6.5

 耳馴染みがない単語に、思わず聞き返す。


「ねこ……モデル? 何だそれは」

「猫のモデル。採用されれば賞金も貰えるみたいだし、ヨスガもチャレンジしてみない?」

「ほう、いくらだ?」


 “賞金”の二文字に俄然興味が湧き、ベッドの縁に前脚を乗せる。すると琴音はいそいそと近寄り、耳打ちで答える。


「なんと5万円。これはすっごく大金でね、わたしのバイト代50時間分くらいに相当します」

「よし、受けて立とう」

「やった! ヨスガならそう言ってくれると思った。じゃあ明日、応募してくるね!」

「ああ、頼む」


 自分の食い扶持を稼げる機会ならば、参戦しない手はあるまい。悪代官の如く笑う琴音を尻目に、オレは壁際に追いやられた姿見へ駆け寄る。


『……モデルか。宣伝というからには飾るに相応しい、絵画のようなポーズを求められるに違いあるまい』


 四足歩行でも可能な、かつ民衆の目を奪う躍動感のあるポーズを考える。しかしそれは、姿見に到着するや否や儚く砕け散った。


「な――馬鹿な、獅子のように凛々しい見目をした獣ではなかったのか!?」

「……いや、“猫だ”って最初会ったときに言ったじゃん。あとどっちかっていうと、ノルウェージャン寄りだと思う」


 半ば呆れたような声が聞こえてきたが、脳には届かず。オレはただ、眼前の毛むくじゃらの生き物を瞳に写す。


「そうか……。オレはこんな姿だったのか……」


 衝撃に揺れる頭を抱え、床に伏せる。いや、昨日から薄々感じてはいたのだ。恐らく琴音以外には、声の威圧すら伝わっていないのだろうと。


 そうしてオレは初めて、“愛らしい自身”に打ちひしがれた。


◇◇◇


 翌日。エントランス――もとい玄関のドアの隙間からは、程よい暖かさが忍び込む。俺は睡魔に目蓋を閉じかけていたが、制服姿の琴音はスクールバッグを肩に掛け、満面の笑みでこちらに手を振っていた。


「それじゃ、行ってきまーす! お留守番よろしくね!」

「ああ。道中気を抜くなよ」


 今日はどうにか起床し、琴音を見送ることができた。俺と異なり、彼女は朝に強いらしい。朝を告げるベルの音とともに飛び起きたかと思えば、瞬く間に身支度を済ませていた。


『……羨ましい限りだ。もっとも、今はさほど起床時刻を気にする必要はないが』


 生前は大変だった。何しろ世話役に毎朝叩き起こされては、機嫌の悪さに迷惑をかけていたのだ。そこから芋づる式に思い出すは、持ち前の人相の悪さと相まって、恐怖をも与えていた後ろめたい過去。


『だがそれも、猫になったら呆気なく解決してしまった』


 猫というのは不思議なもので。如何に睨みを効かせようと、畏怖の念の欠片も与えられない。それどころか、かえって人々を魅了してしまうようだった。


「それにしても、再び手持ち無沙汰になってしまったな」


 昨日と同じ行動パターンであれば、琴音の帰宅は19時頃。つまり俺は、あと半日ほど暇もて余すことになる。


『……落ち着かん』


 生前であれば、目まぐるしく過ぎていった時間。しかし今は、為すべきこともなければ責任もない。渇望していた休暇といえど、妻子もいなければ意味を成さない。


『今日は琴音母も一日不在ともなれば、外の情報を得ることも出来ん。さて、どうしたものか……』


 玄関からいい加減背を向け、あてもなく彷徨うことにする。とはいえ一階には部屋が4つあり、二階や庭も含めれば、それなりに充実した時を過ごせそうだった。まずは周囲を見渡し、最初の収穫を得ようと試みる。


『――む。あれは何だ?』


 すると早速、手頃な調査対象が目に留まる。


 それは玄関の靴棚の上に飾られた、色彩豊かなボールたちだった。飛び乗って間近で見れば、花に似た繊細な模様は、感嘆の息を漏らすほど美しい。


『……ん? ただの布製かと思ったが、これはもしや糸で作られているのか?』


 大きさにして猫の手程のものが5つ。箱の中に、横一列に収納されている。てらてらとした糸が一本一本丁寧に巻かれており、ひと目で職人の魂を感じられた。


「生前は世界各地の装飾品を集めたものだが、このような美品は初めて見る。シルクをふんだんに使用しているところからして、さぞ高価なものなのだろうが……警らもいないエントランスに飾るとは、いささか無用心ではないか?」


 苦言を呈しながらも、素直に堪能する。いや――不思議と目が離せなかった。今すぐにでも箱を壊し、ボールと戯れたくて仕方がない。この衝動も、猫の本能なのだろうか。


「……折を見て、琴音に訊ねてみるか」

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