第8話 好奇心は猫を

 しかし琴音は、不思議そうな顔で答える。


「え? そんなことないよ。野良猫はもちろん外にいるし、飼われてる猫も外に出てたりするし」

「な――」

「な?」

「何故それをもっと早く言わんのだ! てっきり俺は、家を離れれば即狩られるのかと思い――この一週間、幽閉を甘んじて受け入れたんだぞ!?」


 全身の毛を逆立てて行う、年甲斐もない抗議。しかし何かがツボに入ったのか、琴音は笑いながらクッションを盾にする。


「ご、ごめんってば! でも、飼い猫はあんま外に出しちゃいけないっていうのもホントなんだって!」

「ほう。何か条件があるのか?」

「え〜っ、と……。ちょっと見てみるね」

「今調べるのか……」


 クッションを抱えたままスマホをつつく琴音。やがて画面を凝視すると、声だけを俺に向ける。


「んーとね、帰ってこれなくなっちゃったり、病気やケガのリスクがあるからだって。あと、そもそもお散歩が必要ないっていうのも書いてある」

「成程。相応の理由があるのだな」


 だが俺は外見こそ猫そのものだが、その実精神はれっきとした人間だ。土地勘や情報不足こそあれ、琴音の言う事態が起こる可能性は低い。


「そ。だから――」


 すると琴音は机に向かい、一本のサファイアブルーのタイを手に取り戻ってくる。


「これで不安を解消しておこうかなって」

「それは何だ?」

「“迷子札”って言ってね、着けてる子の情報が書いてあるものなの。アクセサリーみたいでかわいいでしょ?」


 丸い金色のプレート。その表には“Yosuga”、そして裏には11桁の数字が刻印されていた。「要はドッグタグか」と納得し、早速琴音に装着を頼む。


 首もとで揺れる、外出許可書。俺を姿見まで連れていくと、琴音は満足そうに親指を立てる。


「――うん、バッチリ! さすがヨスガ、似合ってるよ!」

「フッ、当然だ」


 何を隠そう、サファイアブルーは生前好んで纏っていた色。いくら転生したとはいえ、着こなせない訳がない。


「これで外出は許されたか?」

「もちろん!」


◇◇◇


 そうして俺は琴音とともに、数日振りの外出を開始する。……否、キャリーケージに入れられ運ばれている。車輪が四隅に付いた、正体不明の素材で作られた箱。


『それにしても、興味深い素材だ』


 金属でもなければ紙でもなく、程よく頑丈な軽い“何か”。その未知なる感触に爪を立てていると、心苦しげな声が降ってくる。


「ごめんね、なるべく揺らさないように歩くから」

「いや、こちらこそすまない。疲れたら無理せず休んでくれ」


 想像と異なるが、悲願が叶ったことに変わりはない。鉄の柵に顔を近付け、流れる景色を注視する。舗装された道に、道中を彩る花や木々。ここまで聞けば、みやこのような風景を思い浮かべるかもしれない。


 ――しかし実際は。華々しさが霞んでしまうほど、辺りは喧騒に塗れており。おまけに大気も淀んでいるため、軽く咳が出た。だが行き交う人々は緊張感もなく、今日の予定を駄弁っている。


『……見れば見るほど、文明が進んだ社会の脅威が骨身に染みるな』


 すると何かを察したのか、マスクをした琴音は小声で説明を始める。


「あちこちに建ってる高い建物は、“ビル”っていってね。沢山の人が住んだり働いてるところなんだ。あ、色んなお店が入ってたりもするよ」

「様々な用途があるんだな」


 ひしめき合うビルは空を覆い、少々不気味だ。生前読んだ塔の寓話を思い出しながら、手頃な問い掛けをする。


「かなりの高さがあるが、階段で移動するのか?」

「ううん、エレベーターっていう乗り物で移動するの」

「エレベーター……? 何だそれは、馬の名か?」

「んー、なんて言ったらいいんだろ……馬のいない馬車が、人を乗せて上下する感じ?」

「なん、だと――」


 げに恐ろしき技術力。よもや、生物の力を借りずに移動を成し遂げるとは。だが不思議と、畏怖の念より好奇心が勝る。


「時に、猫モ会場にエレベーターはあるのか?」

「うん、あるよ。乗りたい?」

「ああ。生前では味わえなかったからな」

「おっけー! ――そうだ、ちょっと道変えてもいい?」

「?」


 ……軽率な発言が、更なる混沌を引き寄せることになるとは。この時の俺は、まるで察知できていなかった。

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