このラブストーリーは一筋縄ではいかないらしい。

トム

その始まりは夢の中から……。




 ――くん、大きくなったらけっこんしようね――


 


 ――え?! ぼ、ボクがちゃんと――。




 ジリリリリリリ……。


 ベッドの宮棚に置かれた目覚ましが、けたたましい音を奏でて俺の安眠を邪魔して来る。少しむしゃくしゃした気持ちをその相手にぶつけようと、仰向けの状態で瞼を閉じたまま宮棚をまさぐっていると、事もあろうか俺の頭に落下し、突貫攻撃を敢行して来た。


「痛ってぇ!」


 ソイツは所謂、丸い形をした可愛いタイプではなく、四角四辺のデジタル表示の狂気な奴だ。棚を滑るように落ちたそれは綺麗に俺の前額部に直撃し、あまりの激痛に大声を張り上げてベッドから転がり落ちた。



◇◇◇



「おはよう……ってアンタそのおでこどうしたの?」

「……何でも無い。ちょっと寝ぼけてぶつけただけ」

「……」

「そう、酷くないなら良いけど」


 自室で制服に着替え洗面所で顔を見ると、額からの流血に一瞬気が遠くなったが、顔を洗ってよくよく見れば傷はそこまで深くもなく、絆創膏を貼ってダイニングに向かった。テーブルには既に母と姉が座っていて、俺の顔を見た母が絆創膏に気づいて聞いてくる。姉はちらりとこちらを見ただけで我関せずと食事を再開し、俺も話すのは少し恥ずかしくなって誤魔化した。父は既に席におらず、もうかなり前に出掛けたのだろうと益体もないことを思いながら、自分の分を用意された席について、朝食をもそもそと食べ始めた。




 父、母、姉……そして俺。苗字は「田中」名は父が健太郎けんたろう、母がすみれ、姉が由香里ゆかりで俺が陽菜はるな……。


 ――一体どういう了見なんだと頭を捻る。苗字の田中はまだ良い。なにせ日本で4番目に多いとされる苗字だ。聞きたいのは名だ。父の名は「健太郎」……田中健太郎。捻りも何もなくて分かりやすい。母の名は「菫」……田中菫。まぁ、漢字としては難しいが、花の名でも有るし、女性らしい。姉の名は「由香里」……田中由香里。うむ、まじ、完璧な日本女性の名だ。保証書でも有るのかと言いたいくらいに女性名だと感じる。……まぁちょっと口がゲシュタルト崩壊しかかってはいるが。


 ――そして俺が、田中陽菜。名前だけで見れば、誰がどう見ても女性名だよ……。


 いや、分かるよ。名前に男女の区別がないって事は。キラキラネームって訳でもないし、正巳まさみって名も読み方だけだと勘違いするって事もある。ただ、少しだけ考えて欲しいんだ。健太郎と菫と由香里ときて、長男に「陽菜」と名付ける根拠がどこにありますか? 奇をてらったのか? いやいやいやいや! いらねぇよそんなもん!


 この女名のお陰で幼稚園の頃からよくからかわれた。元々食が細く、痩せのちびだった小中学校では「男の娘」になるのかとイジられ、必死に牛乳と小魚を毎日食べ、苦しくても空手道場にも小3から中2まで頑張った。その甲斐もあって、程々に均整の取れた身体になり、身長も平均的にはなれたけど、高校に進学して自己紹介では結局イジられた。そのお陰で性格は自分で言うのも何だが少しひねてしまい、休憩時間は自席で読書しているか、寝たふりをしているかのボッチ生活を満喫中だ。


(……あぁ、こんな面倒な生活が後2年以上も続くのか)



 悶々と一人そんな事を考えながら食べていると、不意に視線を感じて目線を上げた。


「……何?」

「……何が?」

「いや、何か見てくるから」

「は? 自意識過剰じゃね」

「なに朝っぱらから、喧嘩してるのよもう……」

「してねぇし。もう良いよ」


 ……確かに視線は感じたのだが、明らかに不機嫌な返事をよこした姉に、幾ら言い返したところで不毛だと感じた瞬間、母がナイスな横槍を入れてくれる。


 食器をキッチンのシンクに入れ、水をかけてから自室に戻る。制服の上着を羽織ってバッグを持つと、机に置いたスマホをポケットに放り込んで玄関に向かう。


「……行ってきます」

「車に気をつけなさ~い」

「……はぁ」


 陽菜が玄関のドアを閉めて出掛けたのを確認してから、私は大きく溜息を溢してしまう。母は小さな子供に言い聞かせるような事を言っているが、いい加減アイツも16なのにと心の中で呟いた。


「アンタはなんで溜息なんか溢すわけ?」

「別にいいじゃない、溜息くらい」

「そんな事ばっかりしてたら、幸せ逃しちゃうわよ」

「は? 知らないわよ。……大体なんで陽菜は男のくせに――」

「ん? アンタもしかしてあの子のこと……」

「だってそうじゃん! 私は普通の女子だし、普通のJKだよ。でもさ、でも」


 ――あの子の顔、どう見たって?! 


