7人のクズ ~騙し騙され、あきらめて~
新川 さとし
第1夜 あれ、彼氏、髭剃ったんだ?
F県F市郊外の小さな街
地方国立から外資系を狙う無謀な挑戦だろう。でも、年末年始も実家に戻らず、悪戦苦闘の3ヶ月。最後の最後で内定が出た。
やったぁあ!
久し振りに実家に帰ったオレは、荷物だけ置いて、すぐに出かけた。結婚の約束もした真衣と3ヶ月ぶりに会う。
待ち合わせはジョーカー。
東京言葉で話す、気さくなマスターが一人でやってる小さなバーだ。
地元だと「ちょっとオシャレだけど高い」ってことで、評判はイマイチ。オレも行くのは一年ぶりの2回目だ。
面接やらインターンシップやらで3ヶ月も東京にいたせいか、地元の言葉だらけの店は気が引けた。
出がけにチラッと兄の気配を探ると部屋に籠もっているらしい。ドア越しに声を掛ける。
「
「おぉ、
「ありがとう」
兄弟仲は、もともと悪くない。むしろ何かと頼りにしていた。
とは言え、兄貴は東京で就職に失敗してUターン組。以来、バイト、女の子、部屋の中という三択の生活をしてる。W大卒で頭も顔も悪くない分、地元のアホ女がコロコロ引っかかるらしい。
「あ、オレのコート……」
まだ1回しか袖を通したことのないコートは、すっかり使用感が出てリビングに掛かっていた。どうせ兄貴が勝手に使ったんだろう。昔から勝手にオレのものを使うんだよね。兄弟だけに顔も雰囲気もそっくりだから似合うって言ってさ。
ちなみに、地元に戻って以来「弟との差別化だ」とか言って髭を伸ばしてる。意外と似合うのがシャクだったけど、ま、これで兄貴とオレを間違える人もいなくなったから、今となっては何も言うまい。
あぁ、このコート、けっこう高かったのに。もったいなかったかな?
思わず肩をすくめて「アンビリバボー」ポーズをする。まあ、今さら腹を立てても仕方がないし、腹を立てる資格もない。
【ごめん。チョイ遅くなる】
【大丈夫。待ってるね】
高校から付き合って5年目。結婚の約束もした真衣は顔も平凡、身体はもっと平凡な、バッチリ田舎っ子。この程度では怒らないだろう。
でも、遅刻は遅刻。ちゃんと謝れるといいな。
念のために東京で買った指輪の箱をコートの内ポケットにサッと入れた。安物だけど一目でブランドがわかるラッピングがポイント。東京のお店の研究に余念のない真衣なら、この意味が一目でわかるはず。
なあに。大丈夫。上手く行く。
ジョーカーまで歩いて15分。
「ごめん! 遅くなった」
「うぅん。私も今来たところー」
カウンターだけの小さな店だ。入り口から二番目に座って片手を挙げる真衣が屈託のない笑顔。
3ヶ月ぶりの真衣は髪が茶色になっていた。
コートを脱ぎながら左隣に迷いなく座る。いかにも、この店は良く来るぜ的な仕草に見えるのがポイントだ。
「マスター、いつものね」
いや、いつものもなにも、この店に来るのは2度目だけどさ。こういう時に言ってみたいセリフだからね!
「OK。あれ、彼氏、髭剃ったんだ?」
「ん? あぁ、まぁね」
いや、髭なんて無精髭くらいしかないはずだけど。っていうか「いつもの」で通じるんだ。何が出てくるだろ?
真衣が割り込むように「マスター メニュー見せてくれる?」と手を伸ばした。
「あれ? マイちゃん、彼氏さんとなんかあったの?」
思わず、オレは「え?」と声を出してしまった。さすがに驚いたからだ。
「いや、だっていつもと席も違うし、雰囲気もぜんぜん違うから」
オレの驚き方に、弁解っぽい感じでマスターが答えた。
どうやらマスターは「なんかあったの?」という言葉への反応だと受け止めたらしい。オレは「なんで、真衣の名前を知ってるの?」って反応したんだけど。
真衣にもわかったんだろう。暗めの照明なのに、顔が真っ白なのがわかる。
マスターが、ホイッとメニューを渡したけど「今さらメニューなんて見る必要ある?」と言ってるも同然の仕草だ。
もう、その時点で「ダウト!」だよ。
「やだ。来たのはずいぶん前でしょ? 去年だったっけ? ね?」
それでも、真衣は懸命に演技した。最後の「ね?」は、オレに同意を求めたセリフだ。だけど、明らかに「マスター、空気読めよ」と言わんばかりだった。
うん、わかった。
オレは笑顔を見せながら、マスターに軽い調子で聞いたんだ。
「マスターは真衣のことばっかり覚えてて、オレの名前なんてホントは覚えてないでしょ?」
笑顔を添えた。
「ちょっと、マ「黙って」」
割り込もうとした真衣の言葉を遮ってみせた。大事な所だ。
「マスターがオレのことを覚えてるか聞きたいだけだから」
「ははは。いっつも、奥の席で、あ~んなにイチャイチャしてる
「ありがとう」
オレは笑顔で頭を下げてから横を見る。
真衣は笑顔を作ろうとして失敗していた。
もう、十分だ。
パッと立ち上がった。
「マスター、ごめん、ちょっと用事を思い出したんだ。また来るから!」
「おぉ、待ってるよ!」
コートを着る間も惜しんで店を飛び出して、とっさに店の横にある暗闇に身を隠す。
5秒と経たずに真衣が飛び出してきた。
「待って! どこ! わたる!!!」
絶叫に近い声で、まばらに歩いた通行人がギョッとしてみてる。
もちろん、無視。
右に走って行った真衣の後ろ姿を見定めてから、反対側に歩いたんだ。
角を曲がる度に、真衣がいないことを確かめて、注意深く歩いても20分も掛からない。
「お帰り」
「ただいま」
父さんと母さんが帰ってた。計算通り。
部屋でコートを脱ぐ間もないタイミングでチャイムが鳴った。どこかで見ていたのか?
