第32話 泡沫の夢にかんざしを

「ナ~……」


 隣では、何も知らないエマも項垂れている。覚悟を決めて来たつもりだった。だのに、いざ状況に直面すると動悸が収まらない。それでも腹を据え直し、面と向かって口火を切る。


「……琴音、聞こえるか。俺は今から、お前が目覚める手助けを行う。だから……少しでも効いていたら、反応してくれ」


 エマの手を、琴音の手に乗せる。次いで首もとからかんざしを引き抜き、咥えたまま、自身の額を彼女の額に重ねる。


『……頼む』


 この方法が正しいかは分からない。しかし、これ以外の策が浮かばない。故に目蓋を閉じ、伝わる熱に祈りを籠める。


『……琴音。お前はまだ、人生を謳歌しきれていないだろう。夢を描き、苦楽に胸を満たしていないだろう?』


 呼吸をするのも忘れ、ひたすら祈り続ける。共に歩んできた半年間。それら全ての記憶を注ぎ、眠りから手を引き呼び醒ますように。


『お前が眠っている間、俺は知らなかったことを幾つも学んで触れた。……だが、それだけだ。“思い出”として残らなければ、母も心労にやつれるばかりだ』


 転生当初こそ家族との再会を生き甲斐にしていたが、今や琴音の存在も等しく大きくなり。目的を捨てられはしないが、琴音の人生を見届けたいという我儘も生まれていた。


『琴音、お前の人生はまだ終わらせてはならん。人に臆して躊躇っているのならば、俺が支えてやる。だから、どうか――!』


 歯を食いしばった、その刹那。僅かな吐息が髭を揺らす。


「琴音!?」



 顔を上げるも、琴音は変わらず眠っている。先の反応は気の所為だったのだろうか。目線を落とし変化を探ろうとしたが、足音が近付いてきた。


「あら、坊や。こんなところで何をしてるの?」

「あ――いや、えっと……ここに、お姉ちゃんが寝てるんです」

「そうなの。わざわざお見舞いだなんて偉いわね」

「はは……」


 どうやら、看護師の女がやって来たらしい。カーテンに越しに始まった、挨拶という名の誘導尋問。小鳥遊弟の奮闘に期待しつつ、息を殺し聞き耳を立てる。


「……でもおかしいわね。新城さんにご兄弟はいなかったはずだけど」

「! いや、ちがくて――いとこ! いとこなんです!」

「あははっ、慌てさせてごめんね。最近不審者が現れたとかで、院内警戒中なの。きみは――よかった、ちゃんと入館許可証持ってるね」


 ようやく看護師の緊張が緩んだらしく、部屋には朗らかな空気が漂い始める。しかし――「このまま立ち去ってくれ」と願った数秒後。エマが足を滑らせ、床に落ちた。


「あら? 他にもご家族の方がいるの?」

「あっ、えっと……! いるけどいないっていうか! その……トイレに行ってます! 花びんがグラグラするから、水を持ってくるって!」

「――だから入り口で待ってるの?」

「あ、ああ!」

「……」


 一転して、不信感に靴を鳴らす看護師。迫りくる音はエマの不安を煽り、彼女は脱兎の如くベッドの下に潜り込んだ。その最中、小鳥遊弟は懇願ともとれる停止を呼び掛ける。


「ほ、ホントだって! 今呼んでくるから! だからそっちに行かな――」


 だが、少年の説得も虚しく。目の前のカーテンは、音を立ててレールを滑った。暫く訪れる沈黙。だが看護師は、溜め息を吐くとつま先を背ける。


「……。ごめんね、新城さんの様子が気になっちゃって。私はもう行くけど、坊やもほどほどにね」

「は、はーい」


 そうして立ち止まっていた靴は、渋々遠ざかっていった。それから少しの間を置いて、小鳥遊弟がカーテンの隙間から現れる。


「……はあ〜……マジで死ぬかと思った。お前、よく見つかんなかったな」

「ニャ」

「あー、ベッドの下か。そりゃそこまで見ないよな――って、もういいのか?」

「ニャン」


 「看護師が戻ってくる前に引き上げるぞ」。首を傾げる彼をよそに、エマをリュックに誘導する。そして自身も、ボストンバッグに足を入れた。

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