聖女の恋と英雄譚 ──聖女は皇子よりも王子様な叔父様に恋をする

神矢みか

帝都編

序章 いざ舞踏会へ

  勇敢な王子様は命がけで魔物と戦って、愛する姫君を助け出しました。

  姫君も自分のために戦ってくれた王子様に恋をします。

  やがて二人は国中の祝福を受けて結婚し、末長く幸せに暮らしました――


 小さい頃、母に読み聞かせられた童話。王子様と姫君の物語が大好きで、子供ながらに憧れて、ずっと夢見ていた。

 自分も、王子様のような素敵な男性と恋をして、愛し合って幸せな結婚をするのだと。


 七歳の時、憧れた王子様のような人に出会った。幼いながらに恋をした。ずっと想い続けて来た。何年経っても想いは変わらなかった。だから、その人との結婚以外考えたことがなかった。

 十五歳になって聖女であることが判明し、皇帝の勅命により皇子と婚約させられるまでは──

 



 「本当にお美しいですわ、さすがは帝国の白薔薇と謳われるお嬢様……」


 数人がかりで仕度を手伝っていた侍女たちが、溜め息混じりにうっとりと自らが仕える年若い主人を見つめる。


 神聖帝国アーカンシェルの四大公爵家筆頭、ブランシュ公爵家の令嬢ロザリアは、姿見に映る自らの盛装姿を仕方なく見やる。

 銀糸の刺繍がふんだんに施された純白を基調とし、青紫を多めに配した清楚だが豪奢なドレスは、ハーフアップに結い上げた白銀の髪に良く映えた。


 侍女たちの熟練の技術と公爵家の贅を存分に凝らし、この上なく美しく磨き上げられてはいるものの、ロザリアの心は少しも弾まない。


 帝国貴族学院での最大行事とも言える卒業記念舞踏会。その開始時刻までにさほど時間は残されていないというのに、未だにロザリアをエスコートすべきパートナーは決まっていなかった。


 本来ならば婚約者がその任に当たるものだが、当の婚約者である帝国唯一の皇子ジュリアスが、なんの前触れもなく舞踏会への同伴を断る使者を送って寄越したのは、当日の今日になってから。それも昼をかなり回ってからのことである。


 卒業生の皇子より一学年下ではあるが、舞踏会は在校生も全員参加が義務付けられている。直前になっての連絡は、嫌がらせ以外の何ものでもなかった。

 この短時間で、格に見合った相応しいパートナーを見つけるのは容易いことではない。


 婚約者がおらず適当なパートナーが見つからない者は、身内が同伴することが通例でもある。だが、ブランシュ家にはパートナーを務められる者がいなかった。


 父は公務で来賓として出席することになっており、ロザリアには兄弟も従兄弟もいない。

 父の年の離れた義弟、つまりは血の繋がらない叔父がいるが、二年前に帝国騎士団から国教である神聖教会所属の聖騎士団に移籍し、帝都を遠く離れた聖地に赴任していた。


『もっと早くに分かっていれば、叔父様にお願いできたのに……』


 大好きな叔父レオンが来てくれたなら、どんなにか心強かったか。時間さえあれば、ロザリアを誰よりも大切にしてくれている叔父のこと、何を置いても駆けつけてくれたことだろう。そう思うと残念で堪らない。


 皇子の心無い仕打ちに、ブランシュ家が大騒ぎになったかと言えば、実はそうでもなかった。知らせを聞いても全く動じなかった父、ブランシュ公爵の指示があったからである。


 父レナートは娘のドレスと装飾品の色合いだけを指定して、予定通りに支度するよう家門に命じ、自分は予定より早く出掛けて行った。

 そんな家長の命に、執事以下侍女たちは通常通り――いや、過剰に気合いを入れて令嬢の支度に取り組み始めた。


 使者が来てからというもの、ずっと目に見えて機嫌が悪かったのは、母である公爵夫人のアナマリアくらいのものである。

 母は淑女の中の淑女らしく、対外的には微塵もそんな素振りは見せないが、大の皇族嫌いであった。


 エスコートを断られた当のロザリアは、特に怒るでもなく嘆くでもなく、ただ失望していた。

 この二年の間、自分に向けられた心無い言葉や態度に最初は驚いたものの、すぐに諦めて淑女らしく淡々と流してきた。皇子に対して、元々何の期待すらしていない。


 それでも、私的な場ではどのように扱おうと、公的な場では一応は何とか婚約者として取り繕っていた皇子が、帝国の貴族子女が重きをおく学院の卒業記念舞踏会で、まさかこのような礼を失した行いをしてくるとは思ってもみなかった。


