第8話 強襲する『狩人』

 娼館の風呂に入り、身体をさっぱりさせると私は帰路につく。明るい大通りから裏通りへ足を運べば灯りは殆ど無く、暗い。


(……流石に連れ込まれないようにしないとな)


 細い路地を見れば、破かれた服と重なる男女の姿があった。


 娼館があるのは娼婦を確保すること以上に娼婦を守るためのものもある。

『金が無くても女を抱きたい』と思う下衆はどこにでも湧く。そうした下衆は性病を持つ者が多く、性病に罹れば魔法でも治すのは難しい。治すには高い金が必要になる。

 病に罹れば商品価値は無いに等しく、夜鷹や鼻欠けになるのは遠くない未来だ。


(ただまぁ……不愉快だ)


 ポーチから試験管を一本取り出し、地面に投げる。投げた試験管はパリンと割れ、中の薬液は空気と混ざり青い煙を漂わせる。


「チュウ」


 どこからともなく、鼠の鳴き声が聞こえる。

 地面から、廃墟の建物の中から、鼠の声が聞こえてくる。


「な、何だ!?」


 鼠たちの大合唱は行為に耽溺していた男に気づかせる。『シュレディンガーの箱』を持ち、私は赤い瞳を歪める。


「【媒介者の軍勢】だよ」


 静かに呟き、人差し指を男に向ける。

 その瞬間、鼠は男に向けて一斉に群がる。

 バリバリボリボリベチャベチャと。

 逃げようとした男の足に捕まり、肉を噛んで痛みで足を止め地面に倒し、覆い被さる。背中を、腕を、臀部を、骨を噛み砕いていく。

 男の絶叫は聞こえない。開いた口から鼠たちが入り込み喉の肉を食べ内臓を食してく。


(ふむ。魔薬の調合次第で鼠などにも【媒介者の軍勢】を拡張できるか。研究過程の副産物ではあるが、使えるな)


 媒介者は虫だけではない。鼠などの小動物、人間もまた媒介者たり得る。


「しかし、お前らが踏み潰し嫌悪してきたものに数で押し潰され食い殺される気持ちというのはどんなものだろうか」


 どんなに弱く、小さなものであっても油断すれば致命傷に届く。

 人もまた、食物連鎖の中にいる存在であることを忘れてはならない。


(私が死ぬとしたら、その時は獣に喰われて死にたい。それが正しい生物としてのあり方だ)


「【拡散停止】」


 散布した呪いを解除し私は男の亡骸に近づく。


 私の歩みを邪魔しないよう鼠たちは道を開け、男から強い血の香りが香ってくる。男の身体には皮膚がなく、内から食い破られたのだろう内臓が体外に引き出されている。

 凄惨な死体に私は目を細め、しかし己が行った所業から目を背けずにじっと見下ろす。

 頭から爪先にかけて、どのように喰われ方をしたのか丁寧に見ていき、箱の中からメモ代わりの羊皮紙を取り出すと死体をスケッチする。


(うーん……上手くスケッチできない)


 形の歪んだ死体のスケッチを見つめ、ため息をつく。

 薬の細かな調合は出来ても、スケッチが上手くできない。魔薬と違って放置できてしまうため、中々上達しない。


(記録用魔道具は高い。自動書記ならまだ安いし、少しお金を貯めて買うのも悪くないな)


 スケッチを書き終えると箱の中に仕舞う。同時に、ピリつくような空気を感じ取り目を細めた。


(……『狩人』か)


 魔力を変換し、血を生み出す。血は私の腕に絡みつき一本の縄を思わせる触手となる。

 血の触手を振るう。その瞬間、影から飛んできた銀のナイフが触手を切り裂き、地面に落ちる。


「ひっ!!」


 背後の女が悲鳴をあげる。

 切り落とされた触手は血と戻り、残った触手は魔力に還す。


(昼頃に襲ってきた『狩人』は囮、或いは私の手札を知るための鉄砲玉と言ったところか。死んでも次に繋げるか)


 だからこそ『狩人』は厄介だ、私は忌々しげに女に視線を向ける。


「女、さっさと立ち去れ」

「えっ……」

「早くしろ。出ないと、巻き込まれるぞ」


 暗闇から放たれる銀のナイフを足技で弾きながら、服の残骸を掴む女に視線を向けた。

 まだ若い女は私を一瞥し、震える足で立ち上がると一直線に駆け出した。


「随分と、人に対して優しいのだな吸血鬼」


 空に浮かぶ赤い月を背に、『狩人』が立つ。

 薄汚れた黒い鎧の上に黒い外套を身に着け、中折れ帽子を深く被っている。灰色の髪や髭は手入れがされていないのかボサボサに伸び、赤い瞳は夜の中でもよく見える。

 首から提げられた太陽十字は血で汚れ、眼に剣呑なものが宿る。


 古強者、或いは『怪物』に成り果てた求道者。

 昼頃に襲撃してきた『狩人』とは一線を画する、本物のだと私は本能から直感する。


「私は人族の敵でも味方でもなく、逆も然り。敵対しないのであれば見逃すし、不快な所業をすれば殺す。それだけだ」

「……魔族らしいな」

「ノスフェラトゥだからな」


 ポーチから試験管を取出し薬液を撒く。薬液は空気と混ざり、複雑なパッチワークの呪いが滞留する。

 暫くして、ゴキブリが、コバエが、ムカデが、様々な都市型の害虫が壁に、地面に、空中に呼び寄せる。


(【劇症型レンサカース】を相乗せさせている。手加減はいらない、したら殺される)


 今までの『狩人』とは別次元に危険な存在に本能が最大限の警鐘を鳴らす。


「数の暴力に喰い殺されろ」


 指を『狩人』に向ける。

 その瞬間、昼間のように光が瞬いた。

 巻き上がる爆炎と魔を滅する光がスラムの一角を照らし、焼き付くす。


「貴様の呪いは『動物を媒介に呪いを拡散する』もの。しかし、動物を媒介とする以上、動物を燃やされれば意味はない」

「……正解だよクソッタレ」


 黒く炭化した塊の中から手を突き出し、中から出る。

 ゴキブリとネズミを使った肉の鎧。咄嗟の判断で身体に纏わりつかせなければ即死していた。


(腕、手甲に杖を取り付けているのか)


 男の両手の手甲から木の杖の先端が覗いてる。私に向けると同時に魔法を放ったのだ。


(しかし、随分と焼かれたな。散布した【媒介者の軍勢】も消えている)


 目に見える範囲の軍勢は焼き尽くされ、それ以外の軍勢は光で呪いごと掻き消された。

 呪いが無ければ軍勢を制御することができない。


(そして、次はない)


 周囲の軍勢を再度かき集める時間は残されていない。そのような愚をすれば、私はあの『狩人』に殺される。


(戦うしかない)


 体内を巡る生命力、その流れを確かめ魔力とする。

 男が自分の獲物を確かめるように睨みつけ、背後に手を伸ばす。

 背から出てくるのは金槌。その大きさは遠目から見ても分かるほど巨大で、無骨な金属の塊だった。


「……名は」

「セレイナ・オラシオン。アンタは」

「……『焔食い』のドヴェルグ」

「そうか、ドヴェルグか。見た目通り無骨な名だな、『狩人』」

「どうも」

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