「あれで、男って……筋肉付いたって……背が伸びても……逆にモデルじゃん!」

「あぁ~、ねぇ~。産んだ私が言うのも何だけどさ、産まれた瞬間から天使だったもんね。……お陰でパパもじいじもばあばも勘違いしちゃって、名付けしちゃって、大変だったぁ」



*************************



 いつものバス停でいつもの視線を浴び、遠巻きにひそひそ話を聞きながら、高校までの道のりをやり過ごす。


 

 ――自信過剰……な訳あるか! 毎日毎日、あからさまにこちらを見てからヒソヒソしているあの連中を見て、俺じゃないとどうして言い切れよう。今も斜め後ろの座席から、ゾワッとした視線を感じながら、早く着いてくれと心から願っている。


 やっとの思いで学校に到着し、窓側の一番後ろの端の席に腰を落ち着けると、疲れがどっと押し寄せて思わず突っ伏したくなる。ふと教卓の上に掲げられた大きな時計に目をやると、予鈴の鳴る五分前だと気がついた。……しかしなんだ? 何と言うか教室の雰囲気が浮足立っている。俺自身、視線が嫌いということも在り、いつもぎりぎりの時間の登校になっているが、それでも幾つかの視線は俺に向かうのに、今日に限ってはそれもなく。ただ、皆せっせとひそひそ話を続けている。


「……今日からだろ?」

「なんでもっと早く――」

「あぁ……これで二人目って事だな――」

「……だけど、逆パターンって――」

「堺が『見た』らしいんだけど――」

「――まじかよ!?」


 ……一体何なんだと耳を大きくしたまま、興味ない素振りで窓から空を仰ぎ見る。もうすぐ梅雨だと言うのに綺麗に澄んだ青空で、遠くに長い尾を引く飛行機雲が見えた頃、チャイムの音がざわざわした教室に響き渡る。



「は~い、静かにしろ~」


 チャイムの後少しして、何時ものように担任がダルそうな声で、ざわついた教室に入ってくると、途端にそのざわめきが大きくなる。


「……ん?」


 いつもの雰囲気とは違うその状況に、窓から視線を教卓に戻すと、すぐにその原因に気が付く。


 担任の横にその人は立っていた。


 薄いグレーのブレザーを羽織り、チェック柄のパンツスタイル。服装だけを見れば、男子の出立ちだ。スラリと伸びた長い脚に張り出した胸。白い陶磁器のような肌に地毛なのか染めているのかは分からないが、薄い茶色の髪は長い。パッチリとした二重の目には長い睫毛が備わっていて、綺麗に整えられた眉毛と相まってとても凛々しい雰囲気を見せている。まっすぐ通った鼻梁の下には桜色のぷっくりとした唇が在り、はにかむように少し開いたその隙間には真っ白な歯が見えていた。


「……今日はまず、転校生の紹介から始める。自己紹介を」


 ――アオちゃん?!――。


 気がつくと、周りはしんと静まり返り、殆どの視線が俺に注目している。……まぁ、当然だろう。何しろ彼女が言葉を発しようとした瞬間、大きな音を立てて椅子を引き、立ち上がって叫ぶように俺が教卓の横に立つ彼女の名前を叫んでいたのだから――。


「……なんだ? 田中、お前知りあ――」

「ハルくん!?」


 気まずい雰囲気の中、俺が動転したまま固まっていると、彼女も大きな声をあげて俺の昔のあだ名を呼ぶ。担任が俺と彼女を見ながら慌てていると、彼女はこちらに向かって走り出す。




 ~~とあるクラスメイト(腐女子)の視線~~


 ――その瞬間、彼女の周りにはバラの花弁はなびらが舞い散らかす。……いや、もうそれは花吹雪とでも言えるほどに。教室は暗転し、ピンスポットが鮮やかに彼女と彼を浮かび上がらせ、二人の間の道程は正にと化した。驚きを隠せないと言った表情の彼をよそに、それはもう蕩けるような笑顔の彼女、両の腕を広げて髪をたなびかせる姿は、どこから見ても歌劇かミュージカルの様なシーンに見える。ゆっくりとスローモーションのように二人の距離が縮んで行き、遂に二人の距離がキスでもしてしまいそうな程近づいた瞬間、花弁は爆発し、色とりどりの花が咲き乱れる。そうして二人だけがその中心で輝いて見えた。


 もう、どこからどう見ても歌劇団! 完璧なプロポーションを持ち、どれだけ磨けばそんな顔に成るんだという、憤りを超えてしまうような二人に、私は「ほぅ」と溜息しか漏れなかった。


 ……但し、二人共男子高校生の制服姿なのだが――。尊死!



