弟子

憎しみ

 王国の長い歴史の中でも私の師匠より無力な魔術師はいなかっただろう。

 予言は当たらず、守護印は無力で、いくつものわざわいが国を蹂躙した。魔術師不在の時代よりもひどい有様だった。塔の一室で幽閉されている私の耳にさえ、師匠への不満の声が聞こえてきた。

 しかし師としては優れていた。

 彼と私の間には父親とその息子のような確かな絆があった。そして私は――自分でいうのは恥ずかしいが――魔術師として高い実力を備えていた。私はこれまでどの魔術師も果たし得なかった蘇生という高度な魔術のその習得まであと一歩のところまで来ていた。

 私が幽閉されている部屋の片隅には木の小箱があった。一羽の小鳥がそこで眠っていた。その小鳥は羽が折れていた。微動だにしないので、一見すると死んでいるようだったが、その心臓は確かに動いていた。

 蘇生魔術の練習をその小鳥で行うよう師匠に命じられ、私は日夜、練習を続けた。

 そしてとうとうある日、魔術が成功し、小鳥は目を覚ました。それまでの穏やかな眠りが嘘のように小鳥はもがき苦しんだ。そして間もなく小鳥は激しく痙攣し、そのまま息を引き取った。

「師匠、小鳥はもともとの怪我が原因で死んでしまいましたが、やり遂げました」

 私は意気揚々と師匠にそう報告した。すると師匠は静かに首を振った。

「いや、まだだ」

 師匠はそう言うと小鳥の亡骸をそっと撫でた。

「蘇生魔術の訓練は今から始まる」



 *



 私の心に深く残っている師匠との思い出のひとつに、ある日の何気ない会話がある。

 その日、私は鉄格子がはめられた小さな窓から城の中庭を眺めていた。距離としてはかなり離れているので、私は拙いながら千里眼を用いた。

 噴水の周りで王女と思われる幼い子どもが従者とともに遊んでいた。天気が良く、少し肌寒いが穏やかな昼下がりだった。

(いいなあ)

 幼い私は彼女を羨んだ。魔術の訓練に明け暮れ、遊びに興じたことなど一度も無い。そればかりか、私は物心がついたときから薄暗く狭いこの部屋を出たことが無かった。私の存在を知る者は師匠を除いて誰もおらず、従って会話を交わしたことのある人間は師、ただ一人だけだった。

 しかし幼い私は純朴だった。そんな自分が置かれた環境を仕方のないものとして心のどこかで受け入れていた。だから、私は師匠に言われた一言に戸惑った。

「憎いか?」

 私は何も答えられず、ただじっと傍らに立つ師匠を見つめた。憎しみ、それはその当時の私がまだ知らない感情だった。

 私が憎しみ、そして妬みという感情を覚えたのはそれから数年経ったあとだった。

 狭い部屋の中で独り、城で暮らす人々の心を覗くうち、自分がいかに理不尽な環境に置かれているのかをはっきりと自覚するようになった。

 だが、憎しみや妬みに心が支配されることは無かった。感情が昂ぶるといつでも師匠の言葉が思い出された。

『憎いか?』

 すると、私の心は冷静になった。私は師匠のおかげで憎しみや妬みといった感情から距離を取ることが出来た。



 *



 私が初めて部屋から出たのは、師匠が死んだ夜だった。部屋を抜け出し、誰ともすれ違わないよう注意しながら、夜の城を移動した。そして師匠の亡骸が眠る聖堂に向かった。

 聖堂に忍び込むと、私は棺を開いた。そして師匠の身体を抱き上げた。老いてやせ細った師匠の身体は拍子抜けするほど軽かった。私はそのとき初めて泣いた。

 私は師匠の死体を担ぎ、城を抜け出た。城壁に囲まれた都市の外れに小さな教会があり、そこまで師匠を運んだ。教会は非常に古く、今にも倒壊しそうだった。誰も手入れをしていないことが明らかだった。

 その扉は魔術による封がしてあった。私はそれを解き、中に入った。

 教会の中は、レンガで縁取られた大きな穴がひとつあるだけで、祭壇も何もなかった。明かり取りから差し込む月の光がその穴をはっきりと浮かび上がらせていた。満月が近い夜だった。

 師匠を抱きかかえ、その縁に立った。穴を見下ろす。闇は深く、まるで神がそこから先を創造しなかったかのようだった。

 私は大きく息を吐き、気持ちを沈めた。

 そして、その穴に向かって師匠の亡骸を投げ入れた。師匠は瞬く間に闇に飲まれ、見えなくなった。遠くで梟の鳴く声が聞こえた。

 夜が明けそうだった。

 私は急いで聖堂に戻ると、師匠に変わって棺に入った。そしてその中で、儀式リトゥアロが始まるのを静かに待った。

 私がその晩に行ったことは全て、魔術師に古くから伝わる習わしだった。

 胸ポケットに納めた小鳥の硬い身体に触れる。そのひんやりとした感触が私の心を強く締め付けた。

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