第38話
勇人が大人同士での会話をしている最中、霞は一人廊下に併設された休憩所に居た。
「はぁ……」
どうにも浮かない表情で、椅子に座り、机を利用して頬杖を突いている。
その視線の先には一枚の紙。
A4サイズのそれは何らかの資料となっていて、大きく『四級探索者 雨宮霞』と書かれており、その下には色んな項目と数値、そしてグラフがあった。
「どうしよう、これ……」
『四級探索者 雨宮霞』
魔力総量 C→C+
魔力放出 D→C
魔力操作 D+
魔力回復 C→B-
攻撃 C→C+
防御 D→D+
速度 D→C-
三ヵ月前に計測した値と比べて上昇した数値が多く、それ自体は喜ばしい。
とても嬉しい事だ。
なにせ彼女の目標は一級探索者になる事であり、四級で足踏みしている訳にはいかないと決意を新たにしていたのだ。そりゃあ強くなっている事を喜ぶのは当たり前である。
では何故浮かない顔をしているのか?
それは、その強くなった理由が関係している。
「流石に勇人さんの影響だよね……」
自分ではまだ理解しきれないが、どうやら魔力の性質が変わっていたらしい。
魔力の性質?
なにそれ。
魔力に性質なんてあるの?
えっ、なんかちょっと黒い靄が……ウワーッ!?
検査官に言われるがままに己が魔力を込めた拳を見ると、確かに黒い靄。
驚きのあまり女らしくない叫び声を上げてしまったが、女性職員しかいなかったのは不幸中の幸いだったと言える。
「た、確かにちょっと強くなったかなって思ってたけど……はあぁ……」
それはそれとして、人間離れしてしまった事に関しては何とも言い難い。
直接モンスター呼ばわりされたら傷付いてしまうかもしれない。
不安だからだ。
自分が少し人から道を踏み外している事実をまざまざと見せつけられて、慄いていると言ってもいい。
もしこれ以上モンスター側に寄って行ったら、果たしてどうなるのだろうか。
パートナーを誓ってくれた人は具体的な未来の姿かもしれないけど、ああなれると霞は思っていなかった。
「……モンスターの力かぁ」
勇人は己がモンスター交じりである事を受け入れているし、事実として取り扱っているから反応しにくい事をサラリと告げたりする。自分を純粋な人だとは思ってないし、モンスターとして扱われる事になんの忌避感も抱いていない。
それどころか寧ろ、念には念を入れていざという時に僕を殺せるようにしろ、なんて言う始末。
勿論、今を生きる人たちの事を侮っているとかそんな訳はなく、ただ純粋にリスクの話をしているに過ぎない。
それは霞も頭の中では理解している。
だが受け入れ難く、若くして四級という立場になった彼女の中で折り合いをつけるには難しい問題だった。
(モンスターの力は怖い。でも勇人さんの事は怖くない。じゃあ私は、一体何を怖がってるの……?)
「──へい、悩める若者! お疲れさま!」
「ひゃあっ!?」
うんうんと一人唸っていると、唐突に背後からうなじに対してヒンヤリとした感覚。
ぬるりとしたその感触に絶叫しながら振り向けば、そこには一人の女性が居た。
「わーお、良い反応するじゃない。可愛いわねぇ」
「ほ、宝剣一級!?」
「あ、知ってるんだ。中部地方を管理してます宝剣甲斐です、よろしくね」
「こ、こちらこそよろしくお願いします……っ!」
一級八位、宝剣甲斐。
現代において最も魔力の扱いが巧いと評価されている、不知火とは別ベクトルで飛び抜けている逸材。
一般公開されている探索者データで唯一【魔力操作A+】の評価を受けており、世界中見渡しても彼女ほど卓越した操作感覚を持った人間は居ない。魔力量で圧倒的だった鬼月同様、一戦力としてではなく、研究側へ向かうべきではないかと論争が起きた事すらある。
宝剣がデビューしたのは今からおよそ10年前。
その頃霞はまだ8~9歳の頃であり、そんな争点とは一切関りは無かったのだが……
「隣、いい?」
「アッ、ど、どうぞ!」
「それじゃ失礼して」
(ど、どうしよう……!? 宝剣さんが隣に!?)
