稲荷寺のパラレル少女
西羽咲 花月
第1話
いつも閑散としている参堂は参拝客で賑わい、年のほとんどを休んでいる出店は客寄せの声を張り上げている。
日本三大稲荷のひとつと言われている岡山県岡山市に位置する最上稲荷。
そこは良介にとっていつもの遊び場だった。
徒歩5分ほどで行ける距離とか、広い参堂は小学5年生の良介にとって安全に走り回ることができる公園と同じだった。
しかしこの日、最上稲荷の様子はいつもと違っていた。
「すっげー。正月って感じだなぁ」
良介の隣で英也が関心したように呟いた。
英也も大輝も良介の同級生で、1年生の頃から仲がいい。
3人一緒になっていつもなにか悪巧みをしているので、まとめて怒られることも多かった。
そんな3人も、今日はいつも以上に浮き足立った気分だった。
周りを見回して見れば人人人。
華やかな着物に身を包んだ人。
長い参堂や階段を気にして飾り気のない運動靴で来ている人。
それは様々だが、その表情は一様にして明るかった。
笑顔の人々を見ていると3人も自然と笑顔になれる。
1月1日とはたいていの人間が笑顔で過ごせる日なのだと、最上稲荷近辺で育った良介は思っていた。
とはいえ、最上稲荷がここまでにぎわうのはなにも正月だけではない。
大きなイベントでいえば2月には豆まきがあるし7月には七夕、夏祭り大祭と、様々な催しごとがある。
その度にこの参道には今日と同じように屋台が並ぶ。
良介たちが生まれてすぐのころはイチゴ飴やたこ焼きと言ったポピュアーな商品が多かったが今はケバブ料理だったり、豚かくにまんだったりと若い人をターゲットにした屋台も増えてきた。
去年のお正月のときは射的屋さんの景品にレアカードとかが出現していた。
あれを見たときは3人とも狂喜乱舞したものだった。
「よし、じゃあ上までダッシュするか!」
体格のいい英也がニンマリと笑みを浮かべて良介と大輝を見た。
2人は目を見交わせて軽く眉を寄せる。
最上稲荷の長い長い参堂をダッシュで一気に駆け上がるのは3人の遊びのひとつだった。
一番先に黄金色に輝く仁王像までたどり着いた人がジュースをおごってもらえる決まりになっている。
けれどその遊びはイベントがない日限定で行われていた。
今日みたいに参道が人々に埋め尽くされているような日にやるなんて、思っていなかった。
いや、常識的に考えてダメだろうと良介は思う。
それがそのまま顔に出ていたようで、英也が睨みを利かせてきた。
体格がよくてこわもて顔の英也に睨まれると、たいていの同級生たちは縮み上がってしまう。
「なぁにビビってんだよ」
英也が腕組みをする。
「さすがに今日はやめておこうよ。人が多すぎるから」
答えたのは大輝だった。
大輝のか細い声が情けなく空中に消えていくのを良介は聞いていた。
「じゃあ大輝の一人負けってことでいいか?」
そう言われて大輝は口をつぐんだ。
勝負をせずに負けるのはもっとも恥ずかしいことだと思うふしがあった。
本当は良介も大輝と同じ意見だったけれど、不戦勝になられるのが癪でグッと唇を引き結んだ。
その実、今日の参道をダッシュするなんて無理だと思いながら。
「俺と良介で勝負して、勝ったほうに大輝がジュースをおごる。これでいいか?」
「わかったやるよ」
英也がすべてを言い終わる前に大輝は言っていた。
なにもしないままジュースをおごるのなんてますます嫌だった。
親戚からもらったお年玉はまた1円も使っていないが、あいにくなにに使うか頭の中に予定を立てていたりもする。
100数十円足りないことでそれらが買えなくなるかもしれないと思うと、胸の奥がムカムカしてくる。
「よし、行くぞ!」
英也が両腕をグルグルと回して準備体操をする。
それだけで周囲の人たちは迷惑そうな顔をしている。
本当にこれからダッシュするのかな?
どう見ても、ダッシュなんてできないのに。
良介は心の中で思いながら英也の後について歩いた。
駐車場を抜けると広間があり、そこにも沢山の出店が並んでいる。
広場の中央には大きなゴミ箱がふたつ。
3人の身長よりも少し大きいくらいのゴミ箱はちょっとやそっとじゃ悪臭を感じない。
そこに寄りかかり、たこ焼きや焼きそばをほお張る人たちもいる。
屋台の広場は更に活気があり、「まいどあり!」「お待たせ」と言った声があちこちから聞こえてくる。
客寄せなんてしなくても、どの屋台も沢山の行列ができている。
3人は広間から参道へ入っていく手前で足を止めた。
ここがいつものスタート地点なのだ。
しかし、今はスタート地点に立っているだけで迷惑になっている。
行きかう参拝客に睨まれるたびに、良介はいたたまれない気分になった。
「準備はいいか?」
英也はいつものダッシュと同じようにクランチングスタートの体勢を取る。
さすがに、良介と大輝はそこまでできなかった。
体勢を低くして前方を睨みつける英也。
それをよけるように歩く参拝客。
見ているだけで申し訳なくなる。
「よーい」
それでも英也の掛け声に合わせて両腕に力をこめるくらいのことはした。
どうせ、走れないけれど。
「どん!」
英也の掛け声を合図に走りだした。
しかしすぐに失速して、参拝客らに押し戻されてしまう。
「こんなの無茶だって」
勢い良くスタートを切った英也も同じような状態だった。
それでも人々を押しのけて無理矢理前へ進もうとしているから、後ろから大輝に引き止められている。
良介はのろのろと進む参拝客の後ろについて歩きながら呟いた。
隙間を塗って走ることも考えたが、参堂の途中には階段もある。
それに杖をついて歩くおじいさんの姿も見てしまい、とても走る気にはなれなかった。
「なぁ、やっぱりやめようぜ」
そう言って振り向いたときだった。
英也と大輝の2人がわき道へとそれて走り出す姿が見えた。
この参道にはいくつかのわき道があり、そこを入ると人はパタリといなくなる。
しかし上まで続いているわき道も沢山あるのだ。
観光で来た参拝客は知らないが、地元の良介たちはよく知った道だった。
それを使ったのだ。
「おっさきー!」
英也が意地悪そうな笑みを浮かべ、片手を挙げている。
あっ!
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