第9話 傘の人

 いつ店に入って来たのか奇妙な格好の中年男。

男はタオルで頬被り(ホオカブリ)をして、傘の先に風呂敷包みを縛(クク)りつけ、・・・担(カツ)いでいる。

少し前に龍太郎の目に留まった、赤いゴム長靴の『傘の人』である。

男はカップ麺の棚から品物を一つ取ってレジカウンターに持って来る。


 「いらっしゃいませー」


バーコードをスキャンする静子。


 「百六十八円です」


男は「傘付き生活道具」をそっとフロアーに置き、腰に巻き付けた「巾着袋」をおもむろに解き始める。

暫く見ていると、その袋から数十枚の小銭(コゼニ)を取り出し、何を思ったか一枚ずつレジカウンターの上に並べて行く。

静子は暫くそれを見ている。

男は並び終えると、ホッとした表情でフロアーに置いた傘付き生活道具を肩に担ぎ、キチッと一歩、下がる。

赤いゴム長靴がやたら目立つ。

静子は、あまりにも奇妙なこの男の仕草に戸惑う。


 「あ! はい。確かに百六十八円有ります。ありがとう御座います」


男はカップ麺を片手に持ち、傘付き生活道具を肩に担ぎ、カウンターの隅に置いてある湯沸かしポットの前まで行く。

そして傘付き生活道具をコピー機の上にキチッと置き、カップ麺の蓋を開けてシミジミとお湯を注ぎ始める。

注ぎ終わると蓋をキチッと閉め、湯沸かしポットにシッカリと一礼し、また傘付き生活道具を担(カツ)いで店を出て行く。

すると暫くするとあの『傘の人』が戻って来る。

静子は忘れ物かと思い男を見る。

すると男は、指で箸の仕草をする。

静子は少し焦って、


 「あ、ごめんなさい! お箸ですよね。すいません。・・・はい」


静子は男に箸を渡す。

男は右手をキチッと開き、拝むような仕草で丁寧に一礼する。

『傘の人』は最後まで一言も喋らないで店を出て行く。


 ダストボックスの上で『雉(キジ)トラ』が傘の人を見ている。


静子は心の中で、


 「可哀想に・・・あの人。喋れないんだわ」


と、哀れな男の背中を見送る。


 暫くして、品出しを終えた石田さんがレジカウンターに戻って来る。

静子はカウンターの上を雑巾で拭きながら石田さんに、


 「いろんなお客さんが来るわね。お店ってとても勉強に成るわ」


石田さんがそれを聞いて、


 「え?・・・あ〜あ。あの傘男っスか? あんなの序の口ですよ」

 「あのお客さん聾唖者なんでしよう。可哀想」 

 「ローアシャってなんスか?」

 「障害者。喋れない人の事を云うのよ」


石田さんは驚いて、


 「ダレが? アイツは腹が減るから声を出さないんです」


静子は驚いて、


 「ええッ!」


すると石田さんが呆れた様に話し始める。


 「あの傘オヤジねえ、この前も小銭でカップ麺買ってったんスよ。そん時は全部一円玉っスよ。ビニール袋に入った一円玉をアタシに見せてさぁ。信じられる? 客が後ろに並んでるのに。あの調子でパッチンパッチンやられたらたまんないっスよ。営業妨害っス。シッたら、あのクソオヤジ、袋に百円入っているから数えなくても良いなんて、手でこんな事するんスよ」


手と指で男の真似(マネ)をする石田さん。

石田さんは更に饒舌(ジヨウゼツ)に話す。


 「そんな事言っても一応念のため数えるジャン。ビニールの袋切ってコインカウンターで数えたわよ。シッたら、何か一円多いの。後ろの客はキレそうだし、アタシだって頭に来てるから、ソイツを睨み付けて一円玉をビシッと叩き返してやったの。シッたら、またアイツ、手でこんな事するのよ」


石田さんはまた、静子に男の仕草を真似て見せる。

石田さんの話は止まらない。

 

 「良く見たら、コインカウンターの中の一円玉が一枚曲がってんジャン。アイツ偉そうに腕組をしてアタシの顔を見てニヤと笑ったんス。もう、ムカツイタからカップ麺だけ渡して箸なんか付けてやんなかったの。シッたらアイツ、『ハシッ!』ってはっきり喋ったジャン。なんだ、テメー喋れんジャン。ザケンジャネーヨよ!って、もうアン時はキレるのを止めるのがヤットだっだっスよ」


静子は石田さんの独特な喋り方と表現力に思わず噴出してしまう。


 「笑い事じゃないっスよ」

 「だって、ハハハハ」


静子の笑いが止まらない。

石田さんが静子を睨む。

静子が堪えながら、


 「ごめんなさい。じゃ、さっき新聞を買いに来た下駄(ゲタ)のお客さんは?」

 「ああ、あの『お天気オジサン』んスか。あのオヤジ、きのう三ノ輪の魚屋で見かけたンすよ。シッたら、魚屋のオヤジと天気の話してたんス。山は何とかカントカって。あのオヤジ、一年中山の天気の事しか話さないんス。頭ん中がオカシイんじゃないスか」


静子が冷静に、


 「山が好きなんじゃないの?」

 「そりゃあないっスよ〜。あのオヤジの家、下駄屋(ゲタヤ)っスよ。それにアイツにリュックは絶対、似合わないっスよ」


静子は石田さんの歯に衣(コロモ)を着せぬ口調に妙な近親間が沸いて来る。

静子は石田さんを見詰め、


 「石ちゃんて、面白~い」


石田さんは静子の突然の気安い口調に、


 「イシちゃん? アタシあんなデブじゃないっシ」

 「あ、ごめん。じゃ、イッちゃん」

 「何でも良いスよ、名前なんて。とにかく、ここの店の客を甘く見たらだめっスよ。客を見たら泥棒と思えっスからね」


静子はこの「ハネッカエリな娘」が徐々に愛おしく思えてくる。

静子は石田さんの横顔を見ながら、


 「へえー。あ、そう云えばさっきオーナーが言ってたんだけど、イッちゃん、お母さんが居ないんですって?」


石田さんは突然の静子の言葉に急に黙り込む。

静子は控えめに、


 「お母さん、亡くなったの?」


石田さんが黙って居る。


 「あ、ごめんなさい。変な事聞いちゃった?」

 「居ますよ」

 「え?」


静子が石田さんを見詰める。


 「居るけど、親じゃないっス」 

 「親じゃない? どう云う事?」

 「良いっスよ。そんな事・・・」


静子は石田さんの寂しそうな顔を見て話題を変える。


 「ところでイッちゃん。朝、売り場でフラフラしていたサンダル履きの」

 「木村っスか?」

 「あ、そう! あのお客さん木村さんて云うの? その木村さんて云う方」


石田さんは呆れた様に、


 「店長、アイツにサンとかカタなんて似合わないスよ。もう、最悪なンだから。店ん中でゴミは散らかすし、客には『タカル』し」

 「タカル?」


静子は店内で『タカル』と云う言葉を聞いたのは初めてである。


 「アイツ、気の弱そうな客を見付けると、缶コーヒーをタカルんスよ」

 「ええ!」


驚く静子。 


 「アイツもヤリますからね」


静子は以前、コンビニのパートで働いていたが、『ヤル』『タカル』と云う言葉が飛び交う店は初めてである。


 「ヤル?」

 「万引きっスよ、マ・ン・ビ・キ! 店長、ナナでバイトしてたんでしょう?」

 「え? まあ、そりゃあ」

                          つづく

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