 卒業生である皇子が出席しない訳はない。婚約者ではない者をパートナーとして出席し、本来の婚約者であるロザリアが出席できないように、敢えて当日の午後に連絡を寄越すなど、淑女に対して恥をかかせる目的以外にあり得ない。


「本当に……なんて心根の卑しい方なんでしょう。リアをなんだと思っているのかしら。学院を卒業すると言うのに、未だに皇嗣として認められないのも道理だわ」


 母は怒り狂って散々皇子を罵倒した後、娘が不憫だと泣き出した。仕度に差し障るからと、侍女長に宥めすかされて連れ出されて行って、既に数時間は経っている。


 そうして、帝国の白薔薇と讃えられる美貌を更に磨き上げられ、公爵令嬢としての盛装は完璧に仕上がったが、ロザリアはただ座って待つ以外になかった。


『お父様……どなたにお願いするつもりでいらっしゃるのかしら。我が家の格に見合うお相手で、軋轢の生じない方なんて、そうそう簡単には見つからないと思うのだけど……』


 仕度が整ってから既に一時間は経とうとしている。美しく着付けられた衣装を乱さないために、自室だと言うのにソファで寛ぐこともできず、背もたれのない椅子にずっと姿勢を正して座っているのは、気鬱も相まって少々辛い。


 ロザリアが大きな窓に目を向けると、空は赤く染まり始めていた。やがて室内は薄闇へと変わり、侍女が明かりを灯していく。そろそろ家を出なければ、舞踏会の入場に間に合わない。


 自分よりも、侍女たちの方がやきもきしているように見えた。正直なところ、ロザリアにとっては自分の卒業ではないのだから、舞踏会への出席自体はどうでも良かった。


「ただの舞踏会なら喜んで欠席するのだけど――」


 そうもいかない。今日この日のために、ロザリアは親しい友人と共に、長いことかけて準備してきたのだ。自分を蔑ろにする皇子を弾劾し、婚約を解消するために。

 その最も最適と思える場が、卒業する皇子が主役とも言える卒業記念舞踏会なのだから。


 そうこう思案しているうちにも時間は過ぎていく。今から出掛けても遅刻は確定である。政治手腕に長けた父ブランシュ公爵といえども、どうにもならなかったらしい。


「他に効果的な場は……」 


 ロザリアが諦めの溜め息を吐いて、仕方なく気持ちを切り替えようとした時、慌ただしく扉がノックされた。

 飛び込むように部屋に入ってきたのは、先ほどとは違って満面に笑みを浮かべた母アナマリアである。


「リア! お迎えがいらしたわよ!」

「え……?」


 娘の戸惑いなど気にする風でもなく、母はロザリアの手を取って立ち上がらせる。


「お母様。あの、どなたが……」

「さぁさぁ、急いで。もう時間はないわ」


 問いにも答えて貰えず、母に早く早くと急かされて小走りで従った。相手は気になるものの、最も効果的な場に臨めるのであれば否やはない。

 安堵の思いとは別に、これから為すことへの緊張が湧いてくる。


 長い廊下を抜けて足早に階段を降り、母と共に玄関前のホールへと向かう。そこで待っていた青年の姿に、ロザリアは驚いて目を瞠った。


「え!?」


 純白の詰襟服とズボン、青紫の襟と銀糸のエギュレットが付いた純白の上着、その上に纏う長い純白のマント。そのどれにも銀糸の刺繍がふんだんに施されており、サッシュやマント留めは青紫。

 神聖教会を象徴する色を纏った聖騎士団長の礼装――それを一部の隙もなく身に着けた長身の青年は、生来の髪も瞳も白銀と青紫だった。


「叔父様……?」


 帝都にいるはずのない叔父レオンがそこにいた。レオンはロザリアの姿を認め、同じように目を瞠る。だが、それも一瞬のことで眩しそうに目を細め、優しい笑みを向けて近づいてくる。


「ロゼ、久しぶりだな。ずっと手紙のやり取りはしていたが、まともに顔を合わせるのは二年ぶりか……。随分と綺麗になっていて驚いたよ。もう立派な淑女だな」


 父がロザリアの衣装や装飾品の色合いだけを指定した理由が、今ようやく分かった。聖騎士団長の礼装に合わせたことで、まるで元から決まっていたパートナーにしか見えない。


「叔父様、どうして? 聖地にいらっしゃるとばかり……」

「教皇猊下のお供で帝都に着いたばかりなんだ。皇宮で旅装を解いている時に兄上が飛び込んできて、いきなりロゼのエスコートを頼まれた……と言うより、ほぼ命令だったけどな」


