第8話
目覚まし時計が転がるように
鳴り続けている。
ふとんの中から
手だけを伸ばしてアラームを止めた。
二度寝をし始めた。
「実花!!
起きなさい!
時間よ!」
バタンと勢いよく扉が開くと、
大きな声で起こされた。
時刻は午前5時。
「もう眠いー、もう少し。」
「何、言ってるの?
今日はいつもより
クリームパン多く作るって
言ってたじゃない。
仕込みに時間かかるから
早くしてちょうだい。」
「あ。そうだった。
はい、起きます。
今すぐ起きます。」
体をすぐに起こして、
敬礼をしては服に着替えた。
実花の隣で寝ていた紬は、
寝返りを打ってはスヤスヤと
眠っていた。
「起こさないように…と。」
実花は身支度を済ませると、厨房の方へと
駆け出した。
すでに実花の父の雄亮が生地の仕込みを
はじめていた。
「お父さん、おはよう。」
「ああ…。おはよう。」
黙々と作業をする雄亮は
特に喋ることはない。
お喋りが得意ではない。
必要なことだけしか言わない。
話さない分、
手で作られる精巧な雄亮のパンは、
人々の心と胃袋を鷲掴みにするほどの
絶品なものだった。
それを昔から真横で見てきた実花は、
パン屋になりたいと思って、
パン作りの魅力にハマってしまった。
朝から晩まで仕込んでは焼いて
棚に並べて、接客しての
繰り返しの毎日だったが
お客さんの笑顔を見ているだけで
心が洗われるようだった。
紬も実花と同じでパン作りに興味を
持ちはじめていた。
粘土を使っては見よう見まねで、
クロワッサンの形
チョココロネの形を作っては
祖父である雄亮にどうぞと
あげていた。
「ほら、朝ごはん用意したよ。
大したものじゃないけど
昨日の残りのカレーライスね。
実花、紬を起こしてきて!」
実花の母の豊実が、台所から
食卓に
トレイを使って運び出していた。
「はーい、起こしてきます。」
「全く、実花も、一緒に起きてくれば
いいのに。」
「……。」
雄亮は黙って席に着いた。
2階の部屋から2人で大きな音を
立てて降りてきた。
「静かに降りてきなさいよ!」
「ごめんなさい。
ほら、紬、席に着いて。」
「じいじ、ばあば。おはよう!」
「つむちゃん、おはよう。
今日のごはんもカレーライスにしたよ。」
「わーい。つむの好きなやつー。」
雄亮はおはようを言う代わりに
席を立ち上がって
紬の頭をポンポンなでなでした。
紬は嬉しそうな顔で返事をした。
「はいはい、食べましょう。
いただきます。」
みんな揃って両手を合わせて挨拶した。
カチャカチャとスプーンの音だけが
響くのは嫌だと思った豊実が、
口を開いた。
「実花、そういやー、
来週じゃないの?
3人で出かけるって話。」
「あ、うん。来週の土曜だね。」
「本当に行けるの?
前も約束した時、
仕事が入ったとか何とかで
断られなかった?」
「あー、そうだったね…。
今回は大丈夫だよ。
紬と電話で話して、
お願いしたし、たぶん。」
「自信ないの?
実花、もう少し颯太さんのこと
考えてあげなさいよ。
向こうで1人で頑張ってるんだから。」
「これでも考えてないわけ
じゃないんだけどな。」
「実花、本当に颯太さんのこと好きなの?」
「おい、紬の前で!」
ここぞと言う時は口を開く雄亮。
「でも大事なことよ。
紬ちゃん、ごめんね。
宇宙人ごっこして耳塞いでおこうか。」
豊実は紬の後ろに立ち、紬の耳を塞いでは
あわわと手を口に持って行っては
実花と話を続けた。
「私は自分の仕事を蹴ってでも、
お父さんについて
行きたいって気持ちで
ここのパン屋に嫁いだのよ。
まだ1代目だからやりやすいけども、
それでも嫌な仕事だなって
初めは思ってたけど、
慣れていくうちにお客さんの
喜ぶ笑顔見て幸せだなあって
思うようになったからね。
それくらい好きかって言うのを
聞いてるのよ。」
「仕事は辞めたくない。
パン屋の仕事好きなんだもん。」
「そこまでの熱がないってことね。
あっちも本当に実花を好きなら
一緒にパン屋やるものね。
やらないってことは…。
会う回数も年々減ってきてるなら
考えても良いんじゃない?
お互いが無理してるは
良くないと思うわ。」
「え、でも、この子は?」
「子は鎹ってよく言うけど、
今の時代じゃ通用しなくなってる
みたいよ。
大人たちが自由にやってるからね。
新しい人見つけたらいいさ。
たった1人の男で人生決めるんじゃないよ。
世界に何人男がいると思ってるのさ。」
「かあさん、それってまさか。」
「35億!」
「はいはい、面白いですね。」
棒読みで答える。
「と言いつつも、
私は初めての男にして最後の男は
お父さんだけだけどね。
子供3人もいて、
実花以外は独立したけども。」
「え?働いてるでしょ?
ダメなの?」
「自分でパン屋立ち上げても
いいじゃない。」
「引き継いではダメなの?」
「別に良いけど、
ずっと戻ってこないかもよ。」
「え、ばあば、何が戻ってこないの?」
「それはね、流れ星のことよ。
つむちゃん。」
天井を指さしてメルヘンチックに言う。
「そうなんだ。」
紬は祖母の豊実の話を聞くのが
楽しみだった。
実花は苦虫をつぶしたような顔して
カレーを、パクパクと食べた。
今後をどうして行くか
来週土曜日に颯太に話をしようと決めた。
仕事人間に生きる女子は
オス化現象になってると
よく週刊誌で書かれているが
まさかに実花は仕事一筋で
家事はろくにできない。
育児は祖母の力がないとろくに
こなせていなかった。
颯太に尽くせと言われても、
体と心がそれを望んでないし
求めていない。
さらさら、専業主婦になったり、
パン屋以外の仕事をして
共働きして核家族で
生活する自信なんてない。
何かを削るには
単身赴任でと言う形をとって
なるべく夫婦としての生活がない方が
実花にとっては都合が良かった。
見られたくないのだ。
炊事、洗濯、料理ができない姿。
子どもの世話もろくにせず
祖母に預けては
休憩時間に
スマホをいじってやり過ごすところ。
仕事してる以外はダメだとわかってる。
そして、颯太が実家に帰ってきても
お客さん状態でパンをご馳走しては
特に何もすることもなく。
颯太も居心地が悪いと
仕事あるからとすぐ帰ってしまう。
嫁として久しぶりに会う颯太にもてなすことさえもできない。
どうして、
専業主婦として
成り立つ人がいるんだろう。
れっきとしたメスなんだろうか。
夫に尽くす主婦を見て
尊敬すら感じる。
専業主婦は暇してるんじゃない。
家族に時間をたっぷり注いでるんだ。
家にいるだけで心地よいし、
安心感を与えてくれるホームポジション。
何物にも変えられない時間を注いでくれる。
それができたら苦労しない。
実花は実花で悩んでいた。
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