第5話 計算違い

 そこにいたのは、一人の少年だった。俺と同じく一年生だろうか、幼い感じだ。

 そして彼の周囲には、女生徒たちが立っている。


「謝ればいい、というわけではないですわ。どうしてくれますの?」

 そう女生徒たちが言う。


「これはルルーディア侯爵家への大事な貢物、上物のマヌグァ肉――

 あなた程度が弁償出来るものではなくってよ?」


 マヌグゥア肉。

 確かマヌグゥアマンモスという巨象の肉だ。

 結構な高級食材だったはず。

 どうやら、彼はそれを落としてしまったらしい。大きな骨付き肉が地面に落ちていた。

 彼が運ばされていたのか、それとも運んでいたところに彼がぶつかったのか――それはわからないが。


「お嬢様、こいつをひん剥いてフェンリ嬢に渡しますか?」

「どうでしょう、あの方は色気より食い気のけだものですもの」

「殿方を差し出せば、代わりにと喰い殺してしまいそう――性的な意味でなく」

「全くですわね、けだものにはもったいないのでは?」

「違いありませんわ。侯爵令嬢とはいえ、養子に入った獣人ですものね」

「地面に落ちた肉も喜んで食べてしまいそうですねもの」


 そう言って女たちは笑う。

 ルルーディア家――七大罪令嬢の一人、フェンリ・ルルーディアの事だろうか。

 自分たちより地位も高いだろうに、こんな風に陰口であざ笑うとか……醜い女たちだな。


「とはいえ――けじめはつけねばなりませんわね」


 そう言った、彼女たちの中心にいる女に俺は心当たりがあった。

 カーマ・ウィ・タッチシザー……先日華々しく戦っていた、鎌鼬令嬢だ。

 あの女がこいつらのボスか。

 そしてその表情を見るに――彼への虐めを、カーマ自身も楽しんでいるようだ。


「……ひっ!」


 少年が怯える。そりゃそうだろう、悪役令嬢だからな。

 その怯える姿をカーマは見て笑い、


「お脱ぎなさいな」


 そう命令した。


「全裸になって土下座なさいな。女への無礼を働いたのです、その程度は当然でしょう?」


 カーマが言う。何が当然だ。トイレの床に落ちた訳じゃ在るまいし、肉なんぞ土を払って洗って焼けば問題ないだろうが。


「きゃあ、流石カーマ様ですわ!」

「その程度ですませるとは、なんとお優しい!」

「貴族令息相手ですものね、命まで取らないとは慈愛にあふれてますわ!」


 取り巻きの女たちが喜びながら笑う。彼は童顔で整っている、美少年だからな。

 自らの下品な好色さを隠そうともしていない。浅ましい奴らだ。

 そもそも、なにが慈愛だ。

 貴族令嬢なんてものはどいつもこいつも、男を弄び苦しめる事しか考えてない。


 だが……仕方ない。

 これがこの世界であり、これが普通――


 あの両親に間違った思想を植え付けられ育てられた、このフィーグ・ラン・スロートがおかしいのだ。


 そして悪いのは、ご令嬢の前で粗相をした彼――


 なに、あの女たちは彼を辱めて、犯したいのだ。それだけだ。

 放っておいても死にはすまいさ。


「……」


 死なないだろう。

 確かに命は奪われない。


 しかし、それだけだ。


 彼の尊厳はどうなる?


 ……いや、何を考えているフィーグ・ラン・スロート。


 こういうことはよくあることだ、今まで何度もあったろう。

 それよりも、この状況を利用する事を考えようじゃないか……。

 ガンマン令嬢を倒した鎌鼬令嬢は強豪だ。伯爵令嬢なので爵位も申し分ない。

 俺の目的のために、このカーマと深い仲になっておくのも悪く無い……。


 彼女たちの怒りを買わないよう、最大限に味方して自分を売り込むのだ。俺の未来の為には、この少年の貞操がどうなろうと知った事ではない。俺も含めて男の価値などその程度しかないのだから。


 方法はこうだ。

 まず彼女と彼の前に進み、そして彼を殴る。殴る時は腹だ。

 そしてその時に「後は任せろ、気絶した振りをしていろ」と告げる。そして殴り倒した後、カーマ達に彼の悪口を喋るのだ。もう彼女たちが彼を汚物を見るような視線で蔑み、視界にも入れたくないように。性病持ちだと言ってもいいな。見るだけで感染る病気だ。

 そしてその上で、俺は味方だと甘い言葉で囁くのだ。そうやって篭絡し、彼女の二番目の魂約者の地位に滑り込む。そして……。


 完璧だ。


 さて、少年はすでに上半身の裸身をさらけ出している。屈辱と羞恥に顔を歪めていた。


「なんですの、その顔は――もっと楽しそうになさい!」


 カーマが手に持っている乗馬鞭を振り上げる。

 頃合いか。

 俺は彼らの前に身を躍らせる。

 そして少年を殴り――


「!?」


 だがしかし、俺の手は、少年を殴るのではなく、カーマの振るった鞭を受け止めていた。


 少年の盾となって。


 ――何を。


(何をやっているんだ、俺は!?)