 ~~とあるクラスメイト(百合好き男子)の視線~~


 まさか、まさかの盲点だった。


 ……俺のクラスにはどう見ても女子にしか見えない顔を持ち、スラッとしたモデル系の男子が一人存在した。自己紹介で彼自身が「正真正銘の男です」と言ったときは、クラスの男半分以上が落胆の声を上げていたのを今も覚えている。勿論逆に女子からは物凄い嬌声が上がったが。……しかし彼は日が経つごとに皆から離れ、最後には誰とも話さず、教室ではもっぱら寝ているか、本を読む姿しか見たことがなかった。女子に事情を聞いてみると、どうやら人と関わるのが苦手らしく、恋愛にも興味が無いようで、次第に壁を感じていくようになったらしい。まぁ元々男女の恋愛は俺にも興味がないので、半ば諦めては居たのだが……。


 この二人のは盲点だった――。


 首から上だけを見ればどちらも超絶美少女なのだ。


 ……生物学的には一人は確実に『オス』なのだが……。ゲシュタルト崩壊!



 ~~クラス担任(普通の恋愛観、妻子もちゃんといる男性48歳)の視線~~


 ――今、俺は猛烈に戦慄していると同時に、ってのはココまでのものなのかと少し震えている。……顔立ちやそのスタイルは服装さえ変えてしまえば、モデルとして今すぐにでもデビュー出来るんじゃないかと思えるほどの、美貌とスタイルを持っている彼が居た。しかし彼は『自分は男だ!』と言い切り、その性格もきっぱりと男らしかった。お陰で少しクラスから浮いてしまい、友達作りには難航している様子だったが、虐められるなんてのは一切なかったので放任していたのだが……。


 これは、所謂BL? 百合? どっちなんだ? あ、いや違った、城田葵は正真正銘の女子……で……!?


 いやいやそうじゃなくて、そこが問題なんじゃなくて……あぁ! 教師生活25年! こんな、こんな問題俺には解けねぇ!



~~~~~~~~~~~~~~視点終了。



「やっぱり、ハルくんだぁ!」

「……うわっ! ま、まじで葵か?! ってかくっつくなぁ!」


 このベタベタ感は間違いなくあの城田葵しろたあおいだ。


 ――幼稚園時代。


 物心がまだ中途半端だった頃、俺たちはよく一緒に遊んでいた。彼女は女子だと言うのに何故か俺たち男子連中と一緒になり、おままごとより、走り回って暴れるほうが好きだった。ただ、小さい頃から女顔をした俺と正真正銘の女子だった彼女は、普通の男子たちからはたまにうとんじられ、何時しか二人だけで遊ぶようになってしまった。卒園が間近になった頃、彼女が遠くに引っ越すという話を聞いて、最後に一緒に遊んだ時、別れ際に言われた言葉を今日も夢で見たばかりだった。



「わたしは、ホントはなんだけどね」

「……うん? うん」

「ハルくんは男の子良いよ」

「良いって何が?」

「ケッコンだよ」

「え?」

「ハルくんはお顔がかわいいから大好き! ハルくん、大きくなったらけっこんしようね」

「え?! ぼ、ボクがアオちゃんとケッコンするの?」

「うん! ヤクソク! 忘れないでね!」



◇◇◇


「――で、まさかの運命の再会! を果たしたんだよねハルくん!」


 ホームルームは彼女の暴走により、担任が現実逃避してしまい、強制終了。席すら俺の隣を強引に奪い、そのままわけがわからないままに1時限に突入。教科書を当然持っていない彼女は俺と机をくっつけ、ピッタリと肩を寄せた状態で教科の先生に不穏な目で見つられたまま過ごす羽目になってしまった。そうして今は休憩時間、当然のように6月の転校生なんて珍しい訳で、彼女と俺の周りにはクラスメイトが押し寄せた。


「へぇ~、そんな事ってほんとにあるんだ?」

「でしょ?! ボクも今朝教室で名前呼ばれるまで知らなかったもん」

 

 その言葉にクラスメイトたちはギャアギャアと騒ぎ、俺の精神的ストレスはどんどん膨れ上がっていく。にも関わらず、疑問や質問は留まることを知らず、クラスの連中はなんだかんだと彼女を中心に話を進めていく。


「じゃぁ、かなり遠い場所に引っ越したんだ?」

「うん! 先週日本に戻ったんだよ」

「え?! 日本て、海外に居たの?」

「そう! だから、新学期の時期をママが間違えちゃっててもう大変だったよ! アハハハ!」


 あははと笑う彼女の声に釣られて皆も思わず笑っているが、それって結構ヤバかったんじゃないの? とか思っていると、見えない場所から質問が飛んでくる。


「城田さんって、トランスジェンダーだよね?」



 ――それがどこから聴こえたのかは分からない。だが、その声は少し……険の籠もった声音だった。


「イエス! ボクは身体からだはレディだけれど、こころはメンだよ!」


 だが、彼女はそんな質問にもあっけらかんとした態度で笑顔で応える。すると、すぐ傍に居た一人の男子が葵に向かってまた質問した。


「……じゃぁ、なんで田中のことは恋愛対象に成るんだ?」

「イエア! ナイスクエスチョン! ……それはね」


 彼女はそう言い、人差し指を自分の目の前に立てると、ゆっくり視線を俺に向けてこう言った。



 ――このだからです!





 大波乱のハチャメチャな恋愛模様は混沌状態へと突入していくのだった。 

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