「こ、こんばんは! 真衣です。航さんは!」
母さんが「あら、いらっしゃい。どうしたの、そんなに慌てて」と迎えた。
「ワタル! 真衣ちゃんよ」
「は~い」
ドアから顔だけ出して「今晩は」と笑顔で挨拶をした。
「え?」
「
そう言うとサッサと顔を引っ込めようとした。
「ち、違うの! わたる! さっきの、あれは誤解なの!」
ドタドタドタッと走ってきた真衣。いつもなら自然な仕草で靴を揃えるのに、今はかまっていられないらしい。
「誤解?」
オレはドアの隙間から首をかしげてみせる。
「何をどう誤解してるって言うの?」
「だって、あの、ほら、マスターがあなたの名前を」
「ふむ。言ってたね、た け る って。それが何か?」
「あの、あれは違うの! 最近、あなたとのことを相談してて、一度だけ、あのお店に行ったから」
「ふぅん。で?」
「だから! 何か誤解してるよね?」
「いや。誤解はしてないと思うよ」
理解しただけださ。
「でも、急に帰っちゃったでしょ? 怒ってるんだと思ったから」
「いや、オレはさ、3ヶ月ぶりに彼女に会えると思っただけ。でも、そんな人はいなかったみたいだから帰った。それだけだよ?」
蒼白になった真衣は身体をガクガクと震わせてる。
「そんな。私達、付き合ってるよね? 結婚の約束もしたよ!」
「確かに5年も付き合っていたね」
真衣は涙を浮かべた。
「そんな他人事みたいに過去形で……」
「えっと、用はそれだけ?」
「ねぇ、怒っているんだよね? だから、そんなに冷たいんでしょ? 私が、お兄さんとお店に行ってたから!」
「いや、もう怒ってないよ、マジで。じゃ、もういいかな?」
「ね! お願い! 怒らないで! こんなことで別れるつもりだとか言うんじゃ無いよね?」
「別れるつもりも何もないよ」
「だけど怒ってる」
「怒ってないって。ホント」
「だ、だって……」
「もう別れた人に、あれこれ言っても始まらないでしょ? 全く怒ってない。お幸せにね」
「そ、そんな。ジョーカーに行っただけで? 5年も付き合ったのに。結婚するって言ったのに! たった、それだけで許してくれないの?」
「いや、許すも何もないってば。オレを待ってるはずの彼女がいなかった。それだけでしょ?」
「待ってたよ! ずっと待ってたのに! 会えないから寂しくて。だから、健と」
「君は周りに友だちも、家族だっていたわけじゃん? オレは東京で他人に取り囲まれて一人でいたんだよ。どっちが寂しいと思う?」
「で、でも」
「わかってないみたいなんで説明しようか。オレ達の関係って?」
「えっと、彼女…… っていうか婚約者だよ、私達は」
「まあ、恋人だったのは認めるけど、婚約っていっても口約束だけだったし。ほら、せっかく買ってきたけど」
後ろ手に持っていた箱を見せつける。
「それは、指輪!」
「良かったよ。これを渡す前でさ」
「違うの、違うの! それ、私にくれるんだよね?」
「今回はさ、君のことを考えて買ってきたんだ。わかると思うけど、元恋人に渡すはずがないよね? はい。ポイッと」
部屋の隅のゴミ箱に、スロー ……イン!
