秋を迎えた日

@yoidoremjd

幕末襲来

 西暦1853年、和暦嘉永六年に突如として浦賀沖に現れたペリー提督率いる黒船一行は江戸幕府へ開国を要求した。江戸城に参集したちょんまげ共はそもそも何言っとるかわからん体と態度と船がデカいやたらと「U・S・A! U・S・A!」と申す人のような生き物をどうするか思案に思案を重ねていた。時の老中首座、阿部正弘は結論を見ない会議続きの日々で腰と脳をやり、ついに江戸城御庭番衆へ謎の生物を暗殺するように命を発した。敵は黒船船中にありとまでは分かったが度重なる予算削減と人事整理を受け続けていた江戸城御庭番衆はこの時すでに部内総勢三名(内一名は月末で派遣雇用期限なので退職予定)だった。一応は幕府の部署である以上、仕事はしなければならないが天下泰平続きで最近の仕事は持ち回りの警備活動のみだったため、暗殺の計画立案からして既に部内でこれについての手続きに関する資料をどこにしまったかすら不明となっていた。人間たちが喫煙所で考えたくないでござるとばかりに煙をふかす日々についに終わりがきた。江戸城警備の際にいつもいるノラ猫かるろすがいない。この一報は部内を巡り、ついに時の将軍徳川家慶の耳に入り大阪の役以来初めての幕府の一大事として天下を揺るがした。


 当のノラ猫かるろすは日々人間たちがくれるメザシの恩義に報いようと一路浦賀へ旅立っていた。一本の刀も持たず、己の爪のみを信じて黒船を目指すノラ猫かるろすの姿は町人たちの誰もがとくに気にしてはいなかった。ともかく海沿いを行けば黒船が見えてくるだろう。ノラ猫かるろすは冷たい海風が吹き付ける浜を歩いて行った。すると遠くに何かがある。ちょうど小腹の空いていたノラ猫かるろすは食えるかなとそれに近寄ってみるとどうもやたら大きな人間だった。さすがのノラ猫かるろすでも土左衛門を食べる趣味はない、その場を合掌して立ち去ろうとすると土左衛門がぴくりと動いたではないか。こいつは生きている。だが助けようにもノラ猫一匹が持ち上げて運べる重さではない。試しに首を噛んで持ち上げてみようにも痛がるだけで持ち上がることはなかった。どうしたものか、ひとまずここ数日ずっと浜を歩き通しで高いところで登った覚えがない。ノラ猫といえど猫である以上は高いところへ登り一休みしたい気持ちはあった。よっこらせと倒れている人間の上に登り香箱座りをしてみると思った以上に具合がいい。久しぶりの高さ、そして人間特有の座り心地がある。濡れて冷たいのはまぁ仕方ないとしても及第点ではある。ノラ猫かるろすは不思議と気分がよくなりゴロゴロと鳴らしていた。


 しばらくすると近所の村民が通りがかりこの奇妙な土左衛門と一匹を見つけてすわ何事かと驚いたが何はともあれ生きてはいるようなので仲間を呼び、近くの番屋で火に当たらせた。パチパチと囲炉裏で火が踊っている。人間たちは賢いなとノラ猫かるろすは思った。命は助けても事情は聞かず深入りしない、まさにお互いの身のためともいえる沈黙の中で距離感を保ちつつ身を温めていた。ノラ猫かるろすも囲炉裏のそばで丸くなりうとうとして一眠りしてしまった。


 翌朝、ノラ猫かるろすは大あくびをして旅路へ戻ろうと浜へ歩き出した。すとすとと歩いていると後ろから昨日の土左衛門がついてくる。なんだ、まだ用かとノラ猫かるろすが聞いても人間は無言でついてくる。土左衛門には猫の言葉が分からなかった。だがこの猫の背中、ただの一匹にしては背中が大きく見えたのだ。きっと何かがある。土左衛門は助けてくれた恩を返したい思いもあり、この一匹についていくことにした。


