21.5

 そうして俺達は、キャッチボールまがいの遊びを開始した。レイは全身を使って手毬に飛びつき、俺のいない方へと手毬を転がす。一方俺も加減しながら、彼女が守っていない位置に手毬を転がしていく。


「中々やるではないか。よし、少しスピードを上げるぞ。覚悟はできているな?」

「ニャ!」

「良いぞ、その調子だ!」

「ニャニャン! ニャ――」


 しかし何往復か続いた後、レイの手からこぼれた手毬はソファーの横を通過し、テレビの下へ入り込んでしまった。率先して向かったレイは、テレビと壁の隙間に興奮気味に手を伸ばす。一見すると、活気に溢れる仔猫の後ろ姿。しかし感じた些細な違和感に、俺も現場に歩み寄る。


「どうした? 壁を傷つけてはならん、ぞ――」


 振り返ったレイが咥えていたのは、手毬ではなく。黒く艷やかな身体をもつ、一匹の虫だった。


「な……何だそれは」


 初めて見る生物だが、得体の知れない嫌悪に毛が逆立つ。伸びた触角は、ダウジングマシンのようにソワソワと空を探り。絶妙にたくましい脚は、彼女の口から逃げ出さんとしきりに動かしている。


『毒は無いのか? 攻撃性は低いのか? いや、それより――何故平然としていられる?』


 呆気にとられていると、レイはしたり顔で虫を押し付けようとする。


「ンー」

「ま、待て! 近づけるな!」

「ンー?」

「――っ、よ……良くやった、レイ! 褒美の特上ピューレがある、堪能するためにもそいつを逃がすぞ!」


 住まいに虫がいるのは衛生上宜しくない。そして何より、愛娘が虫を咥えているショックが大きすぎる。急ぎ窓の鍵を開けていると、ビニール袋を提げた琴音が現れる。


「ふたりともただいま――……ああああ!?」

「琴音! 丁度良い、窓を開け」

「無理無理無理無理待ってお母さーん! ヤバい、ゴキ! ゴキ出た!!」

「ふう……まったく、大袈裟なんだから。やっておくから、代わりに買ったのしまってくれる?」


 落ち着き払う琴音の母は、買い物袋を冷蔵庫のそばに置き、武器を手に取る。右手にホウキ、左手にスプレー缶を構える様は、幾多の戦場を切り抜けたベテラン戦士の如き佇まいだ。


 そうして俺達は、部屋の隅で身を寄せ合いながら、一騎打ちの行く末を見守った。


◇◇◇


 無事決着がついたのを見届けた俺達は、何となくいたたまれず琴音の部屋に引っ込んでいた。レイが手毬と戯れているのを横目に、琴音は困ったように笑う。


「あははっ、ヨスガも大変だったね」

「笑い事ではない。琴音母彼女がいなければ、今頃部屋は荒れ果てていただろう。しかし……よもや虫を押し付けられるとは思わなんだ」

「あれね、“猫あるある”らしいよ」

「そうなのか?」

「うん。猫の祖先は狩りをしてたから、虫やネズミを捕まえるのもその名残りだって言われてるみたい」

「成程。だがいくら本能とはいえ、以降は御免被りたいな」

「だねぇ」


 聞けばゴキブリは、滅多に現れないらしい。そのためレイをリビングに呼ばないのではなく、徹底した対策をとるという結論に落ち着いた。琴音はカップから紅茶を一口飲むと、神妙な面持ちで俺を見つめる。


「それにしても、ヨスガはあんま猫っぽくないよね。そもそも猫じゃないけど、レイちゃんみたいに本格的じゃないというか」

「ああ、その点については俺も気になっている。俺も猫化する可能性がある以上、早急に対策を講じるべきだが……いかんせん原因が分からん。確かなのは、彼女に前世の記憶がほとんど残っていないということだけだ」


 まさか「俺も記憶が日に日に薄れている」とは言えず、適当にはぐらかす。すると琴音は、唐突に両手を合わせる。


「なら、家族の思い出話を聞かせてあげるのはどう? もし“前世の記憶”が鍵だとしたら、ヨスガの猫化対策にもなるんじゃないかな」

「そうだな、試してみるか」

「うん! ふふっ、今日はヨスガより先に良い案思いついちゃった〜」


 彼女の言う通り、こと作戦においては俺が毎回方針を決めていた。しかし今日は不思議とすぐには思いつかず、珍しく従う形となった。既に俺の知能も猫に近付きつつあるのだろうか。悔しさを滲ませぬよう、端的に答える。


「では早速始めるとしよう。琴音、準備はいいか?」

「ぷりーずじゃすたーもーめんと、30秒で支度する!」


 琴音は意欲満々と返事をすると、ノートを引っ張りだし、書記の如くペンを構えた。一方で俺はレイの頭に手を置き、彼女の興味を促す。


「さて……レイ。今日は趣向を変え、朗読会を開くぞ」

「ミャ?」

「お前は絵本が好きだったろう。たまにはパパの読み聞かせでも楽しんでみないか?」

「ニャン!」

「良い返事だ。……ごほん。昔むかしあるところに、4人の家族が住んでいました――」

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