第29話 スキャットにまろぶ相貌
俺はひとり曇天の下、柳の森の前にいた。今日は平日のためか、人通りはほとんどない。更に普段より気温も低く、まさに絶好の探索日和だった。
「くぁ……」
疲労からくる若干の眠気に、欠伸が一つ零れる。だがタイムリミットは、琴音の母が帰宅する13時。往復の時間も考慮すれば、仮眠は一秒たりとも許されない。
『さて、早速始めるか』
かんざしが首もとにあることを確認し、柳の森に突入する。
◇◇◇
先日読んだ、学校行事の案内書き。あれは、俺の腑抜けた根性を叩き直してくれた。
――「琴音を救う」。そうぬかしておきながら、俺は今に至るまで、全く成果を上げていない。それは何故か? 身体が猫だからでも、見知らぬ土地だからでもない。……俺が勝手に、「ひと月程度かかっても平気だろう」と高を括っていたからだ。
しかし、それは浅慮だった。この世界――もとい、琴音の属する社会の一日は極めて重く、無駄にすれば発狂する者も少なくないらしい。
◇◇◇
湿った土に不快感を覚えながら、自身を鼓舞する。
『……ふむ。今日は思考がクリアだ。これも“御守り”のおかげだろうな』
聞けばこのかんざし、厄除けの効果があるという。“難転”――つまり、難を転ずることが可能だと。その由来は言葉遊びだと琴音の母は自嘲していたが、俺にはそう思えなかった。
『俺には……琴音が
皮肉に護られながら、剥がれかけた数字を追っていく。Ⅰ、Ⅱ、二つ飛んでⅤ。落ちた樹皮を見つける度、心臓から悔しさが滴り歯を食いしばった。
◇◇◇
だが、その後も目ぼしい収穫は無く。辛うじてくっついている数字に手を置き、大きく息を吐く。
「……これで13番目か。くそっ、何故何も見つからん!」
前回と同様に木の根を覗くも、かんざしはおろか葉っぱの一枚すら残されていない。一方で、声を荒げる俺を滑稽に思ったのか、嘲笑うように柳はさざめく。
『ここに来てどのくらい経つ? 二巡目は可能か? いや――そもそも、この空間はいつまで維持される?』
「時間が無い」。唆された焦りに、拳を作った矢先。突如として、視界は不自然な霧に襲われる。
「何だ!? ――っ」
催涙ガスか毒ガスか、はたまた俺を弄ぶ煙幕か。咄嗟に地に伏せ息を止めるも、逆風に活路を見いだせない。
『息が……だが、諦めてたまるか……!』
手探りで根を見つけ、本体に爪を立てる。そして一気に駆け登ろうとしたのだが、やはり無呼吸では難しく。中程にもいかぬところで、俺は墜落した。
◇◇◇
しかし背中は痛まず。それどころか、羽毛に包まれたような感覚に目を開ける。すると視界は澄み渡り、立ち上がった先には神社が佇んでいた。
「本当に……存在していたのか」
振り返ると、巨大な鳥居が両手を広げているのが見える。だが昼間だからか、二階堂達が言っていたような輝きはない。
『生前通っていた祠を思い出すな。もっとも、あれは岩陰に隠れるほど小さかったが』
石畳の上を歩きながら、神社に近寄る。その心情は、さながら決戦の地に赴く兵士の気分だった。さりとて冷静に、人の胴程ある縄を見上げ、“賽銭箱”と書かれた箱の横を過ぎ、階段を上る。そして間もなく現れた、扉に手をつき部屋を覗く。
『この時ばかりは猫で助かった』
猫目故に、部屋が暗くとも中の様子が鮮明に映る。早速端から端まで視線を動かすと、奥に茶色い物体が一つだけあるのが見えた。そこそこ大きく得体が知れないが、かといって不穏な気配もない。
「中に入り、確かめるよりほかないか。……しかしどうしたものか。鍵なんか持っていないぞ」
行く手を阻む錆びた錠前。自前の爪を捩じ込むのは難しく、かと言って即席で合い鍵を作ることも、破壊するのも不可能に見えた。さりとて引き返すのも惜しい。思わぬ壁に頭を悩ませていると、かんざしが音を立てて床に落ちる。
「……これで開けろというのか?」
まるで神の導きのようだ。静かな高揚を覚えながら、かんざしを横向きに咥え、先端を鍵穴に挿し込む。すると、カチッという音とともに錠前が外れた。
「ははっ。……冗談のつもりだったんだがな」
とはいえ助かった。かんざしを首輪の隙間に挿し戻し、両手で扉を開ける。瞬間、ひやりとした空気が招き入れるように毛を撫でた。思わず目を細めながら、部屋の奥を見据える。
「……あれは!」
多少の埃っぽさ、床の冷たさすら厭わず、眼前の毛玉に駆け寄り触れる。調査対象に設定した、茶色い物体。――それは、身体を丸めて眠る生きた猫だった。
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