したら、連れて来なさいって」

「ダフネさんが?」

「うん。彫るところを見たら考えが変わるかもしれないわ、って」

「……それはどういう意味」

「わかんない!」


 にこっとするユウに私は閉口し、ダフネの発言の真意を求めるのを諦めた。

 

 誘いを断る理由はない。むしろ彼女がどんな木彫りをするのか、どんな技を身につけているか気になっていた。ダフネのあの言葉を聞き逃しはしていない。

 

 神樹の彫り人の器。

 

 それをユウが有すると言うなら、確かめねばならない。友というより同志として。

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