リザレア王国紀 第Ⅱ部 焔骸迷図 運命編

青雨

プロローグ


 血のように赤い夕焼けが村を照らしだしている。日中は農家の主婦たちが売手との値引きの交渉に余念のなかったこの通りは、今は悪魔でも召喚できてしまいそうな不気味な静けさに包まれている。

 村外れに屋敷がある。

 屋敷は不可解なことに、他のどの家からも離れた寂しい所にある。

 そのくせ、妙に立派な石造りの建物で、ここの住人が結構な金持ちであることを教えてくれる。にも関わらず、この家の話は、村においてタブーなのだ。

 屋敷といっても、それは塔に近い形をしており、天辺は周囲の木々より高い。それは、周囲をすべて見渡せることを意味し、入り口は狭い鉄の通用門が一つきりあるだけ。それ以外はすべて高い塀で囲まれている。塀の周囲は深い木々に覆われていて、物見高い世間から、魔法使いを訪問する人の秘密を隠してくれるように作られている。望まぬ子を流したい女から、立身出世をはかる貴族たちまで、世間に知られたくないものたちが訪ねる館なのだ。

 ……カッ……

 そしてまた一人、この館を訪ねる者がいる。全身マントに身を包み、フードを目深に被っているので顔はわからぬ。背は高く、体格も尋常だが、男か女かは皆目見当もつかぬ。 その人物は通用門の前で一旦立ち止まって建物を見上げると、しばらくしてから白い息を吐きながらまた歩きだした。霧のような雨だというのに、空は赤い。

 ギ……ィィ……

 冷汗が出るような戸の軋み。人物は中に入ってしばらく薄暗くカビ臭い廊下の向こうを見つめていたが、やがてまるでよく知っているかのように、迷いのない足取りで歩き始めた。人物はやがて辿りついた扉の前に立ち尽くし、ノックもせずにいきなり扉を開けた。 毒々しい色をした薬品の棚。魔法語で囲まれた書物の山。それは室内に林立する本棚の許容量をとっくの昔に越えて床に山積みされており、奥にあるはずの机も、そこに座って自分よりも大きな魔法書を呼んでいる魔法使いの老女の姿も、容易には見せようとはしなかった。

 カッ……

「誰だえ?」

 雷に照らされながら、老女はちらりと戸口を見て意地悪気に言った。礼儀をわきまえない客に対する処置を熟知している老獪な顔だ。

「依頼に参りました」

 人物は静かに答えた。

 ああこの声……女だ。

「ほう……それなら話は別。こちらへ」

 人物は足元にまつわりつく使い魔を蹴散らし前へ進み出た。窓辺の机の側には、いくつもの人頭大の水晶玉が台に置かれている。人物は机の側まで歩み寄ると、そこに置かれていた台の上に無造作に金袋を置いた。

「礼金は金貨百枚……」

「ほ……随分な金額だの。よほどの相手のようだ」

「呪いを……さる高貴なお方に呪いを」

 サアァァァァ……

「その前に顔を見せてもらわないとね」

 老女は狡猾そうな笑みを浮かべて言った。

「---------」

「依頼人の顔も知らないようでは依頼は受けられない。

 ふ……それとも、見せられないような顔かえ?」

「……」

 わざと婉曲した言い方、しかし人物はしばらく立ち尽くし、何もこたえようとはしなかった。しばらくしてフードをとった人物の顔を、雷が照らしあげた。

「あっ あなたは……!」

 カッ……


 老女の驚きの声は、雷の音にかき消された。

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