 苦笑するレオンの顔を見上げ、ロザリアは胸が詰まりそうになった。七歳で初めて会ってから十五歳になるまで、ずっと傍で見守ってくれた大好きな叔父。

 聖騎士となって帝都を離れて行った時には、寂しくて悲しくて、何日も泣いて過ごしたほど辛かった。


 あれから二年、二十五歳になったレオンは相変わらずの整った顔立ちではあるものの、以前よりも精悍さが増し、聖騎士団長としての風格が感じられた。




 「本当に良いのか? 私のエスコートで」


 帝国貴族学院に向かう豪奢な馬車の中で、レオンが心配そうに尋ねた。


「ええ、叔父様。叔父様も学院を卒業されているのですから、お分かりでしょう? 在校生も全員参加が義務付けられている卒業記念舞踏会で、淑女がパートナーも無しに一人で出席できるわけがないではありませんか」


 ロザリアは、そう言って苦笑する。


「それは当然分かっている。だが……仮にも婚約者がいるというのに」

「だって殿下は、義務で娶るわたくしとは、これから先どんなに嫌でもずっと一緒にいなければいけないのだから、一生に一度の卒業の時くらい、自分の望む相手と出席したいと仰るのですもの」


 彫像のように美しく整ったレオンの顔が怒りで歪み、冷気のような怒気が迸る。平素は冷静沈着であまり感情を表に出さない、老成した青年にしては珍しく、帝国で最も強大な神聖力までもが漏れ出していた。


「何と言う恥知らずな……」


 ロザリアは慌てて、向かいに座るレオンの固く握りしめられた拳を両手で包み込み、落ち着かせるように力を籠めた。そうして、その抜けるように白い肌をわずかに赤らめ、はにかむように微笑む。


「叔父様、わたくしは大丈夫ですわ。むしろわたくしは、叔父様に来て頂けて嬉しいのです。こんなことでも無ければ、叔父様にパートナーになって頂けることなんてありませんもの」


 大好きな叔父に心からの笑みを向け、自分が握り締めた大きな手に目を落とす。その左手首には、昔自分が贈った護符のブレスレットが変わらずあった。幼い頃の手作りの品を、約束通り未だにきちんと着けてくれているのが堪らなく嬉しい。


『新しい護符……作ってみようかしら。今なら、もっと良いものが作れるでしょうし……』


 ほんの少しの緊張を誤魔化すように、そんなことを思いながら護符を撫で、ついでだからと力を注ぐ。




 卒業記念舞踏会の会場となる学院の大ホール、その大扉の前でロザリアは、レオンの左腕に手を添え小さく深呼吸をする。


 ああ言われて今回はとエスコートを拒否されたが、皇子の本当の意図は分かっている。容姿に秀でた皇族の血を引き、見目はそれなりに麗しいものの、努力が苦手で怠惰な上に享楽的な皇子ジュリアスは、お世辞にも優秀とは言えない。


 耳に快い言葉を連ねて阿る者を重用し、物事の裏を考えることなく、表層的なものに惑わされる。国の行く末を背負う者として将来が危ぶまれ、最初のうちは見るに見かねてついつい苦言を呈していた。


 そんな性分の皇子に疎まれるのは、至極当然の結果だった。一応は皇帝の命令による婚約者であるにも関わらず、露骨にロザリアを厭って公然と忌避し、侮蔑の言葉を投げかけてくる。


 何を言われても淑女の嗜みとして受け流し、微笑と平静な態度を崩さないように心がけていたが、それが更に癇に障るらしく、血も涙もない冷酷な女だの、権勢欲に憑りつかれた心根の醜い女だのと声高に罵られてもいた。


 そうして学院での日々が過ぎ、今年になって入学してきた子女たちの中に、シャロンと言う一代貴族の男爵家令嬢がいた。


 一見して庇護欲をそそるような可愛らしい容姿のシャロンは、どういう伝手か皇子の取り巻きと一緒のところを見かけるようになったかと思うと、少しずつ皇子との距離を詰め、気づいた時には常に傍らに侍るようになっていた。


 普段は楚々として気弱そうに見えるシャロンだが、皇子の陰に隠れて、自分を鬼のような形相で睨みつけてくるのを見かけたことがある。かなり離れてはいたが、見間違いではない。一瞬で表情を取り繕ったが、あれが彼女の本性なのだと思う。


『あの方の本性がどうだろうと、殿下が何をお考えだろうと、どうでも良いこと。もうこれ以上、殿下のためなどに、無意味に時間を費やす気はありませんわ』


 きっと顔を上げ、扉の向こうを見通すように真っすぐに見つめ、ロザリアは我と我が身に気合をいれた。


『ずっと願い続けて来た夢を叶えるためには、手段なんて選びません。どんなに恨まれようと構わない……帝国のためにも、貴方を必ず引きずり降ろして差し上げます。覚悟なさいませ、殿下』

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