第5話 親の心子知らず
翌朝、目が覚めた時に琴音はおらず。代わりに手紙と水の注がれた深皿とサンドイッチが、ローテーブルの上に残されていた。
《ヨスガへ 朝ごはん置いとくね 夕方には帰ってくるから、それまで待っててね》
『わざわざ、オレの手の届く高さのテーブルを用意してくれたのか』
手紙を折り畳むと、サンドイッチを覆う透明な膜を剥がす。野菜と肉が彩りよく挟まれており、ひと口齧れば食感や味にもメリハリがある、文句なしの逸品だった。
「……美味い」
どうやら味覚は人間だった頃と変わらないようで、いわゆる“猫の餌”を提供しない琴音に感謝しながら食べ進める。
『……昨夜は頭ごなしに否定し過ぎたな。帰宅したら謝罪と礼をせねば』
口もとをティッシュペーパーで拭い、窓を眺める。鳥のさえずりが聞こえる今日も、変わらず快晴のようだ。
「……しかし暇だな。窓を開けて外に飛び出したいところだが」
無断外出は流石に気が引ける。計画を変更し、琴音の家を散策することにした。
◇◇◇
階段を下り、廊下をリズムよく歩く。すると早速、琴音の母親に遭遇した。エプロン姿の彼女は、少しぎこちなく笑みを浮かべる。
「あら、ヨスガくんおはよう。ゆうべはよく寝られた?」
「……ニャー」
「ふふ、お返事してくれるだなんて賢い子じゃない。……ねえ、もし時間があるなら、少しだけお話に付き合ってくれない?」
「ニャ」
既にオレの名を教えた後なのか。「構わんぞ」と頷き、彼女の後に続く。
◇◇◇
案内されたのは、庭を一望できるリビングだった。シンクに近い場所には、1台のテーブルと4脚の椅子が設置されている。
「はい、どうぞ」
椅子に乗ったオレに差し出されたのは、皿に載ったケーキだった。イチゴをひと粒アクセントに、純白の生クリームを纏っている。首を傾げていると、彼女が言葉を付け足す。
「昨日は見苦しいところを見せちゃってごめんなさいね。これはそのお詫びよ」
「ナー?」
「あら、食べられるか気にしているのね。でもそのケーキは大丈夫よ。ペットショップで買ってきた、ねこも食べられるお菓子だから」
そんなものもあるのか。であれば、受け取らねば無礼というもの。
「ニャムニャム」
鼻にクリームをつけながら、少しずつ堪能していく。すると女性も紅茶をひと口飲み、おもむろに話し出す。
「……今朝ね、娘と色々話したの。あなたとどこで出会って、どうして連れてきたのか。そして、今後どんなふうに接していくのかを」
「ヌ?」
「ふふっ、やっぱり私にはただのねこの鳴き声にしか聞こえないわ。あのね、あの子ったら面白いの」
彼女は穏やかに語る。オレが実は何処か異なる世界から生まれ変わってやってきた、元人間だと。その証拠に鳴き声が壮年の男の声に聞こえ、実際に会話ができると。
「最初はもちろん信じられなかったわ。でも……こうしてふたりきりでお話ししたら、何となくだけど私にも伝わってきた。だって本物のねこちゃんだったら、こんなふうに耳を傾けて相槌打つなんてできないもの」
「ニャア」
「でね。全部を聞いたうえで、「このあとはどうするの?」ってもう一度確認したの。そしたら琴音はこう言ったわ」
「ヨスガは奥さんと子供を探してるの。同じように生まれ変われてるか分かんないし、会えるとも限らないみたいだけど……。それでも、まったくのゼロじゃない。だからわたしは、それを叶えられるまでヨスガを支えたい」
……琴音はそんなことを言っていたのか。目を伏せると、母親は茶化すように笑う。
「ふふ、あなたってば罪なひとね。ねこの姿で初恋を奪っちゃうんだもの」
「ヌー?」
「何でそう思うかって? 実はあの子、男の人が苦手なの。小学生の頃は普通に遊んでたんだけど、中学生の時に嫌な目にあっちゃったみたいで。それ以降、ずっと女の子としか遊んでないの。でもここでヨスガくんが頑張ってくれたら、きっとあの子も変われるわ」
「厶……。ニャニャア」
「それは気の毒だが……。恐らく琴音は好意を抱いている訳ではなく、理想の男をオレに当てはめているだけだ」。届かぬ反論を訴えると、母親はオレの頭を撫でる。
「だから責任を取って、琴音のことよろしくね」
「ナー」
「理由が少々強引だが、まあ仕方あるまい」。もとより彼女により助けられた命、受けた恩を返すくらい安いものだ。どの道、琴音の願いを叶える協約も達成しなければならない。
「ふふ、ありがとう。そうと決まったら、もっとあの子のことを知ってもらわなくっちゃ。アルバムを持ってくるから、少しだけ待っててくれる?」
「ニャア」
そうしてオレは彼女の気が済むまで、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます