25.5

 暑さに思考を奪われる前に、柳の群生地に飛び込む。広さにして、家一軒程度しかないはずの調査範囲。それでも猫の体躯には、宮殿を練り歩くに等しい。


「いや、それは流石に大仰か」


 とはいえ、生前と勝手が異なるのは事実。落ちた枝や小石を避けながら、時計回りに歩を進める。等間隔に生える柳に、“Ⅰ”、“Ⅱ”と目線の位置に数字を刻みながら。


「……しかし本当に、何も見当たらないな」


 良くも悪くも何もない。不法投棄が無いのは、細やかなところまで手入れが行き届いている証左だから良いだろう。だが前後左右、どこに視線を動かしても、鳥はおろか虫すらいないのは、あまりに不自然ではないだろうか。


 唯一変化を感じられるのは、自身が幹に付けてきた、小さな引っ掻き傷のみ。しかしそれがどういう訳か眼前にあり、方向感覚が危うくなっていることに気付く。


『……? 木の根元まで葉が生い茂っている訳でもないのに、二階堂の姿すら見えぬとは』



 彼女の方を振り向き、前を向いた直後。

  突如として

    死を帯びた恐怖に 背中をなぞられる。

      身構える間もなく 自我 が 失わ れ。


 おれ   はここ で    なに     を



『っ――!? しっかりしろ、狼狽えるな! 目印を彫れ! 恐怖に惑わされるな!』


 無い汗腺から冷や汗が垂れる。まるで、何者かに一瞬で脳を支配された気分だ。手近な木に背中を預け、目を閉じ深呼吸をする。


『落ち着け……落ち着け……。この程度の難所、生前幾度となく潜り抜けてきただろう!』


 だのに、何故こうも希死念慮がかき立てられるのか。両頬を叩き、意識を強制的に取り返す。


「……俺が斃れたら、誰が琴音を救うというのだ」


 決意のもと眼を開くと、視界は再び開けていた。


◇◇◇


 気を取り直し、調査を再開する。しかしこれといってめぼしい発見もなく、落胆に耳が垂れた。


「残り5分……そろそろ撤退する頃合いか。神社は見つからなかったが、不可思議な体験が出来ただけ良しとしよう。――ん?」


 ふと俯くと、柳の木の根元が一瞬煌めく。目を凝らすと、浮いた根の隙間に隠れるように、人工の花が咲いていた。手に取り顔に近付けると、懐かしい匂いが仄かに香る。


「これは……琴音のかんざしか?」


 記憶を辿り、琴音の浴衣姿を脳裏に描く。すると案の定、彼女が髪の結び目に挿していたものと一致していた。証拠を動かして良いものか少しばかり悩んだが、手は下に動かない。


「……ひとまず回収しておくか」


 事件解決の鍵になるかもしれない。首輪の隙間に挿し込み、自慢の長い毛で覆い隠す。そして最後にもう一度周囲を確認し、踵を返した。


◇◇◇


 足早に柳を抜けると、懐中時計を握った二階堂に出迎えられる。どうやら刻限寸前だったらしく、畳まれたケージがぴったりと彼女に寄り添っていた。


「お疲れさま。……本当に帰ってこないんじゃないかって、心配してた」

「なに、その時は琴音の母に「道半ばで斃れた」と伝わるだけだ。命を賭せば、失敗したとてなじられはしまい」

「――。それで、神社は見つかった?」

「……いや、何も収獲は得られなかった。期待に添えずすまない」

「……そう。けど、ヨスガが無事で良かった」


 そういうと二階堂はしゃがみ込み、俺の頭を撫でる。


『今まで、彼女に触れられたことがあっただろうか』


 まるで幼子をあやすような、優しくも穏やかな手つき。顔を上げると、彼女は静かに笑う。しかし瞳の奥に活力はなく、どこか不安の色を帯びていた。


『……これ以上の恐怖を味わわせないようにしなければ』


 ――故に。見つけた物を二階堂に報告してはならない。首を掻くフリをしながら、かんざしを一層深く挿し込んだ。


◇◇◇


 喉の渇きを覚えた俺達は、柳の陰で休憩を取る。レジャーシートを敷きコップを傾ける様は、傍から見ればソロキャンプのようだった。


「ヨスガは飲まないの?」

「……ああ。ただでさえ同伴で体力を消耗させているところ、飲料まで乞うのは忍びなくてな」

「ううん、気にしないで。欲しくなったらいつでも言ってね」


 小さく頷き、横目で柳を見る。木の向こう側には確かに川が見え、先程の体験がうつつだったのか分からなくなる。


『俺自身が特異な存在である以上、何が起きても不思議ではないが』


 だからといって、殺意に襲われるとは。思案に耽っていると、目の前に皿が置かれる。


「やっぱりお水飲んで。ぼうっとしてるよ」

「……すまん、恩に着る」


 冷たい水が喉を通る度、火照った脳が落ち着きを取り戻していく。彼女が差し出してくれなければ、今頃誤った発想に雁字搦めになっていたかもしれない。


『それにしても、随分毛が汚れてしまったな』


 駆け回っているうちに付着した、土や木の葉。その有り様は遠目から見れば、やんちゃな犬のように見えるだろう。息抜きついでに毛繕いをしていると、目の前に影が伸びる。


「ふふ、気付かれてしまいました」

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