15話  メリークリスマス

カクテルに興味を持ったことはなかった。


当たり前かもしれない。俺は元々お酒が弱いし、そこまで好きでもなかったのだ。


でも、センパイと一緒に暮らし始めてからなんとなく、興味を持つようになった。


そして、センパイに最初に教わったカクテルが、このカルーアミルクだった。



「ふんふん~~」

「………あはっ」



帰宅してお互いお風呂にまで入った後、センパイはリビングのソファーにもたれかかったまま鼻歌を歌っている。


生理中の人が見せる気持ちじゃないような気もするけど、目をつぶることにした。相手が望まないセックスをするつもりはないから。



「できました」

「うん、ありがとう」



カルーアをグラスの4分の1ほど注いで、後はミルクを注ぐだけでできあがる簡単なカクテル。


センパイはそれを受け取って、心底嬉しそうな表情を湛えた。



「美味しいね」

「ですね」

「ちょっと甘すぎなんじゃない?」

「センパイに教わった通りに入れたつもりですが」

「ううん、そうじゃなくて……カルーアミルク自体が甘いから、それが気になったの」



テレビも付けないで、静寂だけが流れるリビングの中。


センパイは、窓の外で降っている粉雪を眺めながら、両手でグラスを持っていた。



「好きじゃないでしたっけ、甘いの」

「コーヒーはブラックだけどね」

「ブラックコーヒーを飲む女の人って珍しいですよね」

「そうかな?私はよく分かんないや」

「……センパイ」

「うん?」

「今日、楽しかったですか?」



その質問を投げかけらて、ようやくセンパイは俺に振り向く。


赤い瞳には、虚無に片足を突っ込んでいるような優しさが滲んでいた。



「……あまり楽しくなかったかも」

「今日の俺がちょっと変だったからですか?」

「だね。いつにも増して生意気だったよ、今日のコウハイ君」

「センパイも、いつにも増して意味不明でした」

「ふふふっ、ごめんね?こんなセンパイで」

「いえ、大丈夫ですよ。もう慣れましたから」

「そっか………」



色んなことがあった一日だったと思う。そして、色んな思いが飛び交った一日でもあった。


センパイが普段なにを考えて生きているのか、俺には到底分からない。


でも、その思考を逆さまにすることで、俺はある一つの事実に気付くことができた。


センパイと一緒に暮らし始めてから、俺はセンパイのことしか考えなくなった。


一緒にいる時間が増えたからか、体を重ねる回数が多くなったからか、もしくは両方か。それは未だに分からないけど。


どうやら、俺はセンパイがいる日常に侵食されてしまったらしい。



「ヤバいね」

「なにがですか?」

「私たち、一緒に暮らし始めてまだ一ヶ月も経ってないんだよ?」

「ですね」

「なのに、ちゃんと同棲しているんだな~って気がして、それで純粋に驚いたの」

「………」

「私、ここまで長続きするとは思わなかったのにな」



センパイはカルーアミルクを一口飲んでから、アルコールでやや赤くなった顔で俺を見上げてくる。


肩が触れ合うほどの近い距離。


ソファーに背を預けている俺たちは、互いを見つめ合っていた。



「……長続きなんですか?一ヶ月も経ってないのに」

「私はね、大体2週間以内でギクシャクし始めて、クリスマス辺りにはなんらかの事件が起こるんじゃないかなって予想してたんだ」

「どうしてそう思ったんですか?」

「私は変な人だからね」



どうやら、センパイにもちゃんと自覚はあったらしい。


ぷふっと噴き出していると、センパイは目を細めて俺を睨む。



「でも、コウハイ君もここまで変な人だったとはさすがに思わなかった」

「お互い様ですね。俺も、センパイがここまでわがままな人間だったとは思いもしませんでした」

「半年以上もセフレしたのに?」

「その半年より、ここ最近の3週間が圧倒的に長かったんですからね。センパイと一緒にいる時間が」

「………………」



センパイはもう一度カルーアミルクを飲んで、言う。



「コウハイ君」

「はい」

「君が変なことさえ言わなければ、私たちはたぶん2年くらいは余裕で一緒にいられると思うよ」

「……………………」

「で、私は最初の約束を守られるの。君の穴を大きくしてあげるって約束を」



コンコン、と。


センパイはいつものように、俺の胸板をノックしてくる。



「変なこと、とは?」

「知ってるのに、そんなことを言うんだ」

「言葉にしなきゃ伝わらないことだってありますからね」

「……………………」



センパイは目を伏せてから、まるで言い聞かせるように次の言葉を放つ。



「君はものなの」

「……………………センパイ」

「だから、人間にならないで。都合のいいおもちゃのままでいて」

「ここで、俺がもし自分のことを人間だと言ったら、どうなりますか?」

「変なことを言ったから、私たちが一緒にいられる日々が減っていく」

「………………」



……この関係の行き着く先を、俺たち二人とも知っている。間違いなく、別れだ。


俺たちみたいに欠陥を抱いている人たちが、セックスでしか温もりを確かめない人種が、いつまでも一緒にいられるとは思えない。


そのいつまでもを実現するためには、色々なことが必要になる。


長年培ってきた思考回路を変えなきゃいけないし、それを変えるためのエネルギーも必要になる。


きっと、しんどい道筋になるだろう。


そして、相手も俺と同じく変わりたいと願わなければ、この関係の結末が変わることはない。



「センパイ」

「うん」

「ウソで現実を塗り固めるのは、間違っているでしょうか」

「…………間違ってないよ」

「俺も、そう思います」



だから、俺たちは感情を隠して、上っ面だけの会話を重ねようとする。


心を殺して、虚無に突っ走っていく。


そのギャップで穴は大きくなり、互いの人生で忘れられない色になる。


それは俺とセンパイが望んでいたことで、それこそが俺たちの結末だった。



「でも」

「………………」

「それが砂の上に建てた城だということも、俺は分かってます」

「………………」



恨めしそうな視線が飛んでくる。


たぶん、この言動こそがセンパイが言った変なことで、一緒にいられる時間を減らす行為だ。


それでも、俺は笑いながら言う。



「センパイが大事じゃないわけじゃないんですから」

「……………」

「そこを汲んでくれたら、嬉しいです」



カルーアミルクを飲み干してから、俺はグラスを2~3度くらい指で弾いて、立ち上がる。



「……知ってる」

「……………」

「本当に、コウハイ君なんて大っ嫌い」



センパイも俺に倣うように立ち上がってから、言う。



「……メリークリスマス、コウハイ君」

「はい、メリークリスマス」



窓の外を飾っていた粉雪は、いつの間にか大雪になっていた。

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