宝剣が一級になったのは今からおよそ5年程前。
それこそ霞が養成校に入学した頃であり、学内で話題になるのは当然その頃台頭してきた者達であり、不知火らの世代は正にその対象。
『歴代で最もポテンシャルを秘めている不知火と、それに唯一肩を並べる女傑宝剣』の組み合わせは非常に人気だった。
つまるところ──霞は普通にファンだった。
先程モニター室に居た時はそれどころではなかった上に、一級の人達が真剣な話をしているのに自分がそんな気持ちを押し出せるわけが無いから黙っていたのだが、一対一でわざわざ訪ねて来たとなれば、緊張もする。
「あはは、そんな肩張んなくていいって。はい、水」
「あ、ありがとうございます……」
「……てか、私なんかよりよっぽど凄い人と一緒に居たのに今更緊張する?」
「う……勇人さんは凄い人ですけど、なんかとんでもなさ過ぎて逆に感じないって言うか……」
「ああ、それは言えてる。多分ちゃんと凄い人だって肌で感じれてるのは鬼月さんとか、毛利のおじさんとかよねー」
コクリと頷く。
それと何か妙に女の人の扱いに慣れてる気がして釈然としない──そんな感情は心の中にしまい込み、渡された水を口に含む。
「────で。一体何に悩んでたのかな?」
「うぇっ……な、悩んでませんよ?」
「誤魔化さなくていいって。こんな場所で一人頬杖突いて溜息吐いてたら誰だってわかるわよ」
見抜かれたと霞は顔を顰めた。
「まあ……気持ちはわかる。死に掛けて、助かって、出会った人が50年前の凄い人で。しかもそんな人と仲良しになっちゃったもんね?」
「あはは……勇人さんに出会えたのはラッキーでした。もしあそこで出会えてなかったら、死んでたので」
「うん。勇人さんとの関係で悩んでる?」
「いえ……? 勇人さんとの関係では特に何も」
「あ、あれ……?」
霞は勇人の事を自分がどうにかしなくちゃと既に決意しているので、そこは揺らがない。
一々口説くような言葉を言ってくるのには困っているが、まあ、えっと、なんていうか、ちょっとだけ嬉しいという気持ちがある。君にしか言わないと言われて嬉しくない女など居ない。けど所構わず口説いてくるのは止めて欲しいかなーって。
でも皆見てる所で言われるからちょっと余計嬉しいとか、そんなのも……
霞はそんなことを頭の中で考えた。
口説いてる自覚すら相手には無い事には、触れないでおこう。
閑話休題。
「それじゃあ、何にそんな深刻そうな顔してたの?」
「えっと……これです」
問われて思考を元に戻した霞は、左手を僅かに上げて魔力を集中させた。
ぼんやりと黒く靄がかかる。
これまでそんな事は一度も無かった。
勇人も似たような感じで魔力が可視化していたので、恐らくそれと同じだろうと思っている。
「……魔力よね。勇人さんと同じ」
「はい。多分、モンスター由来の力なんですけど」
「なるほどなぁ、それは不安になるわよ。これを使っていいか、使い続けていいか、どうなるんだ──そんなところかしら」
再度頷く。
力を得られたのは嬉しい。
でも、これを使い続けて本当に大丈夫なのか。未知の力が肉体に宿って怖くならない訳が無い。勇人は50年この力と付き合ってきたが、霞はまだ一日しか付き合いがないのだ。
慣れるわけがなかった。
勇人にもまだ話していなかった、ちょっとした悩み事。誰も答えを持ち合わせてないデリケートな話題に対し──宝剣は、間髪入れず答えた。
「気にせず使いなさい」
「……気にせず、ですか」
「そ、気にせず。モンスターの力って言うけど、魔力自体は私達も使ってるじゃない。モンスターの魔力を利用している部分だってあるんだから、今の所問題ないとしか言いようがないわね」
そう言いながら、宝剣は指先を立てた。
指先に炎が灯り、更にその炎を氷が包み、やがて水の球体となって揺れ動く。
今の変化がどれほど卓越した技術なのか、それを目の前で息をするように見せられて、霞は息を呑む。
「この魔力変質だって、モンスターがやってるのを真似して始まったもの。私達の技術は、元を辿ればそっち側なの」
「──…………」
「こういう言い方をするのは卑怯だし、あんまりよくないけど……それこそ、勇人さんが先を歩いてる。貴女の何年も何十年も先を、ずっと一人で」
「一人で……」
「……私達は技術的な面で一緒に歩けるけど、本質的な部分では決定的な違いがある。だから、正しい意味であの人と一緒に居れるのは、雨宮ちゃんしかいないの」
「……はい」
「勿論協力する。その力が本当に安全なのか心配になるのもわかるしね。だけど、本当にどうしようもない無責任な我儘を言うとすれば……」
「──いえ、大丈夫です」
──そこから先は、言わせなかった。
確かにモンスターの力は怖い。
というか、未知の力が自分にあるという事実が何よりも恐ろしい。
それも未知は未知でも自分達が敵として認識している生物の力が肉体にあるのだから、恐ろしくない訳が無い。
「私、ちゃんとあの人に追い付くので」
「……へぇ。追い付くって言うんだ?」
「はい。パートナーですから」
今の力不足は嫌という程理解している。
上昇したと思わしき自分の強さでも足元にすら届かない。
まずは一級になる────それが目的なのは、ブレていない。
「……ふうん。なるほどなるほど、雨宮ちゃんはそういう感じか」
「……な、なんでしょうか」
「ううん、なんでもない。これなら安心だと思ってさ」
宝剣は微笑んだ。
(ちょっと心配だったけど────大丈夫そうね)
霞の検査には彼女も立ち会っていた。
勿論未知の力を持っている可能性があると言う事で念のため、という事だったが、黒い靄に気が付いてからの霞の変化を気にしていた。
もしこれで怖気づいてるようだったら、誰かが気を配らないと潰れてしまう。
そう考えての気配りだったが……
「頑張りましょ、お互いに」
「……! はいっ!」
「……あ、ついでに連絡先交換しない? これでも魔力の扱いは上手いし、役に立てると思うけど」
「え、い、いいんですか!?」
「ええ。中部に来ることがあったら連絡してよ」
「是非! 是非お願いします!!」
「え、えぇ……(なんか熱量凄いなこの子……)」
連絡先を交換した小型タブレットを嬉しそうに眺めている。
もし件の男に見られていれば、『年齢相応にはしゃぐ事もあるんだなぁ』と勝手に納得されていたであろう姿だった。
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