 ついに黒船が見えた。周りには見物客が黒山の人だかりを作り、奉行所が不測の事態を避けるために厳重な警備を敷いていた。どうしたものか、ノラ猫かるろすは付近を歩き回り黒船に乗り込む方法を探してみた。日も暮れだして今日はさすがに厳しいかと思ったその時、漁から戻った船が浜辺にあるではないか。ノラ猫かるろすはこれにぴょんと飛び乗った。だが猫には船を漕ぐことができない。ニャーニャー声をあげていると土左衛門が乗り込んできた。ノラ猫かるろすは黒船を指し声をあげた。わかる、今ならこの猫が何を言っているのかわかる。土左衛門は船を押し出し浜を出た。この猫はあの黒船へ行きたいのだ。あの船が来てから周りは変わってしまった。老いも若きもあの船の話ばかり、自分がいくら頑張っても誰も見向きはしない。そうこうして途方に暮れ、酒に溺れて橋から落ちた。あの時、死んだと思った。何もかも、全て見えなくなり海へ溶けてしまいたいと思っていた。しかし今自分はこうして生きている。一匹の猫の背中に明日を見たのだ。そして自分の明日を取り戻すためにも、あの黒船へ行かねばならなかった。


 なんとか黒船へ辿り着き、甲板へ忍び込んだ一人と一匹だったが特に隠れもせず乗り込んだのですぐに見つかり囲まれてしまった。「ワタシ、ヌイダラ、スゴイノヨ」と迫り来るペリーに土左衛門は恐怖した。だがここで今更逃げるわけにはいかない。自分の明日を奪おうとした黒船に負けてしまえば自分はまた元の土左衛門になってしまう。頼れるものが何もないと思ったその時、土左衛門の胸に去来したのはあの日、暴れ者と嫌われていた自分に声をかけてくれた親方の顔だった。そうだ、何もなかった自分に親方がくれたたった一つのことがある。相撲、これしかない。嫌われ者の自分を終わらせてくれた相撲、力士として喝采を受けた相撲、そして自分から土俵を奪おうとした黒船の親玉が目の前にいる。やるしかない。自分には、相撲しかない。ノラ猫かるろすはこのホモ・サピエンスどもは何をやっとるんだ? とあくびをしていた。すると集まった船員の一人に気づく。あの姿は忘れもしない、死んだはずの我が主人ではないか。いや、まさか、でも、ノラ猫かるろすは一歩また一歩と船員へ近づく。後ろでは上裸になったアホ二名が熱く組み合っていた。ノラ猫かるろすが船員の足元へ辿り着く。ひとまず猫の習性上、相手の臭いをスンスンと嗅いでみたが長い船旅のせいか、それとも風呂に入らないお国柄のせいかノラ猫かるろすはフレーメン反応してしまった。


 それは熱い、熱い一番だったと後世の記録に伝わっている。黒船の甲板上で組み合う二人の男、最初これに気がついたのは若い見習い船員ジョンだった。なんだろう、そう思って眺めてみると一人は船長ではないか。これは大変だと止めに入ろうとするも別の船員になんてことをするんだと止められた。ジョンはこの時に初めて相撲を見たと書き残している。しかし、相撲とは力士が組み合うだけでは相撲にならない。行司が取り仕切ることで暴力に秩序が生まれて相撲となる。誰か、誰か行司はと声をあげるも観衆の中には相撲のルールを知る者はいなかった。もうダメだと思ったその時、猫を連れた一人の男が飛び出して「ハッケヨイ!!」と叫んだ。観衆は歓声をあげてこの一番を祝福した。一進一退、両者四つに組みこれを譲らず押すも引くも決まらない。歓声に負けじと「ノコッタノコッタ!」の声がする。ペリーは思った。俺はなぜ辺境のど田舎に来てまでこんなことを。だがもう組み合ってしまった以上は一人の男として、力士として退くわけにはいかなかった。アメリカを、星条旗と栄えあるネイビーを背負って立つ自分が土を付くわけにはいかない。このような辺境の相撲であってもアメリカ合衆国横綱である大統領を頂点とした全米相撲協会に認められて幕内三役を任せられた自分のこの胸、相撲に捧げた人生に嘘偽り迷いなどない。ペリーは渾身の力で相手のまわしを掴み上げ、後を考えずに腕を引き背中の筋肉を大回しにして土左衛門を場外に投げ飛ばした。決まり手は上手投げだったと当時の記録にはある。勝った、なんとか勝った。ペリーが勝利の実感を得たのは行司の声を聞いた時だった。これで安心して合衆国へ帰れる。この度の巡業は大成功だったと祖国へ胸を張れる


 この大一番は幕府の耳にも入り相撲ができるならとちょんまげどもは江戸中から力士たちを集めてペリーとの外交交渉にあたった。この土俵上で繰り広げられる一五日間の闘いにより、日本はついに千秋楽を迎えて新しい場所へと向かい始めた。


 めでたしめでたし。

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