 俺は彼を殴り、貶めて、そしてカーマの懐に滑り込むのだ。

 目的のために。

 なのに――何をやっているんだ、俺は。


「貴方、何のつもりですの?」


 いや、待て落ち着け。ここからだ。彼を貶め、そしてカーマ達に取り入るのだ。

 さあ――。


「御嬢様、流石にこれはやりすぎではないでしょうか? 貴族令嬢たるもの、寛容の心も必要かと存じますが……」

(何をやっているんだ、俺はぁぁあッ!?)


 ……だが、俺の口は止まらない。

 言わなくていい事を言ってしまう。


「お初にお目にかかります、カーマ様。私の名前はフィーグ・ラン・スロートと申します。以後、お見知り置きを」


 カーマに向かって、俺は慇懃無礼にお辞儀をする。


「……あらまあ」


 カーマが俺を値踏みするような視線で見る。そして……


「ふふふ、面白い男。もしかして、私に喧嘩でも売っているつもりかしら」


 カーマは俺を舐めきったような目で見る。


「まさか」


 俺は、その視線を正面から受け止めた。


「たかが女爵家の令息が、伯爵家令嬢に喧嘩を売るなど……そのような大それた事をするとでも?」


 カーマはそんな俺を見て、くすりと笑う。


「いいわ、貴方。気に入った……ふふ、この私を馬鹿呼ばわりするなんて」


 カーマが俺を見る。その視線には嘲りと侮蔑の色があった。

 いや、馬鹿呼ばわりしていない。そんなこともわからないとは、この女馬鹿じゃないのか。


「しかしまあ、確かに貴方の言う通りかもしれませんわね。確かにやりすぎ、寛容の心は大切。

 ですが、寛容も慈悲も、人間に対してのもの」

「……」


 ああ、嫌な予感がする。確実に間違えたな。


「女性に在らずば、人間に在らず。貴方も仮にも貴族であるならば、御分かりでなくて?」


 そう、その通り。これがこの世界の在り方だ。


「――ははっ」


 思わず、笑いが出る。ああ、そうだその通りだ。


「なるほど、確かにそうですね。ええ、それが貴族の正しい姿――かもしれません。

 我々男子は、立場を弁えねば――」

「ええ、弁えなさい? 男は女に従うもの。それが正しい生き方ですわ」


 そう言ってカーマが笑う。

 このまま話を合わせて……



『――いいかい、フィーグ。貴族というのはな』


 ふと。

 父の言葉が脳裏に蘇る。


『家柄や血筋じゃあない、魂なんだ』


 父はよく言っていた。俺に対して優しく、笑いながら。


『弱き者や女性を守る、強く熱く尊い魂を持つ、誇り高い生き様。それが貴族なんだ』


 そうだ。

 魂だ。


『たとえ貴族と言えど、誇りを持たぬ畜生に落ちてはいけない。お前がお前である事を忘れない限り……お前は何時までも貴族だ』


 カーマの言う事は確かに正しいのだろう。この世界の真実だ。認めよう。

 だけどそれでも――


「しかし、それは」


 言うな。言うんじゃない。言ってしまってはもう止まらない。決定的に、徹底的に――戻れなくなってしまう。


 だけど。

 このまま自分の心を殺して、女に媚びておもねって――

 そうやって生きて何になる。

 そんなの、そんなのは。


「しかしそれは誇りではなくて――ただの傲慢と言うんだよ」


 ああ、言ってしまった。

 だが、もう止まらない。


「貴方、自分が何を言っているか、わかっていますの?」


 周囲の女たちがざわめき、カーマが俺を睨みつける。

 ああ、わかっている。わかっているさ。

 ここで女性――それも悪役令嬢に逆らうなんて馬鹿げている。

 何の益も無い、身の破滅しかない。


 ああ、わかっている!

 だが、それでも――。


「それでも、ここで引き下がれば――お前らに屈すれば、もう俺は」


 父の言う、


「男じゃない――」


 母の言った、


「貴族じゃない。

 お前らと同じ――ただの豚に、なるってな!!」


 俺は叫ぶ。そう、あの優しい父と母に胸を張れないのなら、もう男じゃない!


「――ふ」


 カーマが笑う。


「ふふ、ふふふふふ、あっはははははははは!!!!」


 心底おかしそうに笑う。


「本当に面白い男。いい、いいですわ。

 ねえ、知っているかしら。私――

 貴方のような反骨心溢れる殿方を見ると、その身も心もバラバラに切り刻んで差し上げたくなりますの」


 鎌鼬令嬢カーマ・ウィ・タッチシザーが、全身から殺気を迸らせた。

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