ガラスの靴をもらわなかった方は
柑橘 橙
第1話 あ、やっべ……
(あ、やっべ……)
姿勢を正して礼をとるために軽く腰を落とした瞬間、そんな言葉が頭の片隅をよぎった。
「面をあげよ、イオリティ・カスリットーレ公爵令嬢」
正面上方より落とされた声に、ゆっくりと姿勢を元に戻しながら考えても、先ほど頭をよぎった言葉は意味がわからない。
『やっべ』というのは『やばい』という意味だ。それは、解る。だが、自分が使うべき言葉遣いではない。
しかめそうになった目元に力を入れ、微笑みを崩さない様にして、正面を見つめる。
数段上にある玉座は二席。後ろに王太子と第二王子が控えていた。
一段下には宰相である父。それから国務大臣、軍務大臣、外務大臣と続く。
「四年にわたる教育を、よくぞ終えたとまずは褒めたいと思う」
壮年の国王陛下はこのリアンテ王国随一の賢王だと讃えられ、隣に座す妖精の愛し子と言われる王妃殿下と仲睦まじいことでも有名だった。
「もったいないお言葉でございます、陛下」
そうだ。自分は王太子妃の教育を終えた。六年かかるところを四年で終えられたのは重畳として、五人いた候補が転げ落ちていき、残りはとうとう二人。
サンドレッド・コンタスト伯爵令嬢があと二年以内に教育を終えれば、王太子殿下の学園卒業までにはどちらが妃となるか決まる。
大方の予想はイオリティに傾いているようだが、
(王妃殿下はサンドレッド様がお気に入りだから……)
キリッとした顔立ちに銀髪黒目のイオリティより、金髪碧眼のふんわり美少女のサンドレッド・コンタスト伯爵令嬢の方がかわいがられていたのも事実。
「良き妃として立てる実力は十二分に備わっておる。春からの学園で王太子との縁を深め、仲睦まじい夫婦となること、立派な妃としてたてるようになることを願っておる」
「精進いたします、陛下」
深々と頭を下げるが、心の中で舌を出したい気分だ。
(よく言うよ、自分達は仮面夫婦のくせに)
――まただ。
舌を出すのも、『仮面夫婦』もイオリティ十五年の人生では覚えの無いもの。違和感と疑問がもやもやと胸の奥から広がるのを飲み込んでいると、王妃殿下がこちらを見た。
「サンドレッド・コンタスト伯爵令嬢もあと二年で教育が終わります。学園では二人で切磋琢磨しながら、学び、精進するように。王太子であるユアンに愛されるように努めなさい。愛があればこそ、辛いことにも立ち向かっていけるのです」
「お言葉ありがとうございます、王妃殿下」
(愛にすがって、愛しか無く、実力の無かった自分への反省はないのか?)
心の中で突っ込んでしまったイオリティは、肯定の返事をせず感謝のみを伝える。
満足げな王妃殿下へおしとやかな微笑みを向けたまま、心の中であきれたため息をついた。
(お気の毒な王妃殿下)
またも心の中の不思議な言葉遣いに焦りながら、慌てていつもの思考に戻す。
「春から、学園で君たちを待っているよ」
王太子殿下の言葉をありがたくもいただいて、イオリティは謁見を終えてその場を後にする。
廊下に差し込む夕日が大理石をオレンジに染め上げ、幻想的な光景を作り上げる。
静かな空間に、先導する侍従の柔らかな足音がするだけだ。
(君たち、ね……)
ここにはいないサンドレッドの顔が浮かび、少しこわばった笑みになった気がする。
夕食は家族全員でささやかなお祝いをする予定だ。
長男も次男もわざわざ仕事を休んで待っていてくれるらしく、夕方の謁見にも付き添いたいと言われたが、父親が許さなかった。
「お父様……」
馬車の中でも書類を読む父に、イオリティは声をかけた。
「どうした」
娘が妃教育が終わったことは喜ばしいが、その娘自身は今の立場に乗り気ではないようだと気づいたのはいつだったか。父としては辞めても良いといってやりたいが、宰相として公爵としては口にできないと言ったところか。
「春から学園ですが、わたくし、週に二、三日ほど通えば良いというスケジュールだったと思うのです」
「そうだな」
本来は妃教育と平行して行われる学園教育。サンドレッド・コンタスト伯爵令嬢は三日通い、残り二日と休日一日を妃教育に充てる予定だ。
「残りの日程は、『私』の思うように過ごしてもよろしいでしょうか」
するりと出た言葉に、自分でも驚いた。何をするべきか聞こうと思っていたのに。
「……ふむ。イオは何をしたい?」