「いやあああああ!」
ガタガタと震えながらゴミ箱を目指そうとした真衣をガチで
「ゴミが一つ増えちゃったけどさ、指輪も渡してない単なるカレカノだったんだろ? そんなの、どっちかが浮気をしたと思った時点でお終いじゃん」
「で、でも、でも、でも! ジョーカーには行ったけど、それだけだよ! お兄さんと飲みに行ったらいけないの!」
「いけないって言う決まりはないよ。でも、これは信頼関係じゃん? 彼氏に黙ってオトコと二人でバーの常連になるほど通ってイチャイチャしてた。それで信頼関係がなくならないわけないだろ?」
「で、でも、それ以上なんて、ホントにないんだよ! 信じて!」
「大人だもんね。イチャイチャカップルは、その後ホテルに行っただろうなぁって思うのは当然だろ?」
「行ってない! ホントに行ってないの!」
「ま、そんなの兄貴に後で確かめれば簡単にわかるけど。兄貴の軽い性格は知ってるだろ? わりと簡単に喋ると思うよ?」
「そんな、こと、あ、だめ、そんなの、喋っちゃだ…… め……」
はい。終了~ 「行ってない」じゃなくて「喋っちゃダメ」だもんね。
もちろん、自分の失言に気付いたのだろう、ハッとした真衣に、オレはわざとため息を吐いてみせる。
「ちゃんとした夫婦が離婚するならともかく、カレカノが別れるだけだぜ? 彼氏が東京に行ってる間に、内緒で他の男とイチャイチャして、ホテルまで行っちゃった。彼氏はそれを許せない。それって、彼氏が悪いの?」
「そんな。たった、それだけで…… 1回だけだよ? 1回だけなのに」
「何が1回なのかは知らないけどさ、君から打ち明けてくれていれば、まだ考える余地はあったかもしれないけど。こうなっちゃうと無理でしょ」
「そんな……」
「話は以上。兄貴の部屋に行くなら行けば? 行かないなら邪魔だから早く帰ってくれ」
「ね! お願い! 謝るから! 謝りますから! お願い、許して!」
土下座した真衣を見下ろすオレの顔は、自分でもビックリするほど、笑顔が浮かんでしまっていた。
「オレの性格は知ってると思うけど、決めたことは変えないんで。長い間、ありがとうございました」
わざとバタンと音を立ててドアを閉め切った。
しばらく、廊下で泣いていたみたいだけど、その後は知らん。ひょっとしたら母さんが取りなしたのかもしれないし、黙って帰ったのかもしれない。
家中が静まりかえった後、オレは兄貴の部屋をノックした。
「入るよ」
「あぁ」
「兄貴、さっきの件の話だ」
兄貴はイスごと振り返ると、得意そうな顔で笑いかけてきた。
「どうだ? 役に立ったかい?」
「サンキュ。マジで助かった~ さすが、健兄さんだ」
「いや、お前の役に立てて良かったよ。美味しい思いもさせてもらったしな」
嬉しそうに笑ってくれる兄貴に、封筒を差し出した。
「必要経費プラスで30万入ってます。兄貴のおかげで助かった」
頭を下げた。
なにしろ、研修中に運命の出会いがあったんだ。
お嬢様女子大を卒業する山瀬詩織さん。
パパが会社の役員で、本人もポンキュポンの美人さん。性格もすこぶる良くて、田舎者のオレを馬鹿にするどころか熱烈に歓迎してくれてる。
二人で夜明けの珈琲も飲んだ。さすがに処女じゃなかったけど、東京の大学生なら、そんなの当たり前だろう。
むしろ、恥ずかしそうにオレを受け入れてくれたから奥手なんだと思う。ちょうど安全日だったのもナイスだった。きっと、相性が良いんだろうな。
『詩織って、すげぇ良い子だよなぁ。東京の女の子って、もっと進んでるのかと思ったのに』
思った以上に純粋な子だし、詩織とは結婚まで突き進めそうだ。
どう考えても、田舎娘丸出しの真衣とは比較になるはずがない。
こうして、オレは「長い付き合いの彼女」と別れることに成功したというわけだ。
持つべきモノは、優秀な兄貴だよね!
オレは、部屋に戻ると、早速詩織に愛のメッセージを送ったんだ。
・・・・・・・・・・・
都内某ラブホにて
中年の男性の腕枕で、満足げな詩織が笑みを浮かべた。
「ね、センセ? お腹の中の、この子。大丈夫みたい」
「なんだよ。堕ろすんじゃなかったのか」
「せっかく先生との間にできた子ですもの。でも、大丈夫。結婚してなんて言わないから。ちゃんと、その役は捕まえてあるから」
「怖いねぇ」
「ふふふ。ちゃんと既成事実も作ったし。あと何回かしなくちゃだけど、それは許してね?」
「くそっ、ネトラレってやつか! なんだか燃えてきたぞ!」
「あぁ~ん、もう! 先生ってば。ゼミの教え子に手を出すなんて悪い人ね~」
「くくく! まあ、楽しんだヤツの勝ちってコトだよ」
「あ~ん、もう1回する?」
「あぁ。寝取られた詩織を、お仕置きだぁ~」
「あぁん! お仕置き、してしてしてぇ!」
詩織のスマホには、新しい恋人からのメッセージが浮かんでいたのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
作者より
この度は、お読みくださってありがとうございます。
オムニバス形式で展開される本作は、更新が不定期になります。
フォローしていただきますと、公開通知が届きますので、ぜひともよろしくお願いします。また★★★評価をいただけますと、モチベーションがアップして執筆の優先度が上がるかもしれません。応援をお願いします。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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