7話  苦いキス

酷い言葉をかけられたとは思う。


全く心が響かなかったかと問われるなら、NOと答えられる。それくらいセンパイの言葉には棘が生えていた。


でも、それこそが俺たちが決めた正しさだ。


そして、この拒絶をそのまま受け入れた時点でもう、俺は正しい道を歩いていると思う。



「キスしようか」



だから、センパイの次の言葉には驚かされてしまった。


本当に、この人の行動には脈絡というものが存在しない。気が向けばキスをして、気が向けばセックスを要求してくる。


センパイは俺がなにを考えているか分からないと言っていたけど、それはこっちのセリフだ。


俺こそ、センパイがなにを考えているのか分からない。



「さっきは酷いことを言ってごめんなさい」

「でも、必要な言葉だったじゃないですか」

「うん、私たちに必要な言葉だったね」



立ち上がったセンパイは俺のアイスコーヒーをぐいっと飲んで。



「うむっ……!?」



そのまま、俺の唇を自分の唇で覆い隠す。


びっくりして体が強張ると同時に、ブラックコーヒーの苦みが口の中を支配する。


コーヒーと一緒に氷が流れ込んできて、目の前にはセンパイのキス顔が見える。


目を閉じて、俺の頬を両手で優しく包んでいて、それでも舌を動かしていて。



『………ああ』



本当に、どうしようもないセンパイだ。そう思いつつ、俺は瞼を閉じる。


舌の熱で氷が溶けていくのを感じると同時に、段々とセンパイの感触が鮮明になっていく。


舌を混ぜたキスは、今まであまりして来なかったキスだ。


いくら行為が激しくなっても、舌を混ぜる激しいキスはしなかった。


俺もセンパイも、約束したかのようにそれを控えていた。



「んん……ちゅっ、んむぅ、れろれろ」

「ちょっ、せんぱ………んん」



センパイの口にあった3個くらいの氷はすっかり解けて、もう俺たちを隔てる冷たさはなくなる。


残るのは熱だけで、だからこそ唇を離すべきだった。


なのに、センパイは俺の首を抱きかかえたまま俺を離さない。



「………………ふぅ、ふぅ」

「………………」



妖しい息遣いが喉元に届いて、体が震えそうになる。気付いたらセンパイはもう、俺の膝に乗っかっていた。


これは、完全に向き合ったままする体位だ。



「………さっきの言葉」

「はい?」

「コウハイ君のことを理解できる自信は、やっぱりないかな」

「……………」



こっちも同じです、と返そうとしたところでまた、センパイの言葉が紡がれる。



「コウハイ君」

「はい」

「今すぐ、私を突き放してくれない?」

「できませんね」



言って目を見開く。さっきのは意識して出た答えじゃなかった。


あの答えは条件反射だった。絶対にできないと、心の芯から零れ出たものだった。



「………………………」

「………………………」



重苦しい沈黙が降って、センパイは俺を精査するようにジッと見つめる。


俺はその視線をよけずに、同じくセンパイを見据える。


本当に、不思議な人だ。


なんの脈絡も存在しなくて、届けられるすべてが嘘っぱちに思える。


体を重ねているその瞬間でさえ、目をつぶったら一瞬で消えてしまいそうなほど、覚束ない人間だ。


現実感が湧かない幽霊みたいな人だ。虚像という単語で成り立っているような人間だ。



「……ごめん」



センパイはやがて俺の膝から降りて、ちゃんと自分の足で立つ。



「たってるの、分かってるけど」

「…………………っ」

「ごめん、今日は無理。ごめん」

「……なんで、謝るんですか」

「……………」



センパイは悲しそうに、顔を歪めるだけだった。


どこで踏み間違えた?そんなことを思うよりも先に、センパイが言う。



「一週間、一緒に住んで分かったことだけど」

「はい」

「私たち、思ってた以上に相性が悪いのかもしれないね」

「…………………」

「…………おやすみ」



センパイはそのまま自分の部屋に戻る。


パタン、と強くドアを閉める音がして、俺は脱力感に苛まれる。



「……はぁ」



……コーヒー、零しちゃったじゃないですか、センパイ。


白いシャツ着てるのにな、全く。

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