父親の顔をしてカスリットーレ公爵が尋ねると娘はまっすぐに見つめ返してきた。
「週二、三日を魔法科に、休日は趣味の時間にしてみたいと思います」
するりと言葉が出てきた。
「魔法科……」
イオリティが入学予定の学園には普通科、魔法科、騎士科とある。普通科には行政コースと貴族コースとあり、文官や士官になるか貴族としての教養を身につけるかで異なる。
イオリティは今のところ行政コースで将来のために人脈作りを行い、貴族コースの子女を見極めながら過ごす予定だった。
ちなみに入学試験の結果ですでに普通科の卒業レベルはクリアしており、在籍期間さえこなせば好きなときに卒業できるとの証明書も発行済みであった。このことは学園の重鎮と国王陛下、家族のみに知らされている。
「魔法を学びたいのか?」
七歳での判定ではたいした魔力量が無かったはず、という言葉は飲み込んだ。妃教育ではたいしたことはしない魔法分野だが、魔法科で習うのは専門知識のはずだ。
娘に必要かどうかと言われれば、否と言える。
「ええ」
どうせなら、やってみたい。勉強も大してすることが無いのだし。
(高校レベルの内容だもの。ちょっと復習したらできてしまったのも納得よね。大変だったのは外国語と歴史だけだったし。楽させてもらったわ。その分妃教育が早く終えられたのだし)
……高校レベル。
(高校レベルって、なに……?)
じわり、じわりと何かが広がっていく。
「良かろう。コンタスト伯爵令嬢の教育はまだまだ時間がかかるだろう。やりたいことをやってみてもいいかもしれん」
「ありがとうございます」
コンタスト伯爵令嬢の教育……。彼女も十分優秀なはずだ。自分が特に早く終わらせたと言うだけで。
(そういえば、父親の伯爵が事業の関係で知り合った女性と再婚したとか。連れ子が二人もいて、いきなり義理の姉ができたと言ってたっけ。そのためバタバタしているのだと)
ほんの少し陰った笑顔でかわいらしく告げたサンドレット・コンタスト伯爵令嬢を見て、この愛くるしさが自分にもあれば……と思ったのも事実。
ちくりと痛む胸の奥には、何が潜んでいるのやら。
(ふふ、継母に義理の姉が二人か。まるで童話のシンデレラみたいな――)
ぴたり、と思考だけで無く全身のすべてが止まった。
『シンデレラ』
虐げられた伯爵令嬢。意地悪な継母と二人の義理の姉。カボチャの馬車。ガラスの靴。
サンドレッド――シンデレラ……。
(――まさか)
そんなはずは無い、と思う。この早鐘を打つような心臓を落ち着けなくては。
父親に気づかれないように大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
(シンデレラは舞踏会で王子と結ばれるんだっけ)
召使いのように虐げられる生活から、王子妃への下剋上とも言える物語。
実際に王子妃候補なのだから召使いのような生活を送ることは無いだろう。伯爵家へも公爵家と同じように王家からの侍女や侍従、メイドなどが送り込まれているはず。
とはいえ、下剋上物語にならないにしても、盛大な恋物語のように進む可能性はある。
「コンタスト伯爵家といえば、海を渡っての取引を行う事業を手がけておいででしたか?」
そう思いつつも、探るような言葉がこぼれた。
「よく知っておるな。二回目の航海に自らが出ると出資を募っておった」
確か、何かの本か映画で父親は船の事故で亡くなったとか、なんとか。
「お父様は、出資なさるのでしょうか?」
「何故だ?」
訝しげに問い返され、質問が出過ぎたものだと気づくがもう遅い。
「いえ、その……わたくしとしては、同じ候補の親に力関係が生じることは……」
不公平だと遠回しに訴えるかのように誤魔化したが、間違ってはいないはずだ。
「ふむ」
にやり、と一瞬だけ笑みを見せた父は真面目な顔になって答えた。
「出資などはしない。アレは、博打のようなモノだからな」
(事業が?それとも、伯爵自身が博打のような信憑性に欠ける人物ということ……?)
両方かもしれない。
イオリティの脳裏に浮かんだのは、やや軽薄そうな男の顔だった。目元はサンドレッドに似ているが、人間性で言えば間違いなく似ていない。サンドレッドはもっと純粋そうで強かだ。
「そうですか」
やや安堵した気持ちをこぼしてイオリティは頷いた。
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