第25話 猫の手を借り霧を掴む

 長き独白の後。二階堂は伏し目がちに、紅茶に手を伸ばす。そして、空のカップをソーサーに置いた。


「……これが、私の話せる全て」

「……そうか」

「質問はある? 今なら多分、何を聞かれても思い出せる」

「いや、充分だ」

「……。もしかして、警察に話を聞きに行くほうがいい?」

「いや、しなくていい。お前が怪しまれるだけだ」


 「二度目の生――言わばボーナスステージにいる俺とは異なり、お前の人生はまだ始まったばかりだろう。故に、無下にする必要はない」という俺なりの配慮だったのだが、二階堂は眉尻を下げる。


「……思いついたらでいい。私に出来ることがあったら教えて。琴音が目覚めるなら、何だってするから」

「――」


 彼女の眼差しに、在りし日の娘が重なる。……互いが死ぬ前に交わされた、最期の会話のシーンだ。


 それは家が囲まれ、万策尽きていた時のこと。涙を浮かべる娘は、恐らく俺の助けになりたかったのだろう。しかし俺は「危険だ」と、剣を持つ娘の訴えを退け、武具を纏い単身外へ向かったのだ。


『あの時の俺の選択に、間違いは無かった。だが――』


 今回は、どう対処するのが正解なのか。彼女の命が危険に晒される可能性と、俺が単身行動できる限界。静かに目を閉じ、双方を脳内の天秤にかける。


『……未だ、外は猛暑。生前ならともかく、猫の姿では思うように動けないだろうな』


 河川敷は琴音家より遠く、徒歩では困難だろう。加えて、転生初日のように、無駄なトラブルに見舞われる可能性もある。


『治安も良い以上、彼女の申し出はむしろ渡りに船かもしれない』


 彼女の自尊心を傷付けぬ為にも、ここは手を借りるのが正解か。固まった方針が揺らがぬうちに、二階堂の目を見る。


「であれば――俺も河川敷の調査をしたいのだが、随伴願えるか?」

「……! うん、任せて」


 二階堂は控えめに、しかして声色明るく頷いた。


◇◇◇


 そして翌日。俺は空調の効いた猫用ケージに入り、晴れ渡る現場に到着した。リュックを背負う二階堂も、帽子とアームカバーを装備しており、双方ともに万全を期して河川敷に臨む。


『およそ彼女を昏睡させたとは思えない、のどかな河川敷だ』


 遠くから聞こえてくる、野球少年らの掛け声。ひとり楽器を片手に、弾き語りの練習をする青年。複数人で束になり、ランニングを楽しむ女性。比較的涼しい早朝でなければ、この光景は見られなかっただろう。


 彼らを支える、急勾配ながらも整備が行き届いた地面には、背丈の低い雑草がそよいでいる。向こう岸に架かる橋を除き、無駄な人工物は許さないといった様相だ。


『しかし、どこから下りるんだ?』


 辺りに視線を巡らせても、柳の方に向かう階段は見当たらない。すると二階堂は、一直線に伸びた獣道の前で立ち止まる。


『――まさか』


 予感的中。二階堂はケージを持ち上げ、おもむろに獣道を辿り始めた。


「お、おい二階堂!」

「どうかした?」

「怪我をしたらどうするんだ! 俺を降ろせ、自分で歩く!」


 つい先日、体重計が示した数字を思い出す。俺の重さは、あろうことか適正体重ギリギリの値だった。ケージも含めれば、軽く8kgは超えるだろう。しかし二階堂は顔色ひとつ変えず、淡々と下っていく。


「……」


 これは何を言っても聞かない顔だ。下手に暴れれば、かえって彼女の身に傷を負わせかねない。そう判断し、大人しく身を委ねる。


◇◇◇


 心休まらぬ数分間が経過し、ようやく地面の感触がケージ越しに伝わる。安堵のため息をつくと、飄々とした声が降ってきた。


「ほら、平気だったでしょ?」

「あ、ああ。助かった。さながら、母に抱かれたような安心感があった」


 誇らしげな彼女を褒め称え、あらためてを見据える。おどろおどろしい風貌かと思えば、むしろ風になびく柳が涼しげで、思わず駆け寄りたくなった。そんなことを思いながら眺めていると、二階堂は「何か分かったか」と聞きたげに首を傾げる。


「いや――俺にも、ただの柳の群生地にしか見えん。少し、内部の様子を確かめてきても良いか?」

「うん」


 ケージから降り、草を踏みしめる。肉球から伝わる感触が、妙にこそばゆい。


「すまんが、二階堂は此処で待機していてくれ。20分経っても戻らなければ、自宅に帰還を願いたい」

